旅と歴史

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旅と歴史

旅と歴史は密接に関連している。

歴史は人間の過去の出来事や文化、社会、政治、経済などの研究を通じて、知識を得る学問となる。この過去の出来事や人々の行動を研究することが、現在や将来を理解し、人間の行動や社会の変化を考えるための重要な情報を提供できることにつながる。

一方で、旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができるものとなる。

更に旅は、歴史的な場所を訪れるだけでなく、異なる文化や人々との交流を通じて、歴史や文化についての理解を深める、異なる歴史的な視点や背景を理解することにも役立つ。

旅と歴史は相互に関連しながら、人間の過去と現在をつなぐ重要な要素として、人々の知識や理解を深めるための重要な役割を果たしている。歴史を学びながら旅を楽しむことで、より深い文化的な体験を得ることができ、自己の成長や世界観の拡大に繋げることができる。

ここでは主に、”司馬遼太郎と池波正太郎と時代小説”でも述べた歴史小説家である司馬遼太郎の「街道をゆく」を中心に、様々な紀行をその土地の歴史に絡めて述べている。

以下に詳細を述べる。

日本国内

<北海道/東北>

今回の旅は奥州(東北地方)となる。八戸からスタートし、八戸を治めていた南部氏の話から、南部氏が築城した根城跡と同じく南部氏が建立した櫛引八幡宮、そして階上、軽米をへて久慈へ向かう久慈街道へ、そこでXXの高山彦九郎や柔道で有名な三船久蔵の碑を見て、陸中海岸沿いの浜街道を北上し、板橋、侍浜、小子内、種市を経て種差海岸へ向かう。さらに白石、十和田、陸羽街道を経て、北上後、野辺地を経て下北半島を見る。そこから浜へ降りて南部藩と津軽藩の藩境を示す藩境塚「四つ森」と呼ばれる場所で旅を終わる。

今回の旅は北海等となる。スタートは函館、松前町(地図上左下星)から始まり、最終的に陸別町(地図上右上星)のかなり広範囲に渡る。これまでの街道をゆくと異なるところは、前半の函館・松前あたりまでは歴史にまつわる話で進んでいたが、後半になると純粋な紀行的な話(北海道の歴史は奈良・京都などの阪神地方に比べると浅い)となる。

今回の旅は象潟から始まる。司馬遼太郎の戦友が住職をしている蚶満寺から始まり、水田の中に多数の小島が点在する独特の景観を持つ象潟から秋田、能代を経て鹿角へ向かう旅となる。明治の得意な学者である狩野良吉や東洋史学の祖、内藤湖南の話へと続く旅となる。

今回の旅は福島県。白河・会津の道となる。旅のルートは関東と東北の境である堺の明神、今はその跡が明確には残っていない白河の関と追分の明神と犬神ダムへ。白河市に入り、白河城主結城宗広ゆかりの関川寺を訪れた後、明治のイコン画家である山下りんが描いたイコンが飾れている白河ハリストス正教会を訪れる。その後、江戸時代の宿場町がそのまま残る大内宿を訪れ、さらに会津市まで足を伸ばし、16世紀末の会津領主で城下町の整備を行った蒲生氏郷の墓を訪れ、白虎隊が自刃した飯盛山と江戸時代に幕府側として活躍し新撰組にも関与した松平家の墓と恵日寺を訪れることで旅は終わる。

今回の旅は、縄文文化の話から、網走に向い、網走観光ホテルに宿泊して、道立北方民族博物館、能取湖、サンゴ草の広がる卯原内、サロマ湖、モヨロ貝塚、網走市郷土博物館を尋ね、トロイの発掘を行ったシュリーマンにも似たモヨロ遺跡の発掘の話となる。

街道をゆく10巻より。今回は羽州街道-山形の道となる。司馬遼太郎は、芭蕉の名句である「五月雨をあつめて早し最上川」に謳われた最上川の情景を確かめるべく、山形を訪ねる。山形では、奥羽街道を縦断するコースとなる。スタートは天台宗の古刹、立石寺から始まり、山形市郊外の紅花農家に立ち寄り、米沢市西南の小野川温泉に泊まる。翌日は、上杉神社や林泉寺など、上杉氏ゆかりの旧跡を訪ね、その後最上川を白鷹町荒砥で眺めた後、上山温泉で泊まり、翌日山形市内に入る。

街道をゆく第41巻より。今回の旅は青森県。縄文の昔に「まほろば」として栄えた本州最北端地・青森を歩き、風土に即した生活は何かを問う。太宰治が悲しき国と嘆いた津軽・南部・下北などに歴史を尋ねる。

