アランの幸福論と禅の気づき

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アランの幸福論

「アラン」とは、フランスの哲学者エミール=オーギュスト・シャルティエ(1868年 – 1951年)のペンネームであり、彼の著書『幸福論』は、人間の幸福についての洞察と助言を提供するエッセイ集として知られているものとなる。

アランは当時としては非常に珍しい、ジャーナリズムと深く関わった哲学者であり、一九〇三年、「ルーアン新聞」に「Propos de dimanche(プロポ・ド・ディマンシュ)」という記事を連載している。「プロポ」はフランス語で「語録」、「ディマンシュ」は「日曜日」という意味で、「日曜雑話」とでも訳される。これは、便箋二枚でひとつの話題について書くという、今で言うコラムのようなものとなる。

 プロポは書かれた年代順に本として出版するかたわら、テーマ別に集め直すという、縦糸と横糸のような二つの軸で編まれており、テーマ別の種類としては、「宗教についてのプロポ」「美学についてのプロポ」「経済についてのプロポ」「教育についてのプロポ」「文学についてのプロポ」「キリスト教についてのプロポ」などがあって、そのなかの一つが「幸福についてのプロポ」で、これが日本で言う「幸福論」となっている。

 一九二八年の「幸福論」第二版には、九十三編のプロポが収録されており、並び方は時系列に沿ってはおらず、一九〇五年から一九二六年までの二十一年間にかけて書かれたものから、「幸福」をテーマにしたものがピックアップされて並んでいる。

「幸福論」の主要なテーマとしては以下のようなものがある。

  1. 幸福の定義: アランは、幸福を単なる感情や外的な成功に限定せず、内面的な平静さや心の状態と捉えている。彼にとって、幸福は心の持ち方や考え方に大きく依存している。
  2. 行動と習慣: 幸福は日々の行動や習慣によって形成されると考える。ポジティブな習慣を身につけることで、自然と幸福な心の状態に近づけると彼は主張している。
  3. 理性と感情のバランス: アランは、理性と感情のバランスが重要だと説いている。理性的に物事を考え、感情に流されずに冷静に対応することで、安定した幸福を得ることができると考えている。
  4. 日常生活の価値: 日常の小さな喜びや瞬間を大切にすることが、持続的な幸福に繋がるとアランは強調している。特別な出来事や大きな成功だけでなく、日々の生活の中で幸福を見つけることの重要性を説いている。
  5. 自己認識と自己統制: 自分自身をよく理解し、自分の感情や行動をコントロールすることが幸福への鍵であるとも彼は主張している。自己認識が深まることで、より良い選択をし、自己統制を実現できるようになる。

アランの作り出したプロポという形式でのエッセイ的な哲学的思考の表現は、前例のない斬新な手法であり、たとえば”感情認識と仏教哲学とAIについて“で述べているスピノザの「エチカ」やモンテーニュの「エセー」、日本で言えば”与謝蕪村と徒然草と枕草子“で述べている兼好法師の「徒然草」、などと並ぶほどの画期的な表現形式であるとも言われている。

アランの「幸福論」に関しては、”今度こそ読み通せる名著 アランの「幸福論」“や”NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論 NHK「100分de名著」ブックス“などで解説とともに読むことができる。

彼のエッセイは、短く簡潔ながらも、深い洞察に富んだものとなっており、哲学的な視点から幸福について深く考察し、実生活で役立つ具体的なアドバイスを提供している。

気分の悲観主義と意思の楽観主義と禅の気づき

この幸福論の中のアランの言葉に「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」というものがある。

この言葉に続いて、アランは次のように記している。

「気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す」「ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである」

これは、感情や気分だけで生きていると、悲しみや嫌なことに遭遇したとき、不幸だという思いや怒りの感情に溺れてしまう。だから、感情に流されず、「いまは辛いけど明日は明るくなる」と、意志の力で楽観主義に立つ。幸福を得るには、それが大事だということを述べている。

この言葉は「松下幸之助発言集」のような財界人の語録、また「工作船明石の孤独」のようなSF作品の中でも取り上げられている。

楽観主義と悲観主義に関しては、”街道をゆく アイルランド紀行(2) アイルランド“にオスカー・ワイルドの言葉としてあげている”楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る“もある。これは、楽観主義者は手元にあるものを見て喜びを得るが、悲観主義者はないものに焦点を当てて悲しむという意味となる。

ドーナッツの穴に何の意味を考え、ドーナッツ自体にどんな意味を与えるのかは”禅とメタ認知とAI“で述べているようなメタ認知の領域の話であり、実際の問題のケースにはそれらを明確に認織することは難しい。

それらを気づき、気分の悲観主義と意思の楽観主義として考えるには、”瞑想と悟り(気づき)と問題解決“で述べているような瞑想やマインドフルネスの作法を通じて、感情にも左右されている現状認識を気づく必要がある。

幸福な生き方とは、禅の世界とも通じるものがある。

コメント

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