雪舟と自由自在

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雪舟

雪舟は現在から約600年ほど前の室町時代(1400年代後半)に活躍した水墨画家で、雪舟のエピソードで有名なものは、子供の頃に寺に預けられ、悪戯をしたためお仕置きとして柱に縛り付けられていた時、流した涙を使って足でまるで生きているかのようなネズミの絵を描いた、といううものがある。また、”街道をゆく 京都の名寺と大徳寺散歩 – ダダと禅と一休“にも述べている京都の相国寺で修行を積んだ禅僧でもある。

以前”ゆらぎの美 -日本画と和様の書について“で述べたように、鎌倉時代以前の日本の絵画は「大和絵」と呼ばれる日本の風物や物語を主題としたものであったのに対して、鎌倉時代以降”禅と寺と鎌倉の歴史(臨済禅と鎌倉五山)“でも述べているように新興宗教(禅宗)が中国より輸入され、禅宗は”禅とアート“でも述べているように絵画や書などのアートと結びつき、水墨画とよばれる墨の濃淡で表現する絵画が輸入されてきた。

雪舟は、”街道をゆく – 長州路“でも述べている山口の大内氏の送った遣明船で中国に渡り(1468年)、2年間本場の水墨画に触れる機会に恵まれた。その後、山口に戻り中国画にならった日本的水墨画を完成させたとされている。

彼の代表作としては四季山水図鑑がある。

また、最晩年である80代に、実際に天橋立が見える栗田半島(現京都府)に立って描いたとされている天橋立図や

中国禅宗の開祖とされている達磨大師を描いた慧可断臂図などもある。

彼の絵の特徴は、天橋立図で見られるように、構図的なバランスを取るために、実際の風景の構成を変えたり、遠近の作画ルール(手前を緻密に描き、遠くをぼかして描く)を無視して、お得にある最も注目したい主題をはっきり描いたり、慧可断臂図に見られるように達磨のシルエットをマーカーのような均一な線で描いたり、”なんでもあり”なスタイルで自らがやりたいように絵を描くことにある。

西洋美術での”なんでもあり”

このような”なんでもあり”なアプローチは、西洋美術の世界でいうとジャン・フランソワ・ミレーに代表される写実主義の画風から

印象派と呼ばれる、空間と時間による光の質の変化の正確な描写、描く対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動きの包摂、斬新な描画アングルなど、これまでのアプローチと異なったアプローチで絵が描かれ

さらに”アートとプログラミングに共通する美について“でも述べている抽象主義と呼ばれる、具体的な対象を写すという絵画とは異なるアプローチに進み

ついには、顔料キャンバスに細心の注意で塗るかわりに、垂らしたり飛び散らせたり汚しつけたりするような手法で、具体的な対象を描いたというよりも、絵を描くという行動(アクション)それ自体が表現されたアートとなるアクションペインティング、あるいはアンフォルメル呼ばれるアプローチとなっていく過程でも見られる。

雪舟と自由自在

このような”なんでもあり”という行為、別の言い方だと「ノールール」の営みを頭だけで考えるのでなく実際に行うことで、いろいろな価値観が明るみに出て、隠れた真実が見えてきて、それがアートの新しい流れとなっていく。

この”なんでもあり”というアプローチを自然科学のような堅固なジャンルに適用したものが”量子力学と人工知能と自然言語処理“で述べている量子力学であり、数学の世界にあてはめたものが、”可能世界と論理学と確率と人工知能と“で述べている「可能世界」と確率論となる。

無可不無可“に述べているように、禅の教えでは「さまざまな縁によって発現する自分の可能性は本当は無限であり、できるかできないかをやってみる前に判断するのは自分の可能性をみくびることだ」とされている。また、”冷暖自知“で述べているように、「小理屈を考えるのではなく、自分で行動して体験することが大切である」とも教えている。

このように禅の世界では、既存の視点だけでなく無限の可能性を認めて、それを観るためには自ら動くことを推奨している。禅僧でもある雪舟の”なんでもあり”のスタンスはこの禅の考えからきたものとだと考えることができる。

“自由”という言葉は、今日では明治時代に輸入された”Liberty”(何事にも規制されていない状態や免除)や”Freedom”(抑圧や束縛からの解放や勝ち取った自由)というキリスト教の信仰から生まれたことばを翻訳したものが主たる解釈となっているが、仏教の言葉での”自由”は、「自らに由る」とあるように、自らの意志をよりどころにすることを意味した言葉であり、執着から解き放たれた状態である「解脱」を表すものとなる。

前述のように天橋立図は80代になって、現地に立って描いたとされており、雪舟は自由自在かつ元気に人生を送っていたことが、彼の作品群からも伺うことができる。

 

コメント

  1. […] 雪舟と自由自在 […]

  2. […] 長州の路は、津和野を抜けた後、日本海側の益田(地図右上)に向かい、医光寺の”雪舟と自由自在“でも述べている雪舟の作といわれる庭を眺めたところで終わる。 […]

  3. […] 雪舟と自由自在 […]

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