日本語の美 – 勅撰歌集について

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はじめに

俳句の歴史とコミュニケーションの観点からの俳句の読み“でも述べている俳句のルーツは連歌にある。連歌とは和歌31文字の上の句(五七五)、下の句(七七)を複数の連衆(連歌・連句の会席に出て詠み合う人々)が交互に読み継ぎ百句つくるものとなる。

連歌は、平安時代に和歌を詠む貴族たちが、私的な場の座興として始めたといわれており、それが室町時代になると公の正式な詩歌と見なされ、政治とも密接な関わりを持つようになる。

勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、そのような和歌に対して、天皇上皇の命により編纂された歌集であり、『古今和歌集』((905年)成立)に始まり、『新続古今和歌集』((1439年)成立)までの534年間で編集された21の勅撰和歌集(二十一代集)となる。

和歌は、日本の古典文学において非常に重要な位置を占める詩の形式であり、日本語の美を象徴し、自然や人間の感情を簡潔でありながらも深い表現で捉え、日本語の持つ音韻やリズムを最大限に活かした芸術作品となっている。

今回はそれら勅撰歌集について述べてみたいと思う。代表的な勅撰和歌としては以下のようなものがある。

古今和歌集

最初の勅撰和歌集である古今和歌集(こきんわかしゅう)は、905年頃に編纂されている。この和歌集は紀貫之(きのつらゆき)をはじめとする歌人たちが編纂を担当したもので、以下のような特徴を持つ古今和歌集は、和歌の歴史において非常に重要な位置を占めている。

1. 和歌の形式美と技巧の発展: 古今和歌集は、和歌の形式美や技巧が大きく発展した時代を象徴しており、和歌の構成や表現において、掛詞(かけことば)や縁語(えんご)、序詞(じょことば)などの修辞技法が積極的に使われ、和歌の表現が非常に洗練された。

2. 恋愛歌の中心的な位置: 恋愛歌が全体の約3分の1を占めており、特に恋の初めから成就、そして失恋や別離に至るまでの様々な感情が丁寧に描かれている。恋愛に関する繊細な心の動きが和歌を通して表現されており、恋愛歌の形式が確立されたといえる。

3. 四季の歌の重視: 四季をテーマにした和歌が多く収められており、特に、春と秋が中心的なテーマとなっている。季節の移ろいに対する感受性が高く、自然描写が豊かで美しいものが多いのが特徴で、季節の中で感じる人の心の変化を詠んだ和歌も多く見られる。

4. 感情表現の多様性: 和歌を通して、喜び、悲しみ、寂しさなど、様々な感情が表現されており、特に、自然や恋愛を通じた人の心の動きを繊細に表現することに重きが置かれている。『古今和歌集』の和歌は、感情の微妙な変化や深さを捉え、情感豊かな作品が多い。

5. 言葉遣いの洗練: 言葉の選び方や響きに非常に注意が払われており、和歌の言葉遣いが洗練されている。古典的な雅な表現が多く、和歌の中で用いられる言葉の美しさや響きが重視されている点が特徴となる。

6. 仮名序(かなじょ)の存在: 紀貫之が書いた「仮名序(かなじょ)」は、日本語で書かれた最初の文学的な序文としても知られ、『古今和歌集』の序文として、和歌の意義や美について論じられている。この仮名序は、日本文学史においても非常に重要な文書とされている。

7. 和歌の選定基準: 古今和歌集では、単に技術的に優れた和歌だけでなく、感情表現が豊かであることや、風流さが感じられる和歌が選ばれている。この選定基準は、後の勅撰和歌集にも影響を与えている。

古今和歌集は、日本の和歌の基礎を築き上げ、その後の和歌文化に大きな影響を与えている。これらの作品は、雅やかで情感豊かな表現が特徴的で、以降の和歌の模範となる作品が多く含まれるものとなっている。

以下に『古今和歌集』に含まれる代表的な和歌について述べる。

1. 在原業平(ありわらのなりひら) – 「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」
– 読み: ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは
– 意味: 神々しい古代の時代でも聞いたことがないような、龍田川が真紅に染まっているという景色を見たことがない。
– 背景: この和歌は、紅葉が川に流れ込んで真紅に染まる龍田川の風景を詠んだもので、「ちはやぶる」という枕詞(特定の言葉に掛ける修辞技法)を使い、自然の美しさと神秘的な雰囲気を巧みに表現している。