今回の旅は仙台・石巻となる。大阪空港から仙台へと飛んだ司馬遼太郎は、機上から見る富士の後継に、奥州人がいつ富士を見たかと、歴史上幾度か興った東北の勢力の西上を思い返す。仙台南部の阿武隈川河口を訪ね、伊達政宗の造った運河「貞山堀」を目にした司馬遼太郎は、400年の時を経て静かに保存されている運河の佇まいに仙台藩の風儀の奥深さを感じ、さらに桃山文化の風を残す岩沼の竹駒神社、仙台の大きさ八幡宮へ詣で、ここで大藩の骨太な文化を見出す。芭蕉の「奥の細道」に沿う様に、東北に歩を進め、多賀城跡では、古代から続く詩へのあこがれを思う。松島湾に臨む港町塩釜では、陸奥一宮であった鹽竈神社を訪ね、欧州の古風を感じる。松島では観光かされすぎ芭蕉への厳粛な敬意を失ったかに見える風を嘆き、最終点の石巻では目和山山頂から、政宗が改修させたさせた北上川を眺める。

今回は北海道の北東部の海辺に、謎の海洋漁労民族「オホーツク人」を尋ねる旅となる。今回の旅のスタートは2部に分かれる。最初の旅は、札幌の北海道開拓記念館から、まず網走に向い、網走観光ホテルに宿泊して、道立北方民族博物館、能取湖、サンゴ草の広がる卯原内、サロマ湖、モヨロ貝塚、網走市郷土博物館を尋ねる。第二部は札幌から特急列車で6時間の稚内へ、サロベツ原野を目にしつつ南稚内に到着。飲み屋を訪れ、水蛸のしゃぶしゃぶを堪能した後、抜海岬、納沙布岬、声岬と岬めぐりをして、宗谷丘陵を通って最北端の宗谷岬へ、間宮林蔵の碑を見て、北方40kmの樺太と韃靼大陸に想いを寄せる。猿払村、浜頓別、枝幸町とオホーツク海沿岸を南下し、目梨泊遺跡の発掘現場を訪ね、紋別市のオムサロ遺跡公園、オホーツク流氷科学センターをめぐってから網走へ、小清水、斜里町を経て旅の最終地である知床半島に向かう。

<関東/甲信越>

日本の禅の草分けの一つである臨済禅とそれらの寺院が多く残る鎌倉での寺院について紹介(鎌倉五山)する。まずは栄西の臨済宗についての歴史的な流れと鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)について、それぞれの寺の観光的な観点での特徴について述べる。

今回は舞台が関東に移り、甲州街道を八王子に向かう。この地の歴史的エピソードとしては、太田道灌が詠んだ武蔵野の広さや、「更級日記」に出てくる坂東人、秀吉と家康の連れションの那覇市、八王子千人同心と近藤勇と最後に徳川慶喜について述べられている。

    今回の旅は、神奈川県三浦半島を中心に、時代的には平安末期から鎌倉時代と戦時中、またロケーション的には三浦半島を中心に、伊豆半島と房総半島にについて述べられている。

    今回の旅は神奈川県横浜市となる。横浜市は人口370万人の巨大な都市であり、街道をゆくの旅では幕末に横浜区域とされていた「関内」を旅の範囲と定める。

    今回の旅は東京・赤坂周りとなる。赤坂のホテルを起点として、雲南坂や溜池、日枝神社を歩きながら江戸時代の赤坂の光景について頭に描き、氷川神社や豊川稲荷で徳川吉宗や大岡越前のことについて述べる青山通りや乃木坂、欅坂では、乃木希典のエピソードや高橋是清の人生について述べられている。

    今回は旅は深川から、鳶の頭やかつての川並(木場の筏師)に会い、江戸の昔から侠気に生きてきた人々に思いを馳せる。本所では吉良上野介の屋敷跡や勝海舟の生地を訪ね、また本所割下水の界隈に住んだ三遊亭円楽や河竹黙阿弥のことを考え、さらに船で隅田川下り、川から町や橋を眺めた後、最後は両国の回向院で芥川龍之介の小説を思い浮かべる。

    街道をゆく第37巻より。今回は近代化を急ぐ明治期の日本において、欧米文明を受け入れ地方へ配る「配電盤」の役割を担い、さらに日本最初の大学が置かれた街、本郷について述べ、夏目漱石、森鴎外、樋口一葉等の、この街に生活した明治の文豪について述べる。

    旅のルートは共立女子大講堂の交差点付近からスタートする。この辺りは江戸時代から幕末にかけては護持院ケ原と呼ばれているところで、話は関東入国当時の徳川家康の城下町造成工事から、福沢諭吉の逸話や森鴎外の小説に飛ぶ。やがて旅は「世界でも有数のもの学びのまち」としての神田界隈に移る。神田お玉ヶ池跡で、北信一刀流の千葉道場に触れ、湯島聖堂での江戸の学問に触れる。次にニコライ堂、神田明神に立ち寄りながら、神保町の古書店街に足を踏み入れ、出版社や本屋の巨匠たちの話題へとなり旅は終わる。

