シミュレーション仮説と古典論理と非古典論理

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シミュレーション仮説

THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』では、私たち自身の身体と心を含む、すべてのものがコンピュータの中にあるという可能性「シミュレーション仮説」について述べられている。

これは、コンピューターが発達して意識を持つ人工知能が実現可能な文明となったとき、宇宙の歴史、あるいはその一部をシミュレーションすることに興味を持ち、最終的に、知的生命体が生まれて進化する、極度に洗練された「模擬宇宙」を創造することになるだろうというものとなる。

このような仮説は、映画「マトリックス」の中で、キアヌ・リーブスが演じていたコンピューター・プログラマーの主人公が、これまでの人生のすべてが、シミュレーションされた現実の中で起きていたことに気づき、人類を解放して、すべての人を現実世界に戻そうとする形で描かれていたり、

フレデリック・ポールのThe Tunnel Under the World and six more storiesや、ダニエル・F・ガロイの小説『シミュラクロン-3( 邦題:『模造世界』 )』、”SF小説「三体」と三体問題、機械学習技術“でも述べているダンシモンズのハイペリオンシリーズでも述べられている。

さらには、”荘子の思想 心はいかにして自由になれるのか“で述べている荘子の”胡蝶の夢(こちょうのゆめ)”で「夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって今の自分は蝶が見ている夢なのか」と述べられているような現実のほうが夢なのかといった説話にも繋がってくる。

古典論理の視点

我々が今いる場所は現実なのか、シミュレーションされているのかについて考えるアプローチにはいくつかある。

一つは二元論によるアプローチで、代表的なものの一つとして、デカルトの「実体二元論」と呼ばれるものがある。

デカルトの「実体二元論」は「我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、仏語Je pense, donc je suis、ラテン語Cogito ergo sum)という、デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題から始まる

ここで言う命題とは、論理学的視点において判断を言語で表したものであり、”街道をゆく – 長州路“で述べている明治時代の長州出身の思想家である西周(にしあまね)が様々な欧米の言葉を日本語に訳した際に、英語の”proposition”を日本語にしたものとなる。

命題は、真理値(真または偽)を持つ文のことを指し、”論理学をつくる 第1部論理学をはじめる 読書メモ“でも述べている論理学では、以下のように論理記号(例えば、∧、∨、¬、→、↔)と命題変数(PやQ)を使って記号化して扱うことが一般的なもので

  • (論理積/AND):P ∧ Q は「PかつQ」を意味する。
  • (論理和/OR):P ∨ Q は「PまたはQ」を意味する。
  • ¬(否定/NOT):¬P は「Pではない」を意味する。
  • (条件/IMPLICATION):P → Q は「PならばQ」を意味する。
  • (同値/BICONDITIONAL):P ↔ Q は「PとQは同値」を意味する。

この記述式を用いると、先述の「われおもう、ゆえにわれあり」は以下のように表される。

  • P: われ思う
  • Q: われあり
  • P→Q

このような体系では、二値性に基づく論理的推論のルールを用いる「古典論理」の体系で解釈が行われ、以下のような特徴を持つ。

  • 二値性原則(Principle of Bivalence): 任意の命題は、必ず「真(True)」または「偽(False)」のどちらかの真理値を持つとされ、どの命題も曖昧な状態であることはなく、必ず決定されるという考えに基づいて定義される。
  • 排中律(Law of Excluded Middle): 任意の命題 に対して、 または のいずれかは必ず真であるとされ、命題が真であるか偽であるかのどちらかでなければならないという原則を持つ
  • 無矛盾律(Law of Non-Contradiction): 任意の命題 に対して、 が同時に真であることはないとされ、同じ命題が同時に真と偽であることはないという原則を持つ。

このような必ず真か偽に分類される古典論的観点からデカルトの命題を見ると、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ず、“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明であると解釈され、このような能動性を持った考える実体は、魂霊魂自我精神、また時に意識、などと呼ばれ、この世界にあるもう一つの実体である物理的実体と合わせて、世界の究極の要素であるとしたものが「実体二元論」と呼ばれるものとなるのである。

非古典論理の視点

このような古典論理をベースとした二元論によるアプローチに対して、論理学をつくる 第4部-論理学はここから先が面白い 非古典論理 読書メモ“でも述べているように現在の論理学では、二元論とは異なった論理を、そこに当てはめるルールを変えることで構築している。

たとえば、”任意の命題は必ず真または偽のどちらかの真理値を持つ”とする二値性原則のルールを、”命題が必ずしも真または偽のどちらかであるとは限らない”とした二値性原則の否定のルールを適用しものであったり、”任意の命題 に対して、 または のいずれかは必ず真であるとされ、命題が真であるか偽であるかのどちらかでなければならない”という排中律のルールを否定したもの、複数の真理値を持つ論理体系である多値論理(Many-Value Logic)や、必然性や可能性などの様相概念を導入すた論理体系である様相論理(Modal Logic)、証明可能性に基づく論理体系である直観主義論理(Intuitionistic Logic)などになる。

この観点で”我々が今いる場所は現実なのか、シミュレーションされているのか”について考えると、様々な解釈を考えることができる。たとえば多元論(プルーラリズム)的な視点では、多様な観点や要素により答えは変わると解釈されたり、二値性原則の否定の観点からはどちらの答えも一定の割合でありうるという確率的な解釈をすることができる。

非古典論理の何でもありの世界は、”禅の思想と歴史、大乗仏教、道の思想、キリスト教“でも述べている禅の思想であるとも言える。

また実用的な観点では、”問題解決手法と思考法及び実験計画“でも述べている問題解決のための多様な視点の獲得のために役立ち、人工知能技術としても”機械学習における確率的アプローチ“などの確率的アフーローチのベースの概念となる。

コメント

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