ウェルビーイング
近年、”ウェルビーイング”という言葉をよく耳にする。この言葉は、人間が身体的、精神的、社会的に良好な状態にある)幸福に生きるという意味でただ単に病気がない状態や不幸がない状態を指すのではなく、より積極的な充実感や満足感、自己実現を含むものとなる。
wired vol32 digital well-being
“アランの幸福論と禅の気づき“で述べているような幸福論は数多くあるが、幸せに生きていくためには、幸福という何か特別な状態に持っていくのではなく、この”ウェルビーイング”という言葉の方がしっくりとくる。
これは”禅とメタ認知とAI“に述べているような何か絶対的なものに”気づき”や”ありのままの注意”を意識して、心の安定を得ていく生き方にも通じるものと考えられる。
幸福や善の概念について
実際に幸福な状態に重要な条件となる善の概念に関しても、以下に示すように様々な状況で異なってくる。
- 悪は、他者の幸福や福祉を損なう行為として理解される。そして、”西田幾太郎の”善の研究”“でも述べている「善」という概念は、「悪」に対する反義語として捉えられ、善は社会的または個人的に良い行い、正しい行動、倫理的に優れた選択を指し、悪はその逆、倫理的に不正、悪意を持った行動や結果を意味するものとして定義されている。この単純な二項対立は、さまざまな文化や哲学で見られるが、具体的な定義や基準は異なる場合が多い。
- たとえば、宗教的視点から見ると、”キリスト教と聖書と関連する書物“で述べているキリスト教における「善(good)」は、神との関係を中心とした概念であり、善は神の意志に従うことに基づく。キリスト教では神が善そのものであり、神の教えや意志を実行することが善行とされている。また、イエス・キリストの教えとして、「隣人を愛し、敵を愛する」(マタイ5:44)が善の行動として特に強調されている。キリスト教における善は、単なる道徳的な行動ではなく、神との深い霊的な関係や信仰に根ざしたものとなり、他者への愛と奉仕を通じて、神の愛を世に示すことがその中心的な目的とされている。
- “仏教と経典と大乗仏教の宗派について“で述べている仏教では、善は「苦を減らし、楽を増す」行為と定義されている。一方で、悪は「苦を増し、楽を減らす」行為とされている。仏教における善の根幹は慈悲の心にあり、慈悲とは、他者の幸福を願う「慈」と、他者の苦しみを取り除こうとする「悲」の二つの要素を含む。このように、仏教における善は、単なる規範的な道徳を超え、心の浄化や他者への奉仕を通じて最終的な悟りに向かうもので、これは個人の利益と社会の調和を同時に目指す、深い哲学的・実践的な教えとなる。
- 哲学的観点から見ると、“特別講義「ソクラテスの弁明」より哲学とは何か“で述べているソクラテスは、善は「知」であり、知恵を持つことによって正しい行為ができると考え、善悪を知らないまま行為することが悪であり、善を知ればそれに従うとしている。また、カントは、すべての人にとって共通の道徳基準が道徳として存在するとし、善は普遍的な道徳法則に従う意志にあるとした。ジェレミー・ベンサムは、善は快楽や幸福の最大化として定義されると提唱し、善い行為とは苦痛を減らし快楽を増やす行為だとした。
幸福の証明と中島隆博の哲学
幸福とは何か、という問いに対して、論理学の観点では”科学的思考(3)確証バイパスと4分割表“で述べているのように、ある仮説(例えば幸福であるかどうか)を証明するには、正解例(そこに当てはまる幸福な状態)を列記するだけでは絶対に答えに到達できず、反例(幸福ではない状態)を挙げることで確信度が増し、検証可能となることが知られている。
このような観点から、中国哲学、倫理学、思想史の分野で活躍している日本の哲学者である中島隆博(なかじま たかひろ)は、、中国古代の思想、”法家と儒家 – 秩序と自由“で述べている『荀子』や”道(タオ)から人工知能技術を考える“で述べている『老子』や、”孔子の論語 総合的”人間学”の書“で述べている孔子の思想を中心に、儒教や道教の哲学を現代の視点で再評価し、特に「悪」というテーマに対する中国哲学的アプローチを通して、人が幸せに生きる善と幸福について明確にしようとしている。
