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波が呼ぶんだよ
前回に引き続き、片岡義男のサーフィン小説について紹介する。まずは「波が呼ぶんだよ」。「波が呼ぶんだよ」は、春の小さな田舎町の映画館に訪れることから始まる。
「「あそこに映画館がある」と幸雄が言った。..小さな田舎町のメインストリートいっぱいに、三月なかばの明るい陽射しがあった。あらゆるものが、くっきりときわだって見える明るさだ。春は、すでに確実にはじまっていた。…」その映画館で見た映画の中で女優の後ろに見えた波に驚かされる。「スクリーンいっぱいに、右から左へ、パーフェクトなチューブが、見事に走りぬけたのだ。シネマスコープ・スクリーンの右端にあらわれたとき、その波はすでに完全なチューブだった。貴志の目測ですくなくとも八フィートの高さにせりあがった波は、まえに倒れ込んでアーチとなって空中に張り出し、ものすごく美しく素直なチューブをつくりつつ、右から左へ走った。..」
この波を探すため、映画を作製した会社を尋ね主演していた女優に手紙を書く。女優から届いた返事には、鹿児島からフェリーで渡る小さな島の住所が書かれてあった。大切にしていたオートバイを売り恋人も置き去りにして二人は島へ向かう。島に到着した二人は、島の反対側にある海岸までボードをかかえて山を超える。そこは誰もいない海岸で映画のスクリーンで見たのと同じパーフェクトなチューブが走っていた。
「波の立ち上がりのパワーとよく調和した陸風が吹いていた。自分の高さの限度まで立ち上がった波は、内側にむかってえぐれた壁にその陸風をためこむ。風に叩かれ、波のスロープは、つるつるな手ざわりの水の壁のように見えた。…ボードの下からせり上がってくる水の壁は、彼の顔のすぐ右側を、急激なスピードで天井に向かいつづけた。淡いブルーに陽光を溶かし込んだ水の壁にかこまれ、斜めに立てた楕円形の空間の内部を、彼は滑走した。…」
以前台風が通過した直後の海で波を独占したことがある。直前までの雨と風が嘘のように止んで晴れ間がのぞき、大きく整った波が打ち寄せてきた時に、いつもは混雑している海にいたのは自分ともう一人だけ、誰にも邪魔されず硬い波の斜面をスピードをあげて滑っていく。この本を読んでその時の高揚した気持ちを思い出させるものとなる。
海まで100マイル
次に紹介するのは「海まで100マイル」
この本は1981年に刊行された佐藤秀明と片岡義男による海を巡る写真と対話集となる。当時41才の片岡義男と38才の佐藤秀明の「海」を中心とした会話では、海の誕生から成分、波が生まれる科学など、のんびりと、駄話を交えながら、海のように話はうねり、海と対話する波乗り達の話へ進む。サーファーという言葉は使っても、サーフィンとは言わない。「波乗り」と言う二人には、「波に乗る」という行為そのものに意味があると言う。
彼らの話題の一つにモンシロチョウや渡り鳥が波に乗る話がある。
モンシロチョウの波乗りは、種子島の近くで漁夫が見た話で、何十万というモンシロチョウが、ひとかたまりになって、島から島へ渡るため、5月のよく晴れた日の午後、白い雲のように海の上を飛んでいて、くたびれたところで集団で波にとまって休み、二枚ある羽のうち一枚を波につけ、もう一枚を垂直にして、まるでウィンドサーフィンのように、風を受けながら波乗りを楽しんでいたというものになる。
渡り鳥の波乗りも、モンシロチョウと同様に海の上で休憩する際に、くわえてきた小枝を海に浮かべロングボードのようにして波にのる。
波乗りをしていると、波の中を泳ぐ魚と一緒にサーフィンすることもしばしばある。
そこには自然の営みとしてのサーフィンがある。
次回はダニエルデュエインによるカリフォルニアでのサーフィンの生活について述べられている手記「Caught Inside: A Surfer’s Year on the California Coast」について述べる。
コメント
[…] 海まで100マイル […]
[…] 海まで100マイル […]
[…] 次回も引き続き、片岡義男のサーフィン小説とエッセイについて述べたいと思う。 […]
[…] 前回までは片岡義男のサーフィン小説/エッセイについて述べた。今回は、邦訳は現在絶版になっているダニエルデュエインによる手記である「コート インサイド カリフォルニアの海 […]