    今回は新潟県佐渡島となる。佐渡島は、新潟県の西部に位置する島で、全域が新潟県佐渡市に属し、佐渡弥彦米山国定公園、佐渡ジオパークに含まれる。人口は52,135人。 有人国境離島法に基づく「特定有人国境離島地域を構成する離島」に指定されている。

    第9巻より。前回は、今回の旅は仙台・石巻の旅であった。今回は新潟県、潟のみちとなる。耕作に適した土地に恵まれなかった人々が、それでも苦労して田畑を広げて行った歴史に興味を惹かれた司馬遼太郎は、新潟の低湿地帯を訪れている。まず信濃川と阿賀野川の中洲にできた亀田郷を訪れ、次に阿賀野川を渡って豊栄市(現新潟市)を訪れている。

    第9巻より。前回の旅は高野山みちであった。今回の旅は長野県、信州佐久平みちとなる。旅の起点はJR長野駅から、中世信濃武士団の興亡を追って、上田市で前回”街道をゆく 高野山みち“で述べた真田氏を思い、最初の宿泊地である別所温泉では、この地を訪れた捨聖・一遍の、すべてを捨てて求道を貫いた生を考える。翌朝、常楽寺、安楽寺を訪ね、軽井沢の佐久平に向かう。南軽井沢に泊まった後、旧中山道沿いの望月宿をめざし、信州の牙は木曾義仲の軍事の要であったこと、清少納言「枕草子」の望月宿の記述へ思いをはせ、旅を終える。

    日蓮は、”街道をゆく – 三浦半島記“でも述べている鎌倉時代の初期、公家政権の終わりを象徴する承久の乱の翌年(1222年)に、安房国(現在の千葉県南部)の太平洋に面した小湊で、量子の子として生まれた。十二歳で地元の寺、清澄寺に入り、十六歳の時に正式に僧侶となり、二十一歳から三十二歳までの十年間を鎌倉、比叡山、高野山、四天王寺などで学んで清澄寺に戻った。日蓮はこの身述山を、釈迦が「法華経」を説いたと言われるインドの聖地である霊鷲山に見立てており、この身述山に作られたのが日蓮宗の総本山である久遠寺となる。

    花火の原型といわれる『のろし』の歴史を辿ると、古代インドやギリシア、ローマといった紀元前にまで遡るといわれている。中国の薬を作る錬丹術師によって火薬は偶然発明され、その後、火薬は軍事技術者への手に渡り、武器に使用されるようになる。南宋時代には爆竹などの花火が市場に出ていたともいわれている。東京で有名な花火大会に「隅田川の花火」がある。これは江戸時代に行われていた花火大会に由来するもので、さまざまな浮世絵にも残されているものとなる。

    <北陸/中部>

    富士山は、日本の静岡県と山梨県にまたがる活火山であり、高さは3776メートル、世界遺産に登録されており、日本の象徴的として広く知られている存在となる。宗教の形を借りた大衆登山という流れは、のちの江戸時代中期に大ブレイクする。その隆盛を担ったのが「富士講」という民間の信徒集団。

    日本での最も歴史があり有名なトレイルレースの一つが「富士登山競走」となる。これは毎年7月に山梨県富士吉田市で行われる富士山を登る山岳マラソン大会となる。

    コースは標高770mの富士吉田市役所前で、しばらく平地を走ったあと北口本宮富士浅間神社から登山口(吉田口登山道)を通り、富士山頂久須志神社までの21km、標高差は約3000mのコースで、このコースを制限時間4時間30分(5合目での制限時間2時間15分)という非常にハイペースで走る必要があり、完走率も50%を切るかなりの難関レースとなる。

    今回は日本の中央付近の太平洋から日本海にむかって抜ける道として、岐阜県の中を通り世界遺産として有名な白川郷へとぬける郡上・白川街道を通り、富山県に向かう越中道について述べる。(岐阜羽鳥駅、荏胡麻油、菜の花油、斎藤道三、織田信長、親鸞、浄土真宗、一向一揆、郡上八幡城、長良川、金華山、天空の城、肉桂入り飴玉、白川谷、御母衣湖、白川郷、世界遺産、日本アルプス、富山)

    今回の旅は、琵琶湖北岸の海津(図中中下星)から、奈良時代の官道をたどり、国境、疋田(図中中星)を経て敦賀(図中中上星)、武生を経て北国街道を南下、栃ノ木峠を越えて余呉湖(図中右下星)、木之本を望む旅となる。関連する歴史としては、古代の中国東北部の渤海との交流と、古代の天皇体制が大きく変わったものと予測される継体天皇、そして戦国時代の柴田勝家と豊臣秀吉に関わる話となる。

