街道をゆく – 郡上・白川街道と越中諸道

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サマリー

旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。

街道を行く第4巻郡上・白川街道と越中諸道

前回紀州街道について述べた。今回は郡上白川街道越中道について述べる。
郡上・白川街道と越中諸道

今回は日本の中央付近の太平洋から日本海にむかって抜ける道として、岐阜県の中を通り世界遺産として有名な白川郷へとぬける郡上白川街道を通り、富山県に向かう越中道について述べる。

旅のスタートは岐阜県内にある唯一の新幹線の駅(名古屋駅米原駅の中間にあり、こだましか止まらない)である岐阜羽鳥駅から始まる。

北陸地方親鸞の広めた浄土真宗が盛んであった場所で、戦国時代に盛んだった一向一揆を行った浄土真宗の越中門徒の話となる。親鸞の浄土真宗は、以前も述べたが、修行や苦行はなく、浮世にいるそのままの姿で弥陀本願に拾われて往生するという易行道とよばれる宗教であったが、これらは関西では広まったが、関東ではあまり広まらず、関東では修行や苦行仏の道に到達するという道元に代表される空海に代表される密教が流行ったとのこと。

岐阜羽鳥駅から岐阜市内を抜け北上していく間に、一介の油売りから美濃の国主となった斎藤道三と日本統一まで後一歩まで進んだところで部下の謀反にあい命を落とした織田信長を中心に書かれた自身の小説である「国盗り物語」に話は移る。

斎藤道三が美濃にやっていた頃は、油は荏胡麻から搾るものとされていてそれほど量が取れず、庶民が夜に火をともすということができていなかったものが

同時代に、菜の花から大量に油を絞るというゲームチェンジが起き、油の値段が大幅に下がって、庶民でも夜に灯火を使えるようになったらしい。

その道三の城があった金華山は、岐阜県内を流れて名古屋から太平洋に向かう一級河川である「長良川」が麓に流れる山となる。

金華山を眺めながら、一行は長良川上流の郡上八幡城に向かう。

ここは、雲海の中に浮かぶ「天空の城」の一つとして有名なもので戦国時代から江戸時代にかけて城主がさまざまに移り変わってきた日本最古の木造再建城となる。郡上八幡では地元の名産である肉桂入り飴玉を買っている。

これはニッキ飴とも呼ばれるもので、黒糖とニッキで作られた素朴な味の飴のようである。

郡上街道から北上すると、飛騨街道白川街道と呼ばれる山の中を抜ける街道となる。白川街道をしばらく進むと、御母衣湖御母衣ダムに着く。

御母衣湖周辺は、紅葉や桜が美しい景観の地らしい。御母衣のある場所は白川谷と呼ばれる山間の村落となる。谷沿いを更に北上していくと、世界遺産としても有名な白川郷に着く。

ここには、合掌造りの日本の古民家が多く残された観光地となる。白川谷では司馬遼太郎たちはどぶろく祭りという地元の祭りに参加し、どぶろくを飲んでいる。

白川谷から更に北上すると富山県に近づき御箇山に到着する。ここでも、白川郷と同様な合掌造りの日本家屋を見ることがことができる。御箇山を超えた後は富山の古刹である行徳寺を通り

富山に入って日本のアルプスと呼ばれる立山連峰を眺める。富山県は中央に呉羽山という低く細長いナマコ型の丘陵が隆起しており、富山平野がこの山で分けられて呉東/呉西と分けられて、これらを境に関東文化圏と関西文化圏として分かれて、方言も違い、生活習慣や商売の仕方も異なるという他の都道府県にはない特徴を持つ。

また、立山は神の山でもあり、御師(おんし,おし)と呼ばれる古代神道の徒がいる村が存在しているとのこと、御師は元々役行者から始まる修験道者を祖に持つ集団で神社に参拝する参詣者を止める宿を営んだり、自ら祈祷したりした神職のことを指し、たとえば伊勢神宮にも御師が存在し、全国から来た参詣者を仕切っていたとのこと。立山の場合は、山自体が神なので、御師=山岳ガイドということになる。

次回丹波篠山街道について述べる。

コメント

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