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サマリー
『方丈記』(ほうじょうき)は、鎌倉時代に書かれた日本の随筆であり、禅宗の僧侶である鴨長明によって書かれたもので、作品は、一人の人間が自然と共存する生活を描き、禅宗の教えや仏教的思想が含まれたものとなる。
『方丈記』は、全20章からなり、自然や季節の移ろい、風景、動物、植物などについての描写が豊富に含まれており、その内容は、自然や人間関係、生死、時間など、人間の基本的な問題について深く掘り下げた哲学的な作品となる。また、その美しい表現力と思索力から、古今東西の文学作品の中でも特に高く評価されており、また、日本の文化や美意識に大きな影響を与えた作品の一つとしても知られているものとなる。
ここでは、この方丈記についてNHK100分de名著「方丈記」をベースに述べる。
方丈記とはどのようなものか
方丈記は、国語の教科書などにもしばしば登場する、多くの人になじみの古典となる。その書き出しは
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
流れる川の流れは絶え間ないが、しかし、その水はもとの水ではない。よどみの水面に浮かぶ泡は消えては生じて、そのままの姿で長くとどまっているというためしはない。世の中の人間と住まいも、これと同じなのだ
となる。読み手が惹きつけられる印象的な書き出しだか、ここだけが記憶に残っていて、その先を読んだ覚えがない、何が書かれてあるか知らない、という人も多くいる。方丈記の最大の不幸は、あまりに有名な冒頭のために読んだ気になってしまい、その先が読まれていないことだと言っても良い。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」という冒頭のとおり、この世にあるものは全て移ろう。
方丈記といえばこの書き出しによって「無常の文学」と思われがちだが、次を読み進めてみると、そこに書かれているのは哲学的な無常観ではなく、はかない世の中のあり用を説明するために「世の不思議」、つまり平安京を襲った五つの災厄が、まるで流ポタージュにようにいきいきと、迫真の描写で綴られている。
方丈記はいわゆる普通の随筆ではない。しばしば「三大随筆」の一つといわれ、清少納言の「枕草子」、兼好法師の「徒然草」と並び称されるが、随筆というものは筆の向くまま気の向くまま、思いついたことを縷々綴っていくもので、「枕草子」も「徒然草」も一つ一つの章段は大変短く、全体としてそれらがスクラップブックのようになっていて、天気のこと、食べ物のこと、人間関係、世間の噂などバライティに富んでいるのに対して、「方丈記」は基本的には一つのテーマについて書き通した一話完結の書で、一話のみなのでボリュームもなく、四百字詰め原稿用紙に換算すれば、わずか二十枚程度の分量となる。
その「方丈記」のテーマは「自分」であり、自分の経験、自分の暮らし方、自分の人生観、自分の考え方、自分の感じたことなど、徹底徹尾一人語りの形で自分について書いた「自分史」となる。そこが「枕草子」「徒然草」とは決定的に違うものとなる。
それらは鴨長明の「つぶやき」あるいは「ぼやき」でもあり、現在でいうとまるでツイッターでの文字となる。このような個人的な文章は、よほどの名著でないと後世に戻ることはない。今のように出版社が商品化して売ってくれるものではないし、宣伝してくれるわけでもない。読みたいという人が現れ、筆写してくれることで世の中に伝わっていくのを期待するしかない。特に町名の場合は、新園バックアップもなく、有力者からの依頼で書いたものではないので、「口コミ」だけで生き残ったという大変優れた作品であるということになる。
長明は若き日から文学への志が高く、多くの歌を詠い、歌集も編んだ。地下の芸術家集団では若い頃から頭角を表していたものの、中央の歌壇で脚光を上げたのは老年になってのほんの一瞬で、その後再び転落の人生となり、そのようなどん底の人生が、方丈記に綴られる生活スタイルとなり、芸術的な感性も磨かれた完成度の高い作品となったということもできる。
さらに末世といわれた無常観ただようような時代であったことも読み手に受け入れやすい背景としてはあった。方丈記ほ執筆した建暦二年(1212)、三年は鴨長明にとって「書くなら今しかない」という最大のチャンスであった。こうした機会を逃さずものにしたのは、芸術家としての鋭い勘もあったものと考えられる。方丈記はもっとも書かれるにふさわしい時期に、書き手の最高のモチベーションと、最高の文学的習熟を持って誕生した。
興味深いことに、方丈記は、かつてない親近感をもって現代の人々に読まれつつある。長明の言葉は、今の時代にぴったりとあったツイッターのような存在として捉えることができる。そう見えるのは、現在日本が、方丈記が執筆された当時に劣らぬ激変の時代であり、多くの日本人が先の見えない時代に、どう生きたら良いかを探し求めているからだと考えることもできる。2012年は方丈記がかかれてから八百年であり、これを機に長明をフォローする人が多く現れ、人々の価値観を変えていくことがあるかもしれない。
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