アートとプログラミングに共通する美について
著名なlispハッカーであるポール・グレアムの「ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち」では、プログラムを書く行為とデザインとそして絵を書く事のつながりが述べられている。
また、オライリー社から出版されている「ビューティフルコード」でも一流プログラマによる「美しいコード」についての思い入れが語れ、そこではコードに対して「優美で表情豊かな美しさに満ちた」というような情緒的な表現がなされている。
このような著名な人達でなくとも、本来デジタルで無機質なはずのプログラミングの中に美を感じる人は多く存在するだろう。
そもそも美とは、主観的であり、個人によって異なるという側面があるが、一般的には、美は調和やバランス、優れたデザイン、感情を呼び起こす力、独創性、対象の本質的な特性を引き出す力などを含むものとされている。
そのような観点からコードの何が美と繋がるのか考えてみると、まず第一にコードが持つバランスや対称性などの構造の美しさが挙げられる。これはアートにおける美的価値が、色彩、形状、線の使い方、光の使い方、空間の使い方など、作品自体のデザインや表現方法に関わるものであるのと対比することができる。
次に挙げられるものがコードの持つ機能や使い勝手という側面で、アートにおいても”街道をゆく – 丹波篠山街道“や”街道をゆく 因幡・伯耆のみち“で述べているような「日用の雑器を眺め直し、美の意識ではなく「用」の意識から、無作為の美が生み出されていることを再発見した」「民藝」と呼ばれるジャンルがあるが、機能や使い勝手の美という観点が考えられる。
このような機能美と呼ばれるものとして世界的に著名なものが、ドイツのバウハウスでの活動になるであろう。
バウハウス(Bauhaus)は1919年にドイツのヴァイマルに設立された工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校であり、またその流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。絵画の方面で言うとパウルクレー(「Flora on sand」)や
ワシリーカディンスキー(コンポジション)
そしてモンドリアン
これらのシンプルな構成の中にある持つバランスや対称性などの構造の美しさは、無駄のない機能的なコードに通じるものがあるのではないであろうか。
バウハウスの絵画の特徴は無駄を削ぎ取った機能美であり、例えばカディングスキーによる「点と線から面へ」では、現実の複雑な構造物はシンプルな基本成分である点と線を組み合わせていくことで実現されるとあり、点や線などによって物の形態がどう成り立ち、色はどう関わるかについて述べた「造形理論」について述べられている。
また機能と言う観点だとバウハウスにはミース・ファン・デル・ローエのバルセロナチェアに代表される工芸品がある。
これら機能的な工芸品は使ってももちろんだが見ていても心地よい。
これに対して、LISPやClojure等の関数型言語に代表される明確な世界観を持った作られた言語で構成されたコードは同様の美しさを持っているではないかと思う。例えばClojureを作ったRich Hickeyのプレゼンテーション「Simple Made Easy」の中では新しいプログラミング言語を作る目的として、「ひとつのものに、複数のことがらを混ぜ込まない」シンプルな関数を組み合わせることで、複雑な機能を実現していくものを提供するという事が述べられている。この話はまさにカディングスキーによる「造形理論」のプログラミング版そのものであり、バウハウスの絵画が美しいものであると同様に、これらのコードも美しいものであると言う事が言えるのではないだろうか。
アートとプログラミングは、共に創造性や表現力が必要な分野であり、その創造性や表現力が美的価値を生み出す重要な要素となる。民藝における「アーツ・アンド・クラフツ運動」やバウハウスにおける「産業時代を前提としながら、人と社会につながったデザインを目指す運動」は「人の手により作られたものの美」を前提としており、それは同様に人の作成物であるプログラミングにも当てはまるのではないかと思う。
次回”ジェネレーティブアートとプログラムとアルゴリズム“では、これらのアートを自動で生成する活動について述べている。
コメント
[…] 片岡義雄の描くサーフィンは海外のサーフエッセイとは異なり時間が止まった絵画のような描写が特徴となる。彼はいくつかのサーフィン小説を執筆しているが、その中でもベスト3に入る本だと思う。 […]
[…] アートとプログラミング […]
[…] アートとプログラミング […]
[…] これらは以前”アートとプログラミングに共通する美について“に述べたようなバウハウスの機能美や、LISPを使ったプログラムの美とも通じるものとなると思う。 […]