    今回の旅は岐阜県の北部の山間にある飛騨での旅となる。飛騨へは新幹線岐阜羽鳥からタクシーにのり、中山七里、下呂温泉、一宮水無神社を通り左甚五郎の彫り物を見て、松倉城跡、飛騨古川を経て富山県との境である越中国を見る為、神岡町の茂住まで北上したのち、高山の市街を歩く旅となる。

    今回の旅は、”笈の小文”を辿る旅と「街道をゆく」第7巻より淡路・明石の旅となる。

    今回は越前の諸道、福井県の旅となる。今回の旅は宝慶寺から始まる。宝慶寺は”道元禅師“でも述べたように、道元を慕って中国から来た僧、寂円が開いた寺となる。ひたすら坐禅を組み、道元の禅風を守り通した寂円のことを考えつつ、山深い地にある宝慶寺を訪れ、若い雲水が案内してくれた宝物館で有名な道元と寂円の画像を見る。その日は勝山の老舗旅館に泊まり、翌日は平泉寺を訪れる。中世に法師大名と呼ばれた平泉寺の興亡を思い浮かべつつ境内を歩き、さらに一乗谷の朝倉家の遺跡に赴き、信長に滅ぼされた朝倉義景に想いをいたす。丸岡城や三国港を経て、旅の最後に訪れたのは、越前陶芸村、そこで古越前の技法を見て旅を終える。

    街道をゆくの最終巻となる「濃尾参州記」は名古屋城を出発点としている。若き日の織田信長が奇跡の勝利を収めた桶狭間への急襲を思い、信長の動きを思い浮かべながら、熱田神宮を経て、信長が今川義元を急襲するために駆けた道を辿る。また名古屋市緑区では名古屋市立緑高校から桶狭間を見下ろす。次に桶狭間にある藤田保険衛生大学を訪ね、室町時代に再建された寺院であり眼科病院でもあった馬島明眼院の眼科医の末裔を訪ね、その後桶狭間古戦場の高徳院へといく。

    次に三河を訪ね、徳川家康の祖先が拠点とした松平郷を目指す。松平氏の菩提寺。高月院を訪ね、岡崎市内では、矢作川にかかる矢作橋にまつわる豊臣秀吉と蜂須賀小六の伝承と、岡崎を拠点とした徳川家康に思いをはせる。

    <関西>

    街道をゆく」は「週刊朝日」の連載として1971年に始まり、司馬遼太郎が亡くなる1996年まで、25年にわたり続いた書籍にして全43巻を数える大紀行となる。その第一巻より湖西の道について述べる。湖西の道のスタートはまずは、京都の東側(以前紹介した鎌倉五山に対する京都五山の別格である南禅寺のある辺り)から大津方面に向かうところから始まる。

    今回の旅の舞台は古代大和朝廷があった奈良県となる。山間部が多い奈良県の中でも唯一の平地(上図だと左上部分)となる山地盆地(奈良盆地)と、そこを通る街道(竹内街道)が舞台だ。

    古代大和朝廷の一族は、九州/宮崎の外れにある高天原(高千穂)から日本列島を遡り奈良まで来たと古代の書物(日本書紀)に記載されている。(奈良に来た大和朝廷の黎明期の人物としては崇徳天皇がいる)この辺りの古代日本の話は日本書紀とその解説本を読むか、あるいは多分に作者の想像が入るが「古代からの伝言」シリーズや、「新史論」シリーズ等を読むと更に詳しい話を知ることができる。

    今回は、葛城みちについて述べる。葛城地方は奈良盆地の南東に位置し、古代日本の氏族である笛吹部の祖先・笛吹蓮を祀る笛吹神社から、葛城氏の先祖・一言主神を祀る一言神社へと進みながら、一言主神と雄略天皇、鴨氏の一族とされる役行者(役小角)と葛城の古代氏族と倭王権の関係について述べられている。さらに鴨氏の祖先を祀る高鴨神社に至り旅は終わる。

    今回は東大阪市在住であった司馬遼太郎にとってご当地である、大阪/河内の旅となる。河内地方は、古代日本の大和朝廷が大和盆地(前回述べた竹内街道葛城みち)あったときの三輪王朝が衰弱した後に生駒山脈を超えて河内王朝にに戻ったとして、応神や仁徳天皇陵のような巨大古墳を生み出した王朝の地であると述べられている。

    今回は洛北諸道として京都の北部の山間部の旅となる。まずはスタスタ坊主から。スタスタ坊主は文字通り複数人数でスタスタ歩いている僧侶で別名願人坊と呼ばれる。スタスタ坊主の話から、次に山伏の話へと続いていく。さらに鞍馬寺から、寺の僧兵に話は移り、最後は山国陵で南北朝の話へと進む。

