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無意識と記憶
我々の心には二つのシステムが想定され、一つは直感的判断のように、迅速かつ自動的で無意図的・無意識的なシステム、もう一つは論理的判断のように、時間はかかるがコントロール可能な意図的・意識的なシステムとなる。
これらは「システム1」「システム2」と呼ばれ、システム1は省エネ的な心の働きで、素早く決定に至るものの、非合理的な思考や行動につながる場合があり、システム2は、合理的な思考やハンダに寄与するものの、時間や労力が必要となり、ときに判断の時期を逃してしまうことも起こってしまうものとなる。
本ブログでも述べているAI技術は、このシステム2の合理的判断を人間の代わりに極限まで高めようとするものであり、”IA(Intelligence Augmentation)概要とその適用事例について“でも述べているIAは、システム1の有用な部分とシステム2をいかにしてつなげていくかというアプローチとなるとも言える。
特にシステム1は、科学や芸術での人間が行う創造的な活動の源泉となっていることが少なくなく、それらとAIほベースとしたシステム2を組み合わせることは、従来に無い独創的なアイデアやパフォーマンスを生み出す活動につながることが期待される。
ここでは、このシステム1がどのようにして成り立っているかを岩波書店の”心の謎から心の科学へ-無意識と記憶“をベースに述べている。
エビングハウスによる無意識の記憶の実証研究
世界初の実験心理学者とされるドイツのエビングハウスは、1879年からベルリンの自宅で自分自身を対象に記憶の実験を行っていた。
エビングハウスは、ライプツィヒ大学の物理学者であったフェヒナーが創始した感覚を数量的に調べる精神物理学的手法を記憶の研究に適用し、まとめたのが「記憶について」という著書となる。
この本の中でエビングハウスは、”人の創造性とAIとの共生 – 無意識と記憶“の中にも述べているライプニッツやヘルバルトが仮定したように、第一に、意識から消え去ったものが無意識の記憶として存在していること。第二に、その存在を直接には観察ではないが、これらの無意識の記憶が我々の意識的な思考や行動に影響を与えていることを主張し、それらを実験で証明しようとした。
具体的には、過去の経験に影響されない純粋な記憶を研究するため、「WUX」のような無意味な学習材料(無意味綴り)を2000個以上作り上げ、これを寄せ集めて、いくつかの学習材料のまとまりを作り、これを読み上げて完全に暗記できるまでの時間を記録。次に一定時間をおいて、同じものを再度完全に暗記できるまでの時間を測った。
これにより、例えば一回目に100秒かかっていたものが、二回目では80秒か少なくなった場合、その時間差を節約率と呼び、20秒、20%の節約率となるデータを集めた。エビングハウスはこの節約率という数量化指標が無意識の記憶であると考えたのである。
この実験により、時間の経過にともなって無意識に残される記憶が減少していくようすを数量化した忘却局線を見出し、学習した直後は急激に節約率(無意識の記憶)が減少するが、ある一定時間が経つとほぼ漸近線となり、1ヶ月経っても30%前後の値で安定しているという結果が得られており、この30%が人の記憶の無意識の量を表しているとエビングハウスは主張している。
ゴールトンによる無意識の記憶の働きの実証実験
エビングハウスの実験は、対象データが重複している部分があり、実験としては不完全な部分があるものであった。彼と同時期にイギリスではゴールトンが観念連合のしくみを定量化しようと実験を行い「人間の能力と発達の研究」という著書を書いている。
この観念連合を調べるアプローチとして、エビングハウスが連合の影響を極力さける実験を行ったのに対して、ゴールトンは連合がすでに形成されている身近な言葉を選び、連想の手続きや記録方法を吟味した後に、一つ一つのことばから連想される観念が思い浮かぶまでの連想時間やその内容、時間や場所を変えて同じ言葉を使った場合に重複される連想の個数、人生の年代ごとの連想個数の分布、連想が怒る際に思い浮かぶイメージの種類などを数量的に、辛抱強く実験した。
これらの実験により、我々の過去の出来事の中には、無意識の記憶して残るものがあることを発見し、さらに種々雑多な心の働きがなかば無意識状態で行われていることに加え、無意識の層では、意識に関連した観念が自動的に湧き上がってくることや、それらの無意識の観念が執筆や演説の材料として役立つことを明らかにしている。
ゼーモンによる無意識の記憶の働きの生物学的裏付け
ゴールトンの実験に対して、ドイツの生物学者であるゼーモンは記憶のメカニズムをあらゆる有機体に対して拡張した生物学的な理論づけを行おうとした。
