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サマリー
旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。
街道をゆく- 竹内街道と古代日本
山間部が多い奈良県の中でも唯一の平地(上図だと左上部分)となる山地盆地(奈良盆地)と、そこを通る街道(竹内街道)が舞台だ。
古代大和朝廷の一族は、九州/宮崎の外れにある高天原(高千穂)から日本列島を遡り奈良まで来たと古代の書物(日本書紀)に記載されている。(奈良に来た大和朝廷の黎明期の人物としては崇徳天皇がいる)
この辺りの古代日本の話は「日本書紀とその解説本」を読むか、あるいは多分に作者の想像が入るが「古代からの伝言」シリーズや、「新史論」シリーズ等を読むと更に詳しい話を知ることができる。
それまでほとんど存在していなかった(大陸から輸入れた)馬と鉄の武器を持つことで、奈良にいた先住民族(ミワ一族(天理市(上記の地図の右下星)の右側にある三輪山を祀っていた)を滅ぼしたか追い出したかした後、彼らの持っていた武器を取り上げて収納したのが石上神社(上図右上)となる。
そこで神社の巫女の起源の話となる。さらに、上記の地図で右端から左端の葛城市の方向に進み、古代日本の王朝を擁立した古代勢力(許勢(こせ)氏、平群(へぐり)氏、葛城(かつらぎ)氏、蘇我(そが)氏)の話に進む。そしてその先には、大阪との境となる葛城山がありその山麓には竹内峠がある。
この竹内峠を通る街道は竹内街道と呼ばれ、日本最古の国道と呼ばれている。この道は奈良から大阪さらに九州から大陸へと続く日本のシルクロードと呼んだ所で話を街道をゆくは結ばれている。
コメント
[…] 次回は、竹内街道について述べる。 […]
[…] 街道をゆく – 竹内街道と古代日本 […]
[…] 取ったものを大王(おおきみ)とし、その大王を中心にして構成された大和政権が、権力が世襲されていく王権へとしていった。(“街道をゆく – 竹内街道と古代日本“を参照のこと) […]
[…] 大伴氏は、古代大和朝廷の中で有力な王朝貴族で、新興勢力であった藤原氏が勃興してきたことで、権力闘争に敗れたらしい。藤原氏の勃興は、大化の改新(645年)で中大兄皇子と藤原鎌足による古代の超特級の有力貴族である蘇我氏(“竹内街道と古代日本“にて述べられている)を宮廷内で刺殺したことを発端としている。 […]
[…] 大和朝廷は、”街道をゆく- 竹内街道と古代日本“にも述べられているように九州の高千穂から、瀬戸内海を渡り、大阪を経て奈良に入り、”街道をゆく – 葛城みち“や”街道をゆく 大和・壷坂みち“で述べているように、当初(飛鳥時代)は奈良盆地の南東部に拠点を構えていた。 […]