2. 紀貫之(きのつらゆき) – 「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」
– 読み: ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける
– 意味: 人の心はわからないけれども、故郷の桜の花だけは昔と変わらず香っている。
– 背景: この和歌は、人の心が変わりやすいことを嘆きながらも、変わらぬ自然の美しさに安らぎを見出す心情を表現している。貫之は『古今和歌集』の編纂者の一人であり、この和歌は彼の感性と技巧をよく表している。

3. 小野小町(おののこまち) – 「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
– 読み: はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに
– 意味: 桜の花の色が色褪せてしまったように、私の美しさもむなしく衰えてしまった。長い時間、物思いにふけっているうちに。
– 背景: 小野小町は、平安時代を代表する美貌の歌人として知られています。この和歌は、彼女が歳を重ねるにつれて感じた美しさの儚さと、時の流れに対する悲しみを詠んだもので、「ながめ」は「眺め」と「長雨」の掛詞で、物思いにふける様子をより深く表現している。

4. 素性法師(そせいほうし) – 「今来むと いひしばかりに 長月の ありあけの月を 待ちいでつるかな」
– 読み: いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな
– 意味: 「今行く」と言ったその言葉を頼りに、夜明けまでの長い時間、ありあけの月が昇るのを待ってしまった。
– 背景: この和歌は、約束をした人を待つ恋人の心情を詠んだもので、「長月のありあけの月」という夜明け前の静かな時間帯を背景に、切ない期待と焦りが巧みに表現されている。

5. 光孝天皇 – 「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」
– 読み: きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ
– 意味: あなたのために春の野に出て若菜を摘んでいると、私の袖に雪が降りかかってくる。
– 背景: この和歌は、春の訪れと冬の名残を感じさせる美しい一首であり、愛する人のために自然の中で働く姿が描かれている。

6. 藤原敏行 – 「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」
– 読み: あききぬと めにはさやかに みえねども かぜのおとにぞ おどろかれぬる
– 意味: 秋が来たとは、目にはっきりとは見えないけれど、風の音に驚いて秋の訪れを感じる。
– 背景: この和歌は、季節の移り変わりを風の音によって感じ取る繊細な感受性を表現しており、秋の訪れを視覚的には捉えられないものの、聴覚を通じて感じ取るという情緒豊かな一首となっている。

これらの和歌からは、馴染みが薄い言葉遣いではあるが、平安時代の人々の繊細な感情や美意識が感じられる。

拾遺和歌集と後拾遺和歌集

拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)は、古今和歌集、後撰和歌集に次ぐ第三番目の勅撰和歌集で、1005年頃に成立。後拾遺和歌集は、拾遺集の後継として編まれたもので、1086年に完成したものと言われている。

拾遺和歌集、後撰和歌集の特徴としては以下のようなものがある。

1. 詩的な多様性と豊かさ: 和歌の選定において、詩的な多様性と豊かさが重視されており、自然や恋愛だけでなく、宗教的なテーマや社会的な事象についても詠まれた和歌が含まれて、和歌の表現の幅が広がっている。

2. 技巧的な表現の深化: 掛詞(かけことば)、縁語(えんご)、序詞(じょことば)などの技巧的な修辞がさらに深化しており、技術的な完成度が高く、和歌の表現において新たな工夫や技術が取り入れられている。

3. 個人の感情と日常生活の反映: 和歌に、詠み手の個人的な感情や日常生活の出来事が色濃く反映され、読者に対して親しみやすさを感じさせる。

4. 古典との繋がり: 古典的な和歌集(特に『古今和歌集』や『後撰和歌集』)からの影響を受けつつ、新たな和歌を加えている。これらの歌集は絢爛たる王朝文化が衰退しはじめた頃、華やかなりし昔を振り返ったものとなっている。

5. 恋愛歌の豊富さ: 恋愛をテーマにした和歌が多く収められており、恋の喜びや苦悩が多様な視点から描かれており、恋愛に対する繊細な感情や複雑な心情が、和歌の中で深く表現されている。

6. 季節感の描写: 四季をテーマにした和歌も多く、自然の美しさや季節の移ろいが細やかに描かれている。季節ごとの風景や感情の変化が詠まれ、自然との結びつきが強調されている。