    今回は大阪から南下して関西国際空港に向かう途中、電車だと南海電鉄で堺駅あるいは堺東駅で行ける堺とそこから和歌山に抜ける紀州街道界隈となる。堺では戦国時代の自由都市に思いを馳せ、その後沢庵和尚が開いた南宗禅寺に向かう。そして堺に本店がある美々卯でうどんすきを食べる。

    今回の旅は、京都から大阪・兵庫へと向かう路で、奈良から京都に移る時に一時的に作り上げた長岡京とそこに藤原氏が立てた大原野神社(図中右端の星)から始まり、老ノ坂(図中右側)を経由して、明智光秀が築いた亀山城、丹波篠山城(図中中上星)から南下して丹波焼の窯元が集まる立杭(図中左中)、三田を経由して神戸の上部にある有馬温泉(図中左下星)までの丹波篠山街道となる。

    今回の旅は兵庫県の神戸市となる。題名の通り神戸市の海岸周りの小規模な「散歩」の旅となる。旅は神戸港に浮かぶ人工島・ポートアイランド南端にある神戸ポートピアホテルからスタートし、ポートライナーに乗って貿易センターでおりて生田川に出る。さらに新神戸駅の裏側にある布引の滝、神戸市街地にある、旧外国人居留地、神戸華僑歴史博物館と続く。

    今回の旅は和歌山県和歌山市周辺、かつて栄華を誇り、密厳浄土をとなえた覚鑁(かくはん)により作られた根来寺と、鉄砲集団として武威を誇った根来宗について述べられた後、聖天宮法輪寺、日前国懸神社をめぐる旅となる。

    今回の旅は、”大乗仏教と涅槃経と禅の教え“や”禅的生活“等で述べている京都府京都市北区紫野にある大徳寺を中心とした話となる。大徳寺は京都では紫野という街にある。紫野は、文字通り紫草が生えている野という意味で、古代の紫という色は最も高貴な色とされ、その色の染料が取れる草が紫草であることから、古代の皇室や貴族が猟をする禁野とされている場所となる。

    今回の旅は和歌山県の熊野。今回は熊野古道の紹介と古座街道、和歌山県すさみ町週参見から古座川沿いの雫の滝、真砂、一枚岩、明神の川集宿、潜水橋、河内神社を通り古座に抜ける旅について述べる。

    今回は、伊賀忍者と甲賀忍者の話題と焼き物の街信楽を中心とした甲賀と伊賀の信楽のみちとなる。

    今回の旅は、京都西部の自然豊かな名所である嵯峨野への旅となる。嵯峨野の旅は、古くは「絶壑ノ間ニ孤立ス」と表現された山峡の水尾から始まり、はるか昔にこの地にたどり着いた清和天皇に触れ、天皇を祀るお社を護持し続ける里人の心遣いに鳥目する。嵐山の渡月橋では、古代山城国(京都)に定住し、土木技術によっ田野を切り拓いたと言われる渡来系士族の秦氏ついて述べている。次に天龍寺を訪れ、天龍寺塔頭の知恩院で嵯峨名物の湯豆腐を食べながら、豆腐の起源について述べ旅を終えている。

    今回は姫路城で有名な兵庫播州揖保川・室津みちとなる。播州は戦国時代の軍師としても有名で、竹中半兵衛とともに「両兵衛」と呼ばれた黒田官兵衛が活躍した播州の旅となる。黒田官兵衛が一時居城としていた山﨑を訪ねるため、揖保川沿いに車を勧め、古代稲作民について思索を巡らせながら伊和神社の境内を歩き、山崎城のわずかな名残を見る。龍野では童謡「赤とんぼ」で有名な三木露風を心に浮かべ、揖保川を下り室津に出て、中世、外洋を航海した船や、四国に流される途上でこの地に立ち寄って法然上人に思いをはせる。

    今回の旅は高野山みちとなる。高野山は空海の開創した山であり、司馬遼太郎一行は、車で大阪から紀見峠を南を超えて麓の九度山に入る。九度山では、大阪冬の陣までそこに住んでいた真田父子の悲運に思いをいたし、慈尊院で空海の母を思う。九度山から高野山へ登る町石道は当時荒れ果てて廃道同様になっていた。その入り口で、深山幽谷に引き込まれるような畏れを感じる。次に高野聖たちが空海と浄土信仰を結びつけたことを思い、修行僧たちが念仏を専修する真別処を尋ねる。

