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明治時代の日本アートのと岡倉天心とフェノロサ
今回は、”日本のアートの歴史と仏像につにいて“では少し流していた明治以降のアートの流れについて述べる。
明治維新は、江戸時代の幕府体制を終焉させ、明治政府を樹立し、西洋の近代化を模範とした大規模な社会的・文化的変革をもたらし、これにより、日本は長い間の孤立主義的な姿勢から脱却し、国際的な舞台で活動する国となっていった。この明治維新は、日本の歴史において重要な転換点となっており、アートや文化においても、大きな影響を与えている。
日本で一番最初に設立された国立美術教育機関は、明治時代の初期に工部省が創設した技術者養成機関であり、現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校の付属機関として設立された工部美術学校となる。その目的は西洋の文化の早急なキャッチアップであり、その過程の中で日本のアートは否定され、打ち捨てられていった。
これに対して、大森貝塚を発見して日本初の古墳発掘を行ったり、江ノ島に『臨海実験所』を作って日本独自の生物研究を行うなど、積極的な日本研究を行っていたエドワード・S・モースの紹介で来日し、東京大学で講義していたアーネスト・フェノロサが日本美術に深い関心を寄せ、助手であった岡倉天心と共に、壊滅的な状態であった日本のアートの評価を回復させていった。
江戸時代までは、”富士登山の歴史と登山競走“でも述べられている神仏習合という日本ならではのユニークな宗教観によって、これは、”禅の思想と歴史、大乗仏教、道の思想、キリスト教“にも述べられているように仏の概念が時間軸/空間軸で無限に広がりすべてのものを飲み込んだ為、神と仏は同じ宗教観の上で語られるようになっていた。これが明治自体になり、明治天皇を神と崇め神道による国家統一を謀るようになって、明治政府により神と仏を明確にわけるための神仏分離令が出され、その結果、寺院や仏像の価値が大きく損なわれて、例えば奈良の興福寺の五重塔は25円(現在の価値でも20万円程度)で落札されるようなことが現実に行われる。
またこの流れは、西洋文化を尊び日本文化を棄却する流れとなり、”浮世絵と新版画 – アートの世界の古き良きもの“でも述べているように、現在では評価されている浮世絵も、当時は陶磁器を輸出する為の包装紙の役割しか与えられていなかった。
これに対してフェノロサは聖徳太子の等身像ともいわれる、法隆寺の救世観音菩薩立像(くせかんのんぼさつりゅうぞう)を見た時に、自著『東洋美術史綱(とうようびじゅつしこう)』でこの像を「プロフィルの美しさにおいて、古代ギリシャ彫刻に迫る」と絶賛している。
さらに“唐招提寺のトルソー”の名で知られる如来形立像(重文)などの破損仏に対しても
これまで信仰の対象として、仏像に完全な姿をもとめて破損仏を重要視していなかった日本の見方に対して、西洋では、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケに代表されるように、一部が欠損した彫刻にも美術的な価値があることを示した。またフェノロサは薬師寺でも
「薬師寺のなにもかもをひとつの全体としてみる時、その美的価値は、わざわざ多大の時間と費用をかけてアメリカから日本を訪れた研究旅行者の期待に十分応えてくれる」と『東洋美術史綱』の中で書き残している。
このようなフェノロサの活動を通して、日本の美術を再評価する流れが作られ、それが国宝の制定へとつながっていく。現在国宝は美術工芸品が906件、建造物が230件の合計1136件となっている。
岡倉天心と茶の本
岡倉天心(おかくら てんしん)は、このフェノロサが東京大学で教えていた時代の学生の一人であり、フェノロサの右腕となって、通訳兼助手の役割を担うようになった人物である。
彼は、フェノロサの考え方にも感化され、日本の伝統文化の価値を再評価し、西洋文化と日本文化の融合を行う活動を行なっていた。また、彼は東京美術学校(現・東京藝術大学の前身)の設立に大きく貢献し、後年に日本美術院も創設している。
岡倉天心は、茶道や日本の美術に対する熱い関心を持ち、その思想やアイディアを多くの著作を通じて広めていた。彼の書物の中で特に「茶の本」という著書が有名なものとなる。
これは、茶道と日本文化の精神的側面に焦点を当てた著作で、茶道を通じて人間性や美的感覚を深める重要性を説いている書物となる。
「茶の本」では、茶道が単なる飲み物の提供ではなく、日本の美意識や礼儀作法、自然との調和など、より広い文化的な要素と結びついていると説いている。岡倉天心の視点から見ると、茶道は単なる飲用の行為以上のものであり、人々に心の静けさや精神性をもたらすものであると考えられたのである。
