孔子の論語 総合的”人間学”の書

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孔子とはどのような人物か

論語」というのは、今を坂述べること二千五百年ほど前、中国の春秋という時代を生きた「孔子」の言葉を集めた”語録”となる。

孔子といえば”儒教の祖”として崇められている偉い先生となる。俗に三千人ともいわれる弟子を抱えて私塾を開いていた、本家の中国ではもちろん、日本でも東京の「湯島聖堂」や、水戸の「弘道館」等全国各地で彼を”学問の神様”として祀っているところがある。その孔子が会話したり、質問に答えたりしたことが弟子から弟子へと伝えられて、没後何百年かにまとめらにれたものが「論語」となる。

論語とはどのようなものか

「論語」に収録されている章句の数は五百強くらい、短いものは五文字、多くても三百字超で、全部で一万三千余字なので四百字詰の原稿用紙にきっちりと詰めて書くと、三十数枚にしかならない。このようなコンパクトな書物に対して、構成の学者が山ほどの解釈を付け加え、「論語」は原文よりも注の方が断然多いため、大長編であるとの認織を持つ人が多い。

この注釈が元で、孔子の考えが誤解されることもあり、例えば「君、君たり、臣、臣たり、父、父たり、子、子たり」という有名な言葉がある。この意味は「君主は君主らしく、家臣は家臣らしく、父親は父親らしく、子供は子供らしく、それぞれ務め励みなさい」というものだが、「君、君たらずとも、臣、臣たるべし、父、父たらずとも、子、子たるべし」、つまり「君主は君主らしくなくても、家臣は家臣として仕えなければならない。父親は父親らしくなくても、子供は子供としてつくさなければならない」というふうに捻じ曲げて解説しているものがある。

こうしたねじまげは、孔子の約四百年後、武断政治から文治政治への転換を図った漢の武帝の時代に盛んに行われたことで、なぜかというと、彼らは孔子の教えを国家イデオロギーとして、人民の支配に利用しようとしたからである。

こうしたことがしばしば行われた結果、孔子の言ったことは、もとの意味を離れて支配者の側に都合の良いものになった。これがいわゆる”儒教的解釈”となる。儒教は日本に、聖徳太子のころにはすでに伝わっていたが、特に盛んになったのは江戸時代、武家の心構えとして、大いに学ばれた。当時は封建社会なので、”儒教的解釈”がぴたりとはまったのである。

儒教といえば、忠孝とか礼節とか、とにかく古臭くて説教くさいものだというイメージがある。もちろん、そういった要素も、まったくないわけではないが、それが全てではなく、今我々が思っている儒教と、孔子がもともと考えていたこととは、かなり異なった考えとなる。

ここで論語について述べる前に、論語という本についての凡例のようなものについて述べる。まず、「論語」という本は、孔子が語った言葉が、ただずらずらと羅列されているもので、特定のテーマや時系列などに沿って統計的に編纂されているわけではない。そしてそれらはほぼ均等に十等分されて「巻」と名付けられ、一巻はさらに二等分されて「篇」と名付けられている。つまり十巻二十篇。そうして、各篇冒頭の章句中から、「学而(がくじ)」とか「為政(いせい)」とか「子路(しろ)」だとか、言葉や人名が拾われて、それぞれの篇名になっている。

そのようなつくりなので、「論語」の巻や篇や並びにはほとんど意味がない。ゆえに、馬鹿正直に頭から読んでいっても、全く面白くない。何が言いたいのかよくわからないし、孔子がああ言ったり、こう言ったりと矛盾ばかりが目についてだんだん嫌になっていく。これがよく陥りがちな「論語」のワナとなる。

「論語」を読む場合には、「人生」とか「家庭」とか「社会」とか、任意のテーマをせって死してそれに沿って並べ替えを行うことで、孔子の言っていることが整理されて頭に入りやすくなる。

たとえば著名なもので、近年NHKの大河ドラマ「青天を衝け」で有名になった渋沢栄一による「論語と算盤」がある。

これは孔子の教え(論語)に従い、利潤追求と社会貢献を両立させるための経営思想を述べたものであり、渋沢栄一が後進の企業家のために語った、現代に通用する経営者、企業人必読の経営哲学バイブルとなる。

このように、いくらでも違った編集の仕方ができるというのが「論語」の特徴の一つとなる。なぜかというと、「論語」はただ道徳的なことを教える本ではなく、人間が生きていく上で必要なあらゆる点に言及した、総合的な”人間学”に他ならないからである。つまり、そこには、雑然と、しかし、すべてのことが投げ込まれているということになる。

現在儒教は本家の中国でも共産党の政権強化の切り札として大流行りで、一種”復古”的に注目されている。そのような政治的な意図を抜きにしても、中国以外の国の一日瀬戸にとっても自分自身の生き方のヒントを与えてくれるものとなる。

今回はNHK「100分de名著ブックス孔子 論語をベースにこの論語について述べる。

NHK「100分de名著」ブックス 論語
	はじめに 総合的〝人間学〟の書
	第1章 人生で一番大切なこと
		孔子は枯れた爺さんじゃないんだよ
		まっすぐに生きよ!
		結果より過程が大切
		自己中心はジコチューに非ず
		若者への応援歌
	第2章 自分のあたまで考えよう
		教育で乱世をただせ
		学問のすすめ
		温故知新で考えよ
		個別指導塾?
		中庸のすすめ
	第3章 人の心をつかむリーダー論
		よいリーダーの条件
		思いやりと言行一致
		人は万能でないと思え
		孔子塾というハローワーク
		ケムたいご意見番
	第4章 信念を持ち、逆境を乗り切ろう
		恵まれない出生
		挫折だらけの人生
		神頼みはダメ
		逆境に燃える
		生きがいを持て
		ふたたび〝丸ごとの私〟の時代へ
	対談 佐久協×佐々木常夫『論語』を読めば今の自分が見える

コメント

  1. […] 荘子は今から約二千三百年前、中国の戦国時代中期に成立したとされる思想書となる。著者の名前も荘子(荘周(そうしゅう))だが、この書と彼とその弟子たちが書き継いだものを一つにまとめたものとなる。歴史に名を残す思想家たちを見てみると、”孔子の論語 総合的”人間学”の書“で述べた孔子も”大乗仏教と般若経“で述べた釈迦も”ソクラテスの弁明“で述べたソクラテスも、自著を残していない。その思想を弟子たちが書き残したことで師匠の名前が残ったのだが、「荘子」の場合は明らかに荘子自身も書いており、師匠と弟子の合作という珍しいスタイルの本になっている。 […]

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  3. […] しかしながら、”孔子の論語 総合的”人間学”の書“でも述べている渋沢栄一による「論語と算盤」のように、そのような儒教の非政治的な利用の側面だけではない、生きる為の […]

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