司馬遼太郎と池波正太郎と時代小説

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司馬遼太郎と池波正太郎と時代小説

司馬遼太郎、池波正太郎は共に時代小説と呼ばれるジャンルの小説を書いた作家で、共に大正12年(1923年)生まれ、今年でちょうど生誕100周年を迎えて、”生誕100年 司馬遼太郎の視点“や”池波正太郎の生誕100 年“等の様々な催しが行われ、再び両者に注目が集まっている。

司馬遼太郎の小説は「関ヶ原」(2017年公開amazon prime)、「燃えよ剣」(2021年公開amazon prime)、「峠 最後のサムライ」(2022年公開amazon prime)と相次いで映画化されている。

生誕100周年を記念して取られたアンケートでは、1位は”街道をゆく – 南伊予・西土佐の道 坂の上の雲と南国の伊達家“でも述べた「坂の上の雲」、2位は「龍馬が行く」、3位は「燃えよ剣」、4位は”司馬遼太郎と日本の街道“で述べている「街道をゆく」、5位は「峠」となっている。

司馬遼太郎は、大阪生まれで、産経新聞社の新聞記者時代に「梟の城」で直木賞を受賞、”司馬史観”と称される独特の歴史観と、記者時代に京都で宗教記者会に所属していたことによる深い宗教観とを合わせた作風を持ち、司馬遼太郎の登場以降、時代小説は変わったと言われる国民的な作家の一人となる。

これに対して、池波正太郎といえば、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人・藤枝梅安」の三大シリーズが有名だが、

それらは、何度もドラマ化されている。(鬼平犯科帳amazon prime剣客商売amazon prime仕掛け人藤枝梅安amazon prime)

池波正太郎は、東京浅草の生まれで、東京都の下谷区(現在の台東区)に勤務しながら、劇作家として多くの作品を書き、次第に小説にシフトしていき「錯乱」で直木賞を受賞した。その作風は司馬遼太郎とは異なり、歴史を俯瞰せず、あくまでも平地から日常を描いていた。「人間は寝て食って子供を作って、それがうまくいかないからサスペンスが生まれ、事件がおきる」と彼が口にしていたように、人々のふるまい=日常の積み重ね、が歴史を形つくっていくとのスタンスで作品を作っていった。

司馬遼太郎や池波正太郎が書いていた「時代小説」は過去の時代・人物・出来事などを題材として書かれた小説であり、時代としては明治時代以前を対象とすることが多いものとなる。これらに似たジャンルとして「歴史小説」があるが、こちらは主要な登場人物が歴史上実在した人物で、主要な部分はほぼ史実通り進められるものとなる。著者がその主人公の生き方や思想に感動したことによって物語が生まれ、主人公の行動あるいは言動に、著者が訴えたいモチーフが込められているものとなる。

これに対して時代小説は、架空の人物を登場させるか、実在の人物を使っても史実と違った展開をするもので、史実や著者の訴えよりはエンターテイメント性を重視したものとなる。司馬遼太郎は、この分け方で考えると歴史小説の作家で、池波正太郎は時代小説の作家であるとも言える。

時代小説というジャンルは、それほど古いものではなく、例えば大正2年(1913年)に連載が始まった中里介山(なかざとかいざん)の「大菩薩峠」とも言われている。

またもう一人の歴史小説の巨匠としては「宮本武蔵」を書いた吉川英治だと言われている。

これらの本は現在では著作権が消滅しているため、安価に読むことができるが、例えば「大菩薩峠」は昭和の戦争に入る前の大正の暗い世相を映してニヒリストの剣士・机竜之介が主人公であり、「宮本武蔵」では戦前の日本人の忍従の拠り所となったと言われている。これらは、それぞれの時代の背景を写し合わせた構成となっており、「過去」を描いている時代小説だが、実は「今」という時代を映しているということもできる。

このようにその時代に合わせて変化している時代小説だが、2022年に第166回直木賞が発表され、受賞した2作品「国牢城(こくろうじょう)」(米澤穂信)と「塞王の楯(さいおうのたて)」(今村省吾)ともに時代小説となったことがニュースとなった。これらの作家はもともと「本格ミステリ作家」でもあり、このように異分野で執筆していた作家が時代小説に参入するのは、垣根涼介の「室町無頼」、門井慶喜の「家康、江戸を建てる」、真保裕一の「真・慶安太平記」など近年多く見られるようになっている。

このほかにも様々な領域のフィクションと融合された「時代小説」は、現在でも人気のあるジャンルの一つとして認知されている。

コメント

  1. […] 司馬遼太郎と池波正太郎と時代小説 […]

  2. […] 本所は深川の北側(地図でいうと上)に位置しており、元々は低湿地だったが、深川に比べると市街地化が早く徳川幕府の直属の家来である旗本・御家人の屋敷が集まった場所であったらしい。この辺りは”司馬遼太郎と池波正太郎と時代小説“に述べられているような時代小説の舞台になり、また本所には日本人には馴染みの深い「忠臣蔵」の舞台となった吉良上野介の屋敷や、幕末に活躍した勝海舟の屋敷があった場所でもある。 […]

  3. […] 間宮 林蔵は、江戸時代後期の徳川将軍家御庭番(御庭番は密命を受けて秘かに情報収集などに従事する隠密・忍者のことを指し、”司馬遼太郎と池波正太郎と時代小説“等でも述べている時代小説によく現れる)であり、樺太(サハリン)が島である事を確認し間宮海峡を発見した事で知られている探検家でもある。間宮林蔵の生涯については吉村昭による小説「間宮林蔵」で詳しくみることができる。 […]

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