天心は「茶の本」の中で以下の様に述べている。
「茶道は、雑然とした日々の暮らしの中に身を置きながら、そこに美を見出し、敬い尊ぶ儀礼である。そこから人は、純粋と調和、たがいに相手を思いやる慈悲心の深さ、社会秩序への畏敬の念といったものを教えられる。茶道の本質は、不完全ということの崇拝──物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある。不可能を宿命とする人生のただ中にあって、それでもなにかしら可能なものをなし遂げようとする心やさしい試みが茶道なのである・・・
現代世界において、人類の天空は、富と権力を求める巨大な闘争によって粉々にされてしまっている。世界は利己主義と下劣さの暗闇を手探りしている有り様だ。知識は邪心によって買い求められ、善行も効用を計算してなされるのである。東と西は、荒れ狂う大海に投げ込まれた二匹の龍のように、人間性の宝を取り戻そうとむなしくもがいている。再び女媧(*17)があらわれてこのすさまじく荒廃した世界を修理してくれることが必要だ。偉大なアヴァター(この世にあらわれる神の化身)が待ち望まれるのである。
それまでの間、一服して、お茶でも啜ろうではないか。午後の日差しを浴びて竹林は照り映え、泉はよろこびに沸き立ち、茶釜からは松風の響きが聞こえてくる。しばらくの間、はかないものを夢み、美しくも愚かしいことに思いをめぐらせよう・・・
禅における「愚」や「大愚」という語の使い方を考えると、世俗の功利的な価値観から見れば役立たずでありながら、そうであればこそ、逆に功利的な尺度ではとらえることのできないような広大無辺な精神的価値、それが愚となる。つまり、愚かさというものこそが、すべての智の可能性を含んでいる。いろいろな知識で自分を満たしてしまうのではなく、自分をからっぽにしてこそ、そこに世界の真理を読み込んでいける。
自分で偉大だと自惚れているものが実はちっぽけなものにすぎないことがわからないものが、ちっぽけと軽んじている他人のものが実は偉大なものであることを見過ごしがちである。
日本がこの平和で穏やかな芸妓にふけっていた間は、西洋人は日本のことを野蛮な未開国だとみなしていたものである。それが、近頃になって日本が満州を戦場にして敵の皆殺しに乗り出すと(日露戦争)、日本は文明国になったというのである。近年、侍の掟-日本の武士が進んで自分の命を捧げる「死の術」について盛んに論じられているが「生の術」を説く茶道に関してはほとんど注意を払われていない。無理解も甚だしいがやむを得ない。戦争という恐ろしい栄光によらねば文明国と認められないというのであれば、甘んじて野蛮国にとどまるとしよう。私たちの芸術と理想にしかるべき尊敬が払われるのを待つとしよう。
茶の歴史を振り返った時、茶そのものも、その背景にある老荘思想、道鏡、禅などの哲学も全て中国でうまれたものであるが、それらが融合され、作動して完成されたのは日本においてである。」
天心の考えは、”水のように生きる-老子思想の根本にある道“で述べている道教や、その流れを汲む”禅の思想と歴史、大乗仏教、道の思想、キリスト教“や”禅とアート“で述べている禅の思想に基づいている。
禅の主要な特徴は、直感的な理解や直接体験を重視し、言葉や概念を超えて真理を追求することであり、そこでは、現在の瞬間を大切にし、その瞬間に意識を向けることの重要性を強調されている。茶を飲む行為も、茶を通じて心の静寂や精神性を探求する美的実践であり、そこでは「和敬清寂」と呼ばれる、和やかで他人を敬い、清らかで静寂な状態を保ちながら、茶を淹れ、飲む行為が重要とされている。
「茶の本」と同時期に発刊されて欧米でも人気を博した新戸部稲造の「武士道」が「侍の掟-日本の武士が進んで自分の命を捧げる「死の術」」について述べられているのに対して、
「茶の本」は「生の術」を説いている。そこで重要とされるのは、戦いでも誇りでもなく、美と平和であり、
「それまでの間、一服して、お茶でも啜ろうではないか。午後の日差しを浴びて竹林は照り映え、泉はよろこびに沸き立ち、茶釜からは松風の響きが聞こえてくる。しばらくの間、はかないものを夢み、美しくも愚かしいことに思いをめぐらせよう・・・」
という言葉は、茶道を実践する際の禅的な心のありようを表している。茶を飲む行為は、禅と同様に、物質的な価値や外的な成功よりも、内面的な成長や洞察を追求する行為となるのである。
コメント
[…] 明治のアート フェノロサと岡倉天心と茶の本 […]
[…] 絵師であったため、徳川幕府の崩壊とともにパトロンを失い消滅していき、”明治のアート フェノロサと岡倉天心と茶の本“で述べている明治のアートの世界に移り変わっていく。 […]
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