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サマリー
旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。
今回の旅は新潟となる。新潟は本州の中央、日本海側に位置し、”街道をゆく 佐渡の道“で述べた佐渡島を擁する。近代以前の日本は農業国であり、稲作に適した広大な越後平野を持つ新潟見は、米の収穫高が大きく、人口涵養能力が高く、また”街道をゆく 北国街道とその脇街道と古代日本の謎“でも述べている様に19世紀以前は海運が主流で、特に日本海側を運行する北前線が太平洋航路よりも安全かつ安価であったため、近隣の金沢や富山と合わせて商業が盛んであったため、明治時代は日本で一番人口の多い県であった。
この流れも明治時代以降、工業化で太平洋ベルト地帯が発展し、更に北海道の開発も活発になることによって、新潟を含む日本海側から太平洋岸、あるいは北海道に人口が流出することとなった。
歴史的には、”街道をゆく- 仙台/石巻“で述べているのと同様にヤマト政権の勢力が及んでおり、北方を支配する蝦夷(えみし)から守るため、大化3年に「渟足柵(ぬたりのき)」と呼ばれる防御の為の建物が置かれ、鎌倉時代での関東の御家人による支配を経て、室町時代には、上杉氏が守護となり、長尾氏が守護代として上杉氏の代わりに春日山城で権力を握っていた。
この長尾氏の中から現れたのが、戦国武将として有名な長尾景虎(後に上杉家を相続して上杉謙信となる)となる。
上杉謙信は「越後の龍」と呼ばれ、隣接する甲斐の国の武田信玄と足掛け12かけて激戦を重ね(川中島の戦い)、また当時勢力を伸ばしつつあった織田信長にも唯一恐れられる武将であったと言われている。
また、謙信は仏教を深く信仰し、義の心を育み、助けを求める者に手を差し伸べるなど、有名な「敵に塩を送る(海のない甲斐の信玄への塩の輸出停止制裁に参加せず、謙信は塩を送った:窮地にある敵の弱みにつけこまず、逆に救うという使い方がされる古語)」という言葉で代表される様な義に厚い武将でもあったらしい。」
ちなみに1988年にNHKの大河ドラマ「武田信玄」では上杉謙信を柴田恭兵が演じていたが、戦国期によくある部下同士の土地争いのいざこざが続くことに辟易して、寺に籠るシーンは今でも印象に残っている。
謙信亡き後、”街道をゆく 羽州街道-山形の道“でも述べている後を継いだ上杉景勝は、謙信の最も嫌がっていた兄弟同士の跡目争いでその勢力を大幅に減少させ、越後の国から山形/米沢に移らざるを得なくなったものは皮肉以外の何ものでもない。
この後、江戸時代には長岡藩、新発田藩、村上藩などがおかれ、江戸末期の戊辰戦争では、長岡藩の家老河合継之助を主人公とした時代小説「峠」が司馬遼太郎により書かれている。
この小説は「峠 最後のサムライ」として2022年に映画化もされており、HuluやAmazonプライムで見ることができる。
新潟の地名の由来は「新しい潟」となる。ここでの潟は、遠浅(とおあさ)の海岸で満潮の時は隠れ、潮が引くと現れる所や沼地を指し、文字通り明治までは沼地であった信濃川と阿賀野川に挟まれた地帯を、現在見られるような緑の美田に乾田化したプロジェクトが大々的に行われ、司馬遼太郎等はそれらの中心地である亀田郷を訪れている。
亀田郷は昭和二十年くらいまでは、子どもが田んぼの中に立つと口の中に水が入ってくるほどの水の深い深田であったらしい。
それが巨額の国家予算が投じられ、乾田化が進められた。乾田化が一気に進んだのは、昭和23年に『栗ノ木排水機場』ができてからで、
亀田郷の水は、排水機場のポンプで信濃川に排出され、昭和30年代の後半になってやっと土地が大きく乾き、現在はアルビレックス新潟のホームスタジアムである『デンカビッグスワンスタジアム』や新潟市民病院などが次々と建ち並び、新潟市の中心地となりつつある地域になっていった。
次回は姫路城で有名な兵庫播州揖保川・室津みちとなる。
コメント
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