空海と真言宗と印と曼荼羅と仏像

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サマリー

Discover Japan 初めての空海と曼荼羅より

はじめての空海と曼荼羅

日本に密教を広めた弘法大師空海が実は、日本史上最強のクリエイターであり救世主であることを知っていますか?難解な密教の教えを見える化した立体曼荼羅は、まさに密教の3Dアート。
さらに、現代でいうクラウドファンディングのような手段を用い、高野山を一大密教都市に地域ブランディングしている。さらに、書家、教育者、詩人、パフォーマー、デベロッパー……など、弘法大師空海はマルチクリエイターとして、世のため人のために奔走し、密教を軸にしたソーシャルデザインを行いた。このように、特集では弘法大師空海を現代的に解釈。将来に役立つ目からウロコのヒントも見えてくる。

曼荼羅の仏像による立体化

2019年3月から東京国立博物館で開催された真言密教の根本道場とした京都・東寺の寺宝を紹介する特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」で展示されている仏像による立体曼荼羅、804年に遣唐使として唐に渡った空海(弘法大師)が目に見えない密教の教えを視覚化するため、21体の仏像を使って3次元で表したものが立体曼荼羅となる。21体の仏像からなる奈良東寺講堂の立体曼荼羅は、空海の構想から生まれた。

それぞれの仏像としては五智如来(密教の世界観には、教主である大日如来の理(ことわり)を表す胎蔵界(たいぞうかい)と、智を表す金剛界(こんごうかい)の二つの世界がある。大日如来が備える5種類の知恵を五智(法界体性智(ほうかいたいしょうち)、大円鏡智(だいえんきょうち)、平等性智(びょうどうしょうち)、妙観察智(みょうかんさつち)、成所作智(じょうしょさち))といい、五智を象徴する金剛界の御如来を五智如来と呼ぶ。仏としては中央に大日如来、そしてその両端に薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来が並ぶものとなる)。

更に、五大菩薩(仏教の信仰・造像の対象である菩薩(真理を探求し、悟りを開くために修行中の者)の組み合わせの1つ)

五大明王(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王仏教における信仰対象であり、密教特有の尊格である明王のうち、中心的役割を担う5名の明王を組み合わせたもの)と

天(「天上界(仏教で人間界の上にあると考える世界)に住むもの」を意味する。四天王のように武装した姿と、吉祥天のように柔和な姿で表されるものと大きくふたつに分けられる。元々インドの神々だったものを護法尊として尊像化したもの)を組み合わせたものとなる。

印について

両手の指で多様な形をつくる印(印相、印契、密印ともいう)のルーツは、バラモン教の祭祀における那ようにおいて、有形無形ののものを指先で表現したムドラー(ジェスチャー)にある。ムドラーの中には現在の密教の印に通じるものが多い。

仏教では当初、偶像崇拝を行なっていなかったが、釈迦の入滅から数百年経って、仏像が造られるようになった。その頃の仏像が結ぶ印は、釈迦が悟りを得た状態を表す「定印(じょういん:禅定印)」釈迦が悟りを開いた後、惑わそうとする魔物を退けた際の「触時印(そくじいん;降魔印)」釈迦の最初の説法を象徴する「説法印(転法輪印)」をはじめ、釈迦が行ったことや釈迦にまつわる伝説を説明するものだった。この3つの印に、仏教の力によって人々の恐れを取り払うことを示す「施無畏印(せむいいん)」人々の願いを聞き入れることを示す「与願印(よがんいん)」を加えた5つの印は「釈迦の五印」と呼ばれ、その後の仏像でも使われている。

真言密教では、手に印を結び(身密(しんみつ))、口で真言を唱え(口蜜(くみつ))、心に仏を思う(意密(いみつ))ことで、仏の身体(身)、言葉(口)、心(意)の働きを表す「三密」と一体化することで悟りの境地に達すると考えている。そのため印を結ぶこと身密は特に重要視されている。

また、真言宗では、右手の親指から順に識(しき)、行(ぎょう)、想(そう)、受(じゅ)、色(しき)という「五蘊」(ごうん:仏教での人間の心身を作り上げていると考えられる5つのもの)、左手の親指から順に空、風、火、水、地という「五大」(万物を作り上げる5つのもの)をそれぞれ象徴すると考え、印でこれらを組み合わせることで様々な教えを説く。

真言密教では六種拳と

十二合掌が

すべての印の基本となる印母としている。印はそれが意味する悟りの力が宿るものと考えられ、密教の僧が印を結ぶ際には、みだりに一般には見せず、本来は法衣(衣服)の下で行うものとなる。

そもそも曼荼羅とは?

