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サマリー
旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。
島根県の出雲は、日本の中国地方にあり、県庁所在地は松江市となる。日本海に面し、山陰地方の西側を占める。離島の隠岐諸島や竹島などを含む。旧令制国における出雲国・石見国・隠岐国の3国に相当する。現在でも県内の地域分類として出雲地方・石見地方・隠岐地方の3区分が用いられることがある。
古代出雲は、青銅器を主とする西部出雲(現在の島根県出雲市付近)と鉄器を主とする東部出雲(現在の島根県安来市、鳥取県米子市、大山町)との二大勢力から出発し、以後統一王朝が作られ、日本海を中心とした宗教国家を形成したと考えられている。この鉄器は「たたら製鉄」と呼ばれる日本で発達した製鉄方法で、砂鉄を木炭を使って還元し比較的低温で純度の高い鉄を生成する手法となり、炉に空気を送り込むふいごが「たたら」と呼ばれたことから、そのような名になったものとなる。
司馬遼太郎によると鉄器は、武器としてだけでなく、農具としても従来の木製のものと比較すると大幅な効率化を可能とするブレークスルーであり、このブレークスルーにより出雲地方、特に東部出雲は律令下のいう伯耆国まで連続的な文化的つながりがあったため、特に弥生期では出雲と”街道をゆく 因幡・伯耆のみち“で述べた伯耆(鳥取県西部)を含む出雲文化圏は、古代日本での先端的な地域となっていった。
ヤマト朝廷により作られた日本神話によれば、神逐された須佐之男命が(日本書紀では息子五十猛神とともに)出雲に降りたって八俣遠呂智を退治し、
櫛名田比売命との間に八島士奴美神を生み、その5世孫にあたり、”街道をゆく 因幡・伯耆のみち“でも述べた因幡の白兎の話にても出てくる大国主神が少名毘古那神や大物主神と共に出雲国を開拓したとされている。
『出雲国風土記』に須佐社として掲載されている須佐神社が建立され、大国主神を祭神とする出雲大社も建立され、この律令以前の出雲国の影響力は日本神話の各所に見られ、日本創生の神話の大半が出雲やその周辺の話になることから、その精神的影響力は絶大であったとの見解が主流となっている。
しかし、やがてはヤマト王権に下ることとなり、それが有名な国譲り神話として『日本書紀』などに記されたと考えられている。
出雲大社は、国譲りの交換条件として建立されたとされている。
この古代出雲の神話の謎に対して様々な解釈が行われているが、例えば出雲に近い鳥取県境港の出身の水木しげるの「
出雲でのその後、鎌倉時代に石見銀山が発見され、銀山を奪った尼子経久による統治が行われるようになる。尼子経久は「謀聖」と言われるほど計略に優れた人物でありながら、「天性無欲正直の人」と評された得体のしれない個性を持ち、東の北条早雲とともに、下剋上大名の代名詞的存在となる。尼子経久に関する小説としては「
石見銀山は2007年に世界遺産にも指定されている。最盛期には世界の産銀量の三分の一が日本で産出され、その大部分がこの石見銀山で産出されたらしい。
ここで、街道をゆくの旅に戻る。旅の始まりの米子空港は、地方空港の中では小さな空港となる。現在では、水木しげるにちなんで「米子鬼太郎空港」と呼ばれており、水木じけるの代表作である「ゲゲゲの鬼太郎」がメインキャラクターとなった空港となっている。
そこから安来節で有名な安木市に入る。
安来市には、世界的にも有名な日本一美しい日本庭園と日本美術をフュージョンさせた足立美術館もある。
「和鋼記念館」を見た後、八岐大蛇が退治されたという鳥上木(船通山)の麓にある鳥上木炭銑工場を訪れた。その後、宍戸湖畔を西進する。
旅は現存する日本唯一の近世たたら遺跡「菅谷たたら」を訪ね、出雲街道の難所・四十曲峠を越えて岡山に入り、湯原温泉に行ったところで終わる。
次回は、奈良県・大和・壺坂の道について述べる。
コメント
[…] 「街道をゆく」第7巻より。 前回は島根県・出雲を訪ねる砂鉄の道について述べた。今回は、奈良県・大和・壺坂の道について述べる。旅の始まりは大和八木駅から、壺坂に向かう途中 […]
[…] 10月下旬から12月上旬の旧暦の10月は神無月(かんなつき)と呼ばれ、日本中の神が”街道をゆく砂鉄のみち(出雲)“で述べている出雲大社に集まるため、神がいない月となるため、そのような呼び名になったとも言われている。 […]