ゼーモンの記憶に対する画期的な点は、意識的な記憶だけにとどまらず、無意識の記憶の理論化も行おうとした点と、記憶のプロセスを学習と想起に分けて考え、この両者の相互作用から記憶をめぐる現象全体を統一的に説明しようとした点にある。
ゼーモンはこれらの理論を説明するにあたり「ムネーメ」「エングラム」「エングラフィ」「エクフォリィ」などの独自の用語を使っている。これらは現在の記憶理論野中では「記憶(現象)」「記憶痕跡」「記銘(ないしは学習ないしは記号化)」「想起(ないしは検索)」となる。
ゼーモンのムネーメ理論では、何も刺激を受けていない状態の有機体は、ある種の平衡状態(一次的沈静状態と呼ばれる)におかれ、そこに刺激が加えられると、有機体は一種の興奮状態に陥り、特定の反応を起こす。その後、刺激が取り除かれても、もはや有機体は刺激を受ける前の平衡状態とは異なる平衡状態(二次的沈静状態)になっているので、同様の刺激の元では同様の反応を起こす傾向(興奮状態)が強くなる。ゼーモンはこのような有機体内部の状態変化全てをエングラムと呼び、エングラムを引き起こすプロセス全体をエングラフィと呼んだ。この一連のプロセスが学習の成立した状態であり、意識的であるか無意識であるかを問わず生じるとゼーモンは考えた。
時間が経過したのち、以前の刺激が有機体に与えられると、刻みこまれたエングラムが再度興奮することで、以前と同様の反応が引き起こされる。このプロセスがエクフォリィであり、想起ないし検索に相当する。
ここで重要なことは、刺激は単体であるとは限らず、多くの場合、複数の刺激が合わさり、もとの刺激と同じでなくても、刺激の一部でもエクフォリィが起こるという点にある。連合主義は形成された観念と全く同じ観念連合だけを想起の対象としていたが、ムネーメ理論では一部の一致だけでも想起は行われるのである。これは、”機械学習における類似度について“に述べているような空間的な類似度の話と似ている。
クラバレードによる健忘症患者の無意識の記憶のはたらきを巡る研究とシャクターによる潜在記憶とプライミング
その後”感情認識と仏教哲学とAIについて“で述べている、ワトソンによって提唱された「行動主義」(それまでの心理学のように「内観に基づく意識」を対象 とするのではなく、「観察可能な行動」のみを対象とすべきであるという主張に基づいたアプローチ)が席巻し、心理学の領域では記憶という言葉すら使われなくなり、「記憶」の研究の多くは「言語学習」と呼ばれるようになっていった。
そのような状況の中で無意識の研究は、病気や障害のために脳に損傷を受けた健忘症患者に対するクラバレートの研究や、てんかん症患者のためのモライゾンの研究、あるいはシャクターによる健忘症患者に残されている無意識の記憶(シャクターにより潜在記憶と名付けられる)が行動に与える影響の研究などで続けられるようになる。
シャクターによると、意識的に覚えたり思い出したりする記憶(健在記憶)とは全く別に、誰もが無意識の潜在記憶を持っており、この潜在記憶の興奮(活性化)にともなう思考や行動対する影響は、我々の意識のコントロールの及ばない自動的なものであるらしい。
そのような潜在意識の活性化は「プライミング」と名付けられ、「点火」や「発火」を意味するプライミングは、先行するなんらかの刺激や経験が意識的な記憶を介さず、潜在意識の活性化という形で後続の思考や行動に影響を与えるとされている。
このようなプライミングは、人工的な実験の場だけでなく、無意識の盗作、本人が気づいていない人種的偏見、広告の影響など様々なシーンが現れるともされている。
プライミングとAI
このプライミングは、AIの分野でも興味深い概念として取り上げられ、プライミングの概念を利用して、人間とAIのインタラクションを改善する研究も活発に行われている。
例えば、AIを利用したエクスペリエンス(UX)デザインにおいて、ユーザーが特定のタスクを実行する際に、AIアシスタントがユーザーの意図をより正確に理解し、前もって関連する情報やコンテキストを提示することで、その後の操作がスムーズに進むようにするようなプライミングが考えられる。
また、機械学習モデル、特にニューラルネットワークは、大量のデータを使って訓練され、この訓練データがモデルのパフォーマンスに大きな影響を与えるため、データセットの選び方やその前処理が重要となる。特定の種類のデータに多く触れることで、モデルがそれに関連するパターンを学習しやすくなるという意味で、データのプライミングが起こっているとも言える。
このようにプライミングの原理を理解し、AIシステムに応用することで、より効果的でユーザーに親和性の高いシステムの開発が可能となり、AIの進化と共に、プライミングの研究もますます重要になってくると思われる。
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