悪の哲学 –より
AMAZON書評より「この世の悪は、一人ひとりがその行いを改めれば払拭できるものだろうか? 自然災害に見舞われ、多くの人が苦しめられているとき、そこに悪の問題はないのだろうか? 孔子や孟子、荘子、荀子などの中国古代の思想家たちが、悪という問題に直面し、格闘し、その可能性と限界を描き出してきた。本書は悪にあらがい、その残酷さを引き受け、乗り越えるための方途を探る哲学の書でとなる」
ウェルビーイングと中島隆博の哲学
ここで、中島隆博氏の哲学と、ウェルビーイング(幸福や健康を包括する概念)との関連性について考えてみる。
中島隆博の関心領域として、以下のポイントが挙げられる。
- 複数性(Multiplicity)と共存: 中島氏は、多様な価値観や文化が交錯する現代社会において、異なる視点が共存し得る条件を追求している。この「複数性」は、ウェルビーイングが個々人の多様な幸福観を尊重するという視点に通じる。
- 中道的思考: 極端を避け、バランスを取る姿勢は、中島氏の哲学の核心にある。これは、身体的・精神的な調和を追求するウェルビーイングの基本的な原則とも一致する。
- 倫理的主体の問い: 彼の議論では、人間がいかに他者と共存し、倫理的主体として振る舞うべきかが重要視されている。この視点は、ウェルビーイングが個人の幸福だけでなく、社会全体の幸福を考慮するという倫理的側面に関連している。
この考え方は、ウェルビーイングの概念に以下のような影響を与えると考えられる。
- 全体的アプローチの重要性: 中島氏の哲学は、個人の幸福を社会や環境との相互関係の中で考える必要性を強調している。この考え方は、ウェルビーイングが単なる「快楽」ではなく、持続可能性やコミュニティの幸福を含むものであることを示唆している。
- 文化的多様性の尊重: ウェルビーイングは、異なる文化や社会における幸福の定義を尊重する必要があり、中島氏が東アジア哲学の知恵を現代に生かそうとする姿勢は、多文化的な視点を含むウェルビーイングの促進に寄与している。
- 対話を通じた相互理解: 中島氏の哲学は、異なる価値観を持つ人々が対話を通じて共通の理解を築くことを重視している。ウェルビーイングを考える上で、個人やグループ間の対話や協調は不可欠であり、彼の哲学はこの基盤を提供する。
中島隆博の哲学がウェルビーイングに与える示唆を応用する例としては以下のものが考えられる。
- 教育における活用: 彼の哲学は、多文化共生や倫理教育に役立つ視座を提供する。これはウェルビーイングを推進する教育プログラムにおいて、多様性と調和の考え方は重要な柱となる。
- 政策形成への応用: 健康や幸福を目指す政策において、中島氏の哲学が示唆する「調和と対話」は、社会的分断を乗り越える手段として有用なものとなる。
- 個人の自己実現: 中島氏が重視する中道的思考は、過剰な競争や極端な目標設定を避け、自己と他者の幸福を共に追求するライフスタイルを促進する。
中島隆博の哲学の中心にある「複数性」や「共存」は、ウェルビーイングの多次元的な理解を深め、社会全体の幸福の追求に役立つものとなる。
参考図書
以下に関連する参考図書について述べる。
中島隆博の著作
1. 『共生のプラクシス』(岩波書店)
中島氏の主張の核となる「共生」の思想と、社会的実践への応用が論じられている。
2. 『哲学の饗宴』(東京大学出版会)
西洋哲学と東洋哲学の対話的視点を通じて、現代社会における哲学の意義を探求している。
仏教とウェルビーイングの参考図書
1. 『ウェルビーイング』
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