曼荼羅の語源の「マンダラ」とは、もともとサンスクリット語で“まるいもの”という意味で「マンダラはサンスクリット語で本質や神髄」というよりも、単にシンボリックな図柄を表現しているものとなる。

曼荼羅は密教で悟りを開く(修行)のために生まれた絵となる。いろいろな仏様が描かれている。

密教とは、大日如来を本尊とする仏教の一流派。言葉ではっきり分かる天台宗のような仏教の教えを「顕教(けんぎょう)」と言うが、これに対して、言葉だけでは分からないものごとの真理、仏への道を説いたものが密教となる。また、修行のような体感を重視していたり、曼荼羅のような絵柄を使って直感的に悟れるのも密教の特徴となる。師匠から弟子に口伝や体験で教えが受け継がれることが多く、「秘密の仏教」と認識されることもある。

古代インドを起源とする曼荼羅。当時崇められていたバラモン教やヒンドゥー教でも、神や仏の世界を図形やシンボルで描いて、これが密教にも取り入れられている。

曼荼羅のルーツは、古代インドで土壇と呼ばれる土に描かれたイラストとされている。土壇は説話(仏教の教えを広める会)の会場の目印であり舞台です。「壇」には、領域という意味があり、仏像などを安置し供物などを供える。ちなみに日本では葬儀の祭壇のように、木製の壇が多く作られてきた。仏様が大集合している、ポピュラーな曼荼羅の絵は、布に描かれたものが始まりと言われている。

曼荼羅は、時代によって描かれてきた内容が異なるが、ベースは正方形や円で描かれている。図形の中で最も安定した形で繰り返し描きやすいこともあり、選ばれたものと考えられている。

曼荼羅にはいくつかタイプがあり、国、時代、宗派によって絵柄が異なる。基本の4種としては①大曼荼羅(仏様(如来や菩薩)の姿をそのまま描いて、仏の世界を表現。すべての曼荼羅の基本。)、②三味耶(さんまや)曼荼羅(仏様をシンボルに置き換えて描いたもの。阿弥陀如来は蓮華、宝生如来は宝など。衆生救済、慈愛に焦点が当てられている)、③法曼荼羅(すべての仏様が悟りに入った状態「禅定」で描かれている。文字で抽象的に書かれることが多い。仏教の真理、仏の智慧を表している)、④羯磨(かつま)曼荼羅(大日如来以外はすべて女尊で描かれている。羯磨とは、業(カルマ)、行為のこと。実際に行う供養に特化した曼荼羅)となる。

空海の曼荼羅としては、前述の胎蔵界(大日経に表される大日如来の説法ほベースとした真理)と金剛界(大日如来の真理を体得して悟りを開くための方法)が描かれている。

胎蔵界は以下のようになる。

金剛界は以下のようになる。

曼荼羅の使い方

真言密教では、仏の身体(身)、言葉(口)、心(意)の働きを表す「三密」と一体化することで悟りの境地に達すると考える。そのために打つゾアなどを安置し、供物を供える檀を設け、手に印を結び(身密)、口で真言を唱え(口密)、心に仏を思う(意密)修行を修法という。

曼荼羅は、真言密教の世界観を表すものとであると同時に仏具でもあり、真言密教の中でも重要な修法である後七日御修法の儀式の中で、護摩壇(火を焚いて、人間の煩悩を表し、 智慧の火で焼き払う)の前に曼荼羅を並べて様々な護摩行を行うものとなる。

東寺

真言宗の総本山は東寺となる。

東寺は京都市にあり、真言宗の根本道場であり、教王護国寺とも呼ばれる。「教王」とは王を教化するとの意味であり、教王護国寺という名称には、国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められている。宗教法人としての名称が教王護国寺であるため、寺内の建造物の国宝・重要文化財指定官報告示の名称は「教王護国寺五重塔」等となっている。1994年には世界遺産にも登録されている。

高野山金剛峯寺

高野山は和歌山県北部にあり、高野山という地理学上の山は存在しない。周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが広がる。高野山内は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であり、元来は高野山全体と金剛峯寺は同義となる。

平安時代弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。

現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている

大阪万博のシンボル「太陽の塔」は「曼荼羅」だった

大阪万博(EXPO’70)で芸術家・岡本太郎が手がけた太陽の塔のテーマ館ガイドに、岡本太郎は以下のように述べている。「テーマ館はEXPO’70の中心にあって、この祭りの理念を誇らかに表現する。このパビリオンは閉ざされた一個の建物ではない。メインゲート正面の広場に聳り立つ<太陽の塔>、祭神であるこのモニュメントを枝として、過去・現在・未来の三つの層が、重なり合って構成する巨大な空間だ。それぞれが完結していながら、また渾然として一体をなす、閉ざされていると同時に開かれている。三つの空間・時間は互いに響き合い、一つのうちに他の二者を踏まえた宇宙の環だ。瞬間々々に輪廻している、マンダラなのである。

岡本太郎は「縄文」で出会い影響を受けたことは有名だが、それ以外にも仏教美術に出会い、衝撃を受け、曼荼羅から「異様なサインのように」「衝動と暗示」を与えられ、「うちなる世界と外なる世界」の融合を感じて上記のような考えを持ったらしい。

 

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