    今回の旅は、”笈の小文”を辿る旅と「街道をゆく」第7巻より淡路・明石の旅となる。

    今回は、奈良県・大和・壺坂の道について述べる。旅の始まりは大和八木駅から、壺坂に向かう途中、高松塚古墳に立ち寄り、城下町の土佐から高取城への急斜面を述べ李、頂上からの眺めを楽しみ、壺阪寺に向かって降りていく。

    今回は、最澄が開き、道元、法然、親鸞らの諸派を生んだ中世最大の学林である天台宗・比叡山について述べる。比叡山の旅では山へのいくつかの述べ李口で麓の文化を探り、東麓の町・坂本では、この絵穴太衆の高い技術が反映された石垣に着目、さらに最澄が登ったとされる本坂に近い日吉大社に詣で、比叡山と日吉大社の歴史的つながりを考える。続いて円仁入唐に思いをはせて円仁ゆかりの赤山禅院を訪れる。更に比叡山西麓の坂・雲母坂付近にある曼珠院門跡を訪れる。比叡山山頂を訪れた司馬遼太郎は、千日回峰行の本拠地・無動寺谷を訪れ、最後に天台宗の秘儀・法華大会の儀式を拝観する。

    興福寺は、奈良県の中心、平城京跡のすぐ近くににある寺院であり法相宗大本山となる。興福寺は寺院でありながら、武芸の聖地としてさまざまな小説の中に登場している。また国宝仏像の指定数が日本一多い寺としても有名寺でもある。

    • 街道を行く 十津川街道

    今回は奈良・吉野の山奥に広がる十津川郷での旅について述べる。旅のスタートは大阪から、タクシーに乗り南下して、富田林を経て金剛山の山中に入り、五条で土地のタクシーに乗り換える。十津川へと向かう山中で「十津川は古くより税の免除を受け国家の拘束を逃れていたため、「十津川共和国」というものをつくることもできるし、ひるがえっていえば実際は多分にそうだった」と考えている。十津川郷への入り口の天辻峠では幕末の天誅組の命運と、上湯では新撰組に追われ十津川に逃げた田中光顕らのことを思う。最後に玉置神社を参詣し熊野に向かい、隠国と呼ばれた熊野が、十津川に比べて「目を見張りたいほどに広闊な野に感じられる」と述べている。

    茶はチャノキと呼ばれるツバキ科の常緑樹の葉や茎から作られる飲み物となる。日本では奈良時代、唐から入ってきたと言われており、当時遣唐使と共に唐に渡った”街道をゆく 叡山の諸道(最澄と天台宗)“に述べている最澄が天皇に茶を立てたという記録や、”空海と四国遍路とサンティアゴ巡礼“で述べている空海が茶の種を持ち帰りそれが大和茶の始まりであるという記録が残されている。

    • 街道をゆく 奈良散歩

    今回は奈良散歩について述べる。東大寺二月堂の修二会(お水取り)の行が始まる1984年3月1日の午後、司馬遼太郎は奈良を訪れる。翌日は多武峰を訪れ、洋画家・六条篤を思い浮かべる。興福寺では阿修羅の美しさを愛で、五重塔をめぐる明治初期の廃仏毀釈について考えている。さらに東大寺二月堂のまわりを歩きながら、1000年以上も続いてきた修二会の”文化”について思いをはせる。

    • 街道をゆく 近江散歩

    今回は街道をゆく、最後の旅となる近江散歩となる。司馬遼太郎は、近江の民家のたたずまいや、近江門徒という精神的な土壌、風土について語り、かつて神崎郡金堂で作家・外村茂の生家を訪ねたことに言及し、近江商人への関心を示す。その後関ヶ原の不破関資料館に立ち寄った後、近江へ引き返し寝物語の里をを目指す。中山道柏原宿でもぐさ屋「亀屋左京屋」に立ち寄り、近江人の商売の極意を考察。彦根城を見て、築城した井伊直勝と直孝親子、同明衆の金阿弥を思う。翌日、姉川古戦場で浅井・浅倉と織田・徳川の合戦を思い描き、国友鍛治の村で鉄砲伝来と信長との関係に思いを致す。さらに安土城跡山頂まで登り、琵琶湖を望む。近衛八幡市で水濠巡りをしながら、琵琶湖に息づく生命の続くことを祈りつつ旅を終える。

    <中国/四国>

    トラック運転手をしながら小学生の息子二人と広島県因島で暮らすバツイチ41歳の寺谷和章は、
    ある夜、交通事故に見舞われ、目の前に現れた謎の天使に“思いのままに飛んでいく魔球”を授かる。
    和章は「カープを日本一にする」という子供の頃の夢を叶えようと、広島カープの入団テストを受けに行くが……。
    家族とそれを取り巻く人間模様を通して、男の選択と生き様を描く長編エンターテインメント。」
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    長州路は現在の山口県の萩や山口市であり、司馬遼太郎の小説に数多く登場する幕末の志士たちが現れた舞台でもある。旅は、明治維新の推進力となった長州人の怜悧と猪突猛進を併せ持つ気風について述べられた後に、関門海峡にある下関の「阿弥陀寺町」「壇ノ浦町」からスタートし、時代を遡って戦国時代の大内・毛利時代の話になった後に、湯田温泉、山口市、津和野へと進み、津和野が笑み出した森鴎外や西周などの話で締め括られる。

