秋の京都とその歴史

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紅葉の京都

11月は日本全国で美しい紅葉が見られる季節となる。

その中でも、京都の紅葉は、伝統的な日本建築や庭園と紅葉のコントラストが美しく映え、秋の散策が楽しめる場所となっている。

京都の代表的な紅葉の名所としては、清水寺や、”街道をゆく 嵯峨散歩(奥京都の旅)“で述べた嵐山、”街道をゆく 京都の名寺と大徳寺散歩 – ダダと禅と一休“で述べている東福寺や南禅寺、”街道をゆく- 洛北諸道とスタスタ坊主と山伏と僧兵と“で述べた鞍馬山に近い貴船神社などがある。

それらは夜もライトアップされ、美しい風景を楽しむことができる。

このような風景は、桓武天皇が794年に平安京を作って以来1000年以上の月日をかけて醸成されたものであると言うことができる。

大和朝廷と京都の歴史

京都は現在の天皇にも通じる大和朝廷によって作られた都となる。

大和朝廷は、”街道をゆく- 竹内街道と古代日本“にも述べられているように九州の高千穂から、瀬戸内海を渡り、大阪を経て奈良に入り、”街道をゆく – 葛城みち“や”街道をゆく 大和・壷坂みち“で述べているように、当初(飛鳥時代)は奈良盆地の南東部に拠点を構えていた。

その後、”常盤国総社宮と手塚治虫とヤマトタケル“や”街道をゆく 砂鉄のみち(出雲)“、”街道をゆく 因幡・伯耆のみち“などに述べられているような地方勢力の征服が行われる。

更に、6世紀(中国では”街道をゆく 中国・閩(びん)の道“でも述べているように三国志の時代が終わり、隋・唐の時代となっている)に入って、”街道をゆく 因幡・伯耆のみち“にも述べている大化の改新(645年)によって、それまでの蘇我氏や大伴氏などの有力豪族の合議体の政治から、天皇中心の中央集権体制に入り、天皇の司る場所である都が形作られるようになる。

大化の改新は、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)という2人の若い皇太子により実現された。天智天皇なき後、残された人々の間で権力闘争が行われ、それらをSF的観点から描いたものに手塚治虫のライフワークである火の鳥-太陽編がある。(火の鳥141516)

あらすじとしては、”街道をゆく 韓のくに紀行“でも述べている663年の白村江の戦いから始まり、そこで敗北した百済兵士ハリマが、唐軍に捕らえられ狼の皮を被せられた後、倭国へ渡り、倭国で、仏教の台頭によって迫害された狗族と出会い、彼らのために尽力することを決意する。

狼の顔を持つハリマは、悪夢に悩まされ、やがて自分が21世紀のエージェント板東スグルと精神を共有していることに気づき、21世紀の日本では、火の鳥を神とする宗教団体「光」と、地下に追われた「シャドー」たちが抗争しており、この対立は仏教と産土神の争いをも反映した、神仏習合、輪廻転生、過去と未来のタイムパラドクスなどが織り交ぜられた傑作の一つとなっている。

このような権力闘争により、以下に示すように都の頻繁に変わり、最終的に生き残った天智天皇系のひ孫である桓武天皇(子孫は”笈の小文と街道をゆく-明石海峡/淡路みち“でも述べている桓武平氏となる)が作った都が平安京(現在の京都)となる。

京都の春夏秋冬とプラスαより

平安京の都づくりは、計画的かつ政治的意図に基づいて行われ、その後、1000年以上にわたり、日本の文化や政治の中心地として栄え、日本の歴史において重要な役割を果たし続けた。

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