拾遺和歌集は、詩的な表現の多様性と技巧の豊かさが特徴的であり、、後拾遺和歌集は、和歌の発展をさらに深めるために編纂された作品となっている。これらの作品は古典的な伝統を尊重しつつ、新しい感受性や視点を取り入れることで、和歌の深みと広がりをさらに豊かにし、和歌の歴史において重要な位置を占めている。

以下に、それらの中に収録されている代表的な和歌について述べる。

1. 壬生忠見(みぶのただみ) – 「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」
– 読み: こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもいそめしか
– 意味: 「恋をしている」と、私の噂が早くも立ってしまった。誰にも知られずに恋をし始めたはずなのに。
– 背景: この和歌は、密かに恋心を抱いていたはずなのに、いつの間にか噂になってしまったことを嘆き、恋の噂が広まる速さと、それに対する戸惑いや驚きを詠んだものとなっている。

2. 良暹法師 – 「さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮」
– 読み: さびしさに やどをたちいでて ながむれば いずこもおなじ あきのゆうぐれ
– 意味: 寂しさに耐えかねて宿を出て外を見ると、どこを見ても同じように寂しい秋の夕暮れが広がっている。
– 背景: この和歌は、世捨て人になった作者が、秋の寂しさをしみじみと感じている歌となる。

3. 藤原道信 – 「あけぬれば 暮るるものとは 知りながら なお恨めしき 朝ぼらけかな」
– 読み: あけぬれば くるるものとは しりながら なおうらめしき あさぼらけかな
– 意味: 夜が明ければまた夕方が来ると分かっているけれど、それでも夜明けの時は恨めしいものだ。
– 背景: この和歌は、夜明けに恋人と別れなければならない悲しみや恨めしさを表現しており、夜明けが来るたびに感じる別れのつらさが、道綱母の繊細な感情として詠まれている。

4. 和泉式部(いずみしきぶ) – 「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」
– 読み: あらざらん このよのほかの おもいでに いまひとたびの おうこともがな
– 意味: もうすぐこの世を去るだろうから、あの世での思い出として、もう一度あなたに逢いたい。
– 背景: この和歌は、死を前にした切ない恋心を詠んだもので、和泉式部の作品は感情の豊かさと率直な表現が特徴となる。

5. 藤原実方 – 「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
– 読み: かくとたせに えはやいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもいを
– 意味: せめて、こんなに私がお慕いしているとだけでもあなたに言いたいのですが、言えません。伊吹山のさしも草ではないけれど、それほどまでとはご存知ないでしょう。燃えるこの想いを
– 背景: この和歌は、恋の熱い思いを「さしも草」(ヨモギ)にたとえて詠んだもので、風が通り過ぎる寂しい場所で、誰にも知られずに燃える恋心を表現している。

新古今和歌集

新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)は、鎌倉時代初期の1210年頃に完成した第八番目の勅撰和歌集で、後鳥羽院の命により編纂されたものとなる。この和歌集は、以下のような特徴を持ち、日本の和歌史において特に重要な作品とされている。

1. 幽玄・有心(ゆうげん・うしん)の美: 新古今和歌集は、幽玄(ゆうげん)や有心(うしん)といった、美意識が強調されている。これらの概念は、物事の奥深さや隠された美を重視するもので、和歌の中で暗示的かつ象徴的な表現が多用され、これにより、和歌に深い感情や思想が込められ、独特の美的世界が形成されている。

2. 幻想的・夢幻的な表現: 新古今和歌集では、幻想的で夢幻的な表現が多く見られ、自然や恋愛をテーマにしつつも、現実離れした雰囲気を持つ和歌が多く、読者に強い印象を与えている。こうした表現は、和歌の中に新しい美の価値観を持ち込む試みとして評価されている。

3. 象徴的な自然描写: 自然描写が非常に重視されており、四季の移ろい、特に春と秋の風景が細やかに描かれている。しかし、自然は単なる風景として描かれるだけでなく、象徴的な意味を持ち、人間の感情や心情と結びついて表現されることが多く、自然と人間の心の融合が一つのテーマとなっている。

4. 技巧的な表現の頂点: 新古今和歌集では、掛詞(かけことば)、縁語(えんご)、本歌取り(ほんかどり)といった技巧的な表現が多く用いられ、和歌の技術が高度に発展している。本歌取りとは、古典的な名歌の一部を取り入れて新しい歌を作る技法で、伝統と新しさを融合させた高度な技法となる。