    今回は四国の南部と西部。県でいうと愛媛県と高知県にあたる。司馬遼太郎の小説でいうと日露戦争の時代を背景に、松山出身の秋山兄弟を主人公とした「坂の上の雲」と、時代は幕末で前回のべた長州出身だが、宇和島で大きく著名となった大村益次郎を主人公とした「花神」の舞台となっている場所となる。

    スタートは松山から。「坂の上の雲」でも出ていたが、松山は俳句が盛んで、正岡子規や高浜虚子、川東碧梧桐、山頭火等の俳人が多数出ている土地でもある。

    瀬戸内国際芸術祭:瀬戸内海の島々(直島、豊島、高松)をめぐるアート(地中美術館、李禹煥美術館、豊島美術館、イサムノグチ庭園美術館)の旅(直島ベネッセホテル)とジェームスボンド(007)とうどん

    今回の旅は、安芸と備後と呼ばれる広島県となる。旅の始まりは広島駅からで国道54号戦を本庄市、三本の矢の逸話で有名な毛利氏の拠点であった吉田と、古くからの古墳が多くある三好に向かう。

    今回の旅は大阪の小さな港・深日からフェリーに乗り、淡路島の洲本港に向かい。車で淡路島を抜けて徳島と淡路島をつなぐ大鳴門橋を渡りながら鳴門の渦潮を眺め、土佐泊へ行き紀貫之の思いをはせつつ、堂浦で一本釣り漁法とテグスを広めた堂浦の漁師の功績を述べた後、大麻比古神社へ行き、ドイツ橋を見る。その後、吉野川流域に出て、勝端城跡、田中家住宅とたどり、なじみの料亭で阿波踊りを体験する。四国八十八か所の1番札所の霊山寺でお遍路さんや高群逸枝について考え、吉野川北岸を西に進み、脇町、池田を経て、平家の落人で仮説の残る「秘境」祖谷に向かう旅となる。

    今回の旅は「因幡の白兎」の神話で知られる白兎海岸や万葉歌人・大伴家持ゆかりの地など古代文化が息づく鳥取地方の旅となる。旅のルートは鳥取県智頭町の早野からスタートし、川沿いの国道を鳥取まで戻り、柳宗悦の民芸運動について述べられ、因幡国庁跡に行き大伴家持に思いを馳せた後、鳥取砂丘へ向かい、その後鳥取を発って「因幡白兎」の神話で有名な白兎海岸に向かう。さらに倉吉、三徳山皆成院で木綿豆腐を食べ倉吉絣の魅力を語り、米子に向かい、米子では大山を遠望し、大山寺、美保神社と向かったところで旅は終わる。

    今回の旅は、坂本龍馬ら幕末の志士たちが土佐から伊予へ脱藩した道筋を巡る旅となる。高知市に飛行機で向かい。佐川町で坂本龍馬や高杉晋作の遺墨等、維新の志士たちの資料を見たのち、酒造業の古い街並みである酒蔵通りを散策する。次に東津野村(現・津野町)に入り、津野出身の室町時代の五山文学の雄である義堂周信と絶海中津について述べられた後、茶畑や高野の茶堂に立ち寄る。檮原町では千枚田や六志士の墓に参り坂本龍馬を思う、夜は三嶋神社で津野山神楽を見学し、宮野々の番所や、海津見神社を訪れたあと、県境の姫鶴平で高知の人々と別れて、松山へと向かう

    今回の旅は司馬遼太郎の長年の鉄に関する関心から、島根県の出雲から岡山県の吉備までのたたら製鉄の跡を訪ねる旅となる。旅は米子空港から始まり、雲伯国境の安来市に入り、「和鋼記念館」を見た後、八岐大蛇が退治されたという鳥上木(船通山)の麓にある鳥上木炭銑工場を訪れた。その後、宍戸湖畔を西進、光明寺で朝鮮鐘と対面、斐伊川を遡って、吉田村で現存する日本唯一の近世たたら遺跡「菅谷たたら」を訪ねる。さらに出雲街道の難所・四十曲峠を越えて岡山に入り、湯原温泉に行く。最後に加茂町で万灯山古墳を見た後、作州津山に入る旅となる。

