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サマリー
本ブログでは”問題解決手法と思考法および実験計画“において、様々な問題解決手法についてのべている。その中で、”KPI KGI OKRについて“で問題解決を行うための定量化の手法について述べていたり、”具象と抽象 – 自然言語のセマティクスと説明“で述べているような抽象化のステップを用いることでその課題の本質的な問題は何かを抽出している。
そのような問題解決のアプローチは実は今から約二千五百年前に、孫子と呼ばれる人物によってまとめられていた。今回は”NHK100分de名著老子x孫子“をベースに孫子とは何かについて述べる。
兵法「孫子」が生まれたのは、今から約二千五百年前、春秋時代の中国となる。この時代、呉という国が起こした対外戦争をきっかけに、戦争の形が大きく変わった。それまでの戦争は、互いを見通すことのできる大平原に、両軍の戦車がずらりと並び、開戦の合図で戦いを始めるというもので、兵力は数百から数千、多くても数万で、貴族中心の兵士たちが一種の美学を持って戦っていた。
ところが、春秋時代の終わりになると、戦争がいわゆる国家総動員大勢のものへと変わっていく。平民も動員され、兵力は数万〜数十万、期間は最長で数十年にもおよぶものとなっていた。戦いの形態も、国境沿いの小競り合いといったものではなく、相手国の首都に向けて、何千里にもわたね長い距離を一気に侵攻する作戦が行われるようになった。戦車に代わり、機動力のある歩兵や騎兵が中心となり、武器も、非常に殺傷力の高い弓矢である弩(ど)が開発された。
春秋・戦国時代の中国では、二百近くもの兵書が編集されたと言われているが、ほとんど今には残っていない。その最大の理由は、それらの兵書が戦いの現場に則しすぎていたからで、ある特定の戦いについての指揮官(将軍)のとった具体的な戦術を解説し、その逸話を紹介するという単なる戦史や人物伝の類でしかなかったため、時と共に内容が時代遅れになり、興味を持たれなくなったのである。
そうした凡庸な兵書の対局にあったのが「孫子」で、まず具体的な戦争例はあげす、将軍の名前や地名などの固有名に言及することがない。作者とされる孫武(孫子)自身は呉の闔閭(こうりょ)に仕えた将軍として、数多くの戦争を経験したが、彼はそれをいったん自分の中に収めて完全に消化し、思想ののレベルにまで引き上げている。具体的な体験や情報をそのまま記すのではなく、凝縮された言葉で、高度に抽象化し一般化した軍事の思想あるいは普遍的な哲学を説いているので、そこからは一つの「自由」が生まれてくる。
さまざまな時代のさまざまな読者が、自分の立場や生き方に引き付けて「孫子」の思想・哲学を咀嚼し応用する自由となる。これが、「孫子」が今なお読み継がれ、さらに阻止論や経営論、リーダー論や個人の処世術といった形でも多くの読者を獲得している最大の理由となる。
なお「孫子」を書いた孫武の生涯についてはamazon primのドラマ「孫子兵法」でも見られる。
中国ドラマであるためやや荒削りだが、高校時代の漢文で習った史記に出てくる逸話「呉越同舟」「臥薪嘗胆」「死者に鞭打つ」等の現在でもよく使われる四字熟語の故事が多々現れるドラマとなっている。
「孫子」は全十三篇からなっている。当初は八十篇以上あったとされているが、後世の人による編集も入り、現存しているものは十三篇となる。
最初に置かれているものが「計(けい)篇」。全体の序文であり、戦争に対する基本的な考え方や、戦いを始める前の準備の大切さが説かれている。これに続き、「作戦篇」「謀攻(ぼうこう)篇」「形(けい)篇」「勢(せい)篇」「虚実篇」「軍争篇」「九変(きゅうへん)篇」「行軍篇」「地形篇」「九地(きゅうち)篇」「火攻(かこう)篇」があり最後に戦争におけるスパイの重要性を説いた「用間(ようかん)篇」がおかれている。
十三篇の構成だが、順番については様々な説が唱えられており、その順番に意味があるのかないのか、よくわかっていない。ただおよそ戦争の行われる手順の通り、まず作戦を立て、軍事行動を開始し、戦場に赴き、先頭が始まる、という時系列にほぼ並んでいるのではないかと思われる。そして最後にスパイに関する篇があるのが非常に大きな特徴となる。
今ではもちろん常識だが、当時、戦争における情報の大切さを説いたという点は画期的なことであり、現場での奮闘ではなく、情報こそが勝敗を決める、情報の収集と分析により勝敗の八割がたは決まってしまうと喝破したところに、孫子の特徴がある。
以下にそれぞれの篇の簡単な内容について述べる。
二番目の「作戦篇」は慎重な開戦と迅速な切り上げの重要性を説く篇となる。三番目の「謀攻篇」は、戦力を消耗しないため謀略による攻撃を説いている。この篇は孫子の兵法の真髄を説く一篇となっている。
四番目の「形篇」と五番目の「勢篇」は、よくセットになっていると言われる。形篇は必勝をもたらすための軍の形勢について説かれ、勢篇は軍事集団のエネルギーについて書かれている。六番目の「虚実篇」は、軍隊の空虚と充実について主張しており、七番目は「軍争篇」で機先を性して有利な態勢を取ることを説く篇となる。八番目の「九変篇」は、戦闘の曲面に応じた柔軟な変化について説いており、一つの現象に対して固定的な考えを持ってはいけない。柔軟に対応していきなさいと言っている。ちなみにここでの「九」は具体的な数ではなく「極まりのない」「さまざまな」ということを意味している。
九番目の「行軍篇」は、軍隊を行動させるときの留意点について述べており、これと関係するのが、十番目の「地形篇」と十一番目の「九地篇」となる。地形篇は行動の際に留意すべき地形について書かれており、九地篇は、戦闘が行われる地点の具体的な地勢について述べられている。十二番目はやや特殊な篇「火炎篇」となり、当時の戦争で行われた特殊戦術である水攻めと火攻めがありそのうち火攻めについて述べられている。
最後の「用間篇」は、孫武の作ではなく、百年ほど後の孫臏(そんびん)のさくであることが1972年に中国の銀雀山で出土された2つの竹簡、孫武によるものと、孫臏によるものが発見され、それらの研究により判明している。
孫子に関する解説書は様々なものが出版されている。まずストレートに文献を解説したものとして「孫子」や
また、
マンガや様々な解説書もある。
次回は具体的な孫子の考え方について述べたいと思う。
コメント
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