5. 恋愛歌の深み:  恋愛歌は新古今和歌集の中で非常に重要な位置を占めており、恋の哀愁や苦悩を深く描写する作品が多い。恋愛の感情が、より内面的で複雑に表現され、和歌に込められた感情の深さが際立っている。

6. 斬新な発想と自由な表現: 伝統的な和歌の形式を守りつつも、斬新な発想や自由な表現が試みられており、和歌のテーマや表現方法において、従来の枠にとらわれない新しい試みが数多く見られ、それが『新古今和歌集』の個性を形成している。

新古今和歌集は、北原白秋により「日本短歌最上の象徴芸術」であり「日本詩歌の本流」と賛美されている。白秋は新古今和歌集に対して、正岡子規などのアララギ派の写生的な作品に対して、「写意写生以上の香気ある象徴の世界」を求めて詠まれた歌になっていると評している。

以下に、『新古今和歌集』の代表的な和歌について述べる。

1. 藤原定家(ふじわらのていか) – 「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」
– 読み: みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆうぐれ
– 意味: 見渡すと、花も紅葉もない寂しい景色が広がっている。ただ、浦の粗末な家があるだけの秋の夕暮れだ。
– 背景: この和歌は、寂寥感に満ちた秋の夕暮れの風景を詠んだもので、『新古今和歌集』の中でも特に有名な一首となる。藤原定家は、幽玄の美を追求し、風景に内在する静けさと哀愁を詩情豊かに表現している。

2. 西行(さいぎょう) – 「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮」
– 読み: こころなき みにもあわれは しられけり しぎたつさわの あきのゆうぐれ
– 意味: 無情な私の身にも、しみじみとした哀愁が感じられる。鴫が飛び立つ沢の、秋の夕暮れの景色に。
– 背景: この和歌は、”街道をゆく – 河内のみち“でも述べている西行が、自然の中に身を置いて感じた深い感慨を詠んだもので、秋の夕暮れの寂しさが、西行の心に染み入るように描かれているものとなっている。

3. 式子内親王(しょくしないしんのう) – 「玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば 忍ぶることの 弱りもぞする」
– 読み: たまのをよ たえなばたえね ながらえば しのぶることの よわりもぞする
– 意味: 命の糸よ、もし切れるならば切れてしまえ。生き続ければ、この苦しい思いを抑えきれなくなってしまうかもしれないから。
– 背景: この和歌は、激しい恋の苦しみを詠んだもので、式子内親王は、その感情の深さと表現の美しさで知られ、特に恋愛に関する和歌で多くの名作を残している。「玉の緒」は命の象徴であり、恋心が募るあまり、命が尽きてしまっても良いという強い感情を込めているものとなる。

4. 藤原定家 – 「見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」
– 読み: みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆうぐれ
– 意味: 見渡すと、花も紅葉もない寂しい景色が広がっている。ただ、浦の粗末な苫屋があるだけの秋の夕暮れだ。
– 背景: この和歌は、『新古今和歌集』の中で、秋の寂しさを象徴する作品として有名で、藤原定家は、鎌倉時代の歌人であり、その簡潔でありながら情緒豊かな表現が評価されている。

5. 寂蓮 – 「さびしさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮」
– 読み: さびしさは そのいろとしも なかりけり まきたつやまの あきのゆうぐれ
– 意味: 寂しさは、特定の色ではない。秋の夕暮れの、杉の木立が立つ山の光景が、ただ寂しく感じられるのだ。
– 背景: この和歌は、夕暮れの静かな山の風景に、寂しさを感じ取った心情を詠んだもので、彼の繊細な寂寥感を美しく表現しているものとなる。

6. 儀同三司母 – 「忘れじの 行末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな」
– 読み: わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうをかぎりの いのちともがな
– 意味: あなたを忘れないでいるという約束を未来まで守るのは難しいので、いっそ今日で命が尽きてしまいたい。
– 背景: この和歌は、未来にわたって恋人を忘れずにいることが難しいことを嘆き、今日限りで命を終わらせたいという切実な感情を表現しており、愛の誓いの儚さとそれに対する悲しみが詠まれている。

台風一過で徐々に涼しくなっていくこの時期、和歌の豊かなテーマの一つである秋の移ろいゆく景色に対する歌を詠み、自然の美しさと儚さを感じるのも良いかもしれない。

参考情報

古今和歌集

後拾遺和歌集

新古今和歌集

 

 

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