    街道をゆく 高野山みち(真田幸村と空海)“でも述べている空海は、平安初期(西暦800年前後)の僧侶で、弘法大師とも呼ばれ、真言宗の開祖となる。四国遍路は四国4県を一周し、空海の修行の足跡を辿る全長約1400kmの巡礼の旅となる。これに対して”街道をゆく 南蛮のみち(2) スペインとポルトガル“にも述べているスペインのサンティアゴ巡礼ではサンティアゴ・デ・コンボステーラの大聖堂を目指すもので、日本の「参り」「詣で」に近いものとなる。

    <九州/沖縄>

      今回の旅は九州の南部(熊本と鹿児島)となる。スタートは熊本空港から始まり、熊本市の北隣の植木町で西南戦争の古戦場として名高い田原坂を訪れ、肥後・薩摩の歴史的な対抗関係について述べた後、西南戦争の主人公である西郷隆盛について述べられている。田原坂からは八代に移り八代城跡を見た後、球麿川に沿って上流に遡り、阿蘇の麓にある人吉に行き、その地を収めた相良氏について述べられている。

      街道をゆく第29巻より。島原・天草の諸道について今回の旅は、九州の北西部、長崎県の島原半島と、熊本県の天草諸島となる。旅のルートとしては空路長崎まで飛び、長崎空港から島原半島を島原湾に沿って、島原城、原城を通って口之津を通り、江戸時代の島原の乱の話となる。その後フェリーに法、熊本県の天草下島に渡り、本戸(本渡)城跡にある殉教公園の丘に登り、島原の乱と同時に起きた天草四郎の乱について述べられている。

      今回の旅は沖縄県。沖縄では、本島よりもずっと南西に浮かぶ八重山諸島などを「先島(さきしま)」と呼び、沖縄本島首里、糸満漁港を訪れたのち、先島の入り口石垣島で市場や宮良殿内、石垣家、宮島御獄を訪れたのち、船で竹富島に渡り、犬の井戸、牛岡の丘、森の中の鍛治移籍、星砂の浜、喜宝院、蒐集館、小城盛、島仲家、そして美女クヤマの安里家を訪れる。次に石垣空港から日本最西端の与那国島へ行きサンニヌ台、女首長サンアイ・イソバの大岩と碑、トゥング田などを巡って旅は終わる。

      旅のルートは福岡から、飛行機で福岡空港に入り、蒙古襲来(元寇)に思いを馳せながら、今津の元寇防塁、蒙古塚を尋ねる。虹の松原を通り、海人の松浦党に思いをめぐらして呼子、外津へ。唐津に泊まったのち、平戸口からフェリーで平戸島に渡り、平戸城、オランダ商館跡、ザビエルの碑、松浦史料博物館、印山寺屋敷跡、三浦按針埋骨碑などをめぐり、大航海時代のオランダや英国、ポルトガルについ考える。再びフェリーで平戸口へ戻り、佐世保に宿泊。平戸を出たポルトガル人の足跡を追って横瀬浦に向かい、大村湾沿いに長崎まで南下して宿泊。福田浦、トードス・オス・サントス協会跡地に立つ春徳寺、長崎氏の居城跡を訪れ、ポルトガル領だった時代の長崎を想う。

      今回の旅は鹿児島県の種子島と屋久島、奄美諸島となる。種子島や屋久島、奄美諸島は日本の歴史に古くから登場する。近年だとロケット打ち上げ基地があることでも有名である。

      今回の旅は大分県を中心に、全国に4万社余りあるという八幡神の故郷、大分県の中津・宇佐と、温泉の街、由布院と九州の小京都とよばれる日田となる。

      今回の旅は朝鮮半島と日本との間に位置し、古来より鉄の会場輸送の経路となり、神話や伝承の上で不思議な様相を帯びつつ、日韓両国の人と文化の歴史的な交流の舞台となって壱岐・対馬について述べる。

      海外

      ハワイでのアイアンマンレースはハワイ島で行われる。空路の玄関口である小さなコナ空港から数kmのところにある海辺の田舎町カイルア・コナがスタート/ゴール地点で、海亀も泳ぐ美しい海を3.8km泳ぎ、ウェットスーツをバイクジャージに着替えた後、自転車は最初の1kmちょっとをハイウェイまでの急坂を上り、ハイウェイに登りきった所で左折して、延々と続く吹きさらしの溶岩道路であるハイウェイを180km往って帰り、カイルアコナまで戻ってきた後、ランニングシューズを履いて海岸沿いのアップダウンのあるコースを42.195km走る自然に溢れたレースとなる。

      今回はフランス/スペイン/ポルトガルを巡る旅となる。戦国時代に日本を訪れ大きな影響を及ぼした南蛮人であるフランシスコ・ザビエルの足跡を辿り、フランスのパリからスペインのバスク地方まで訪ね、次に戦国時代の日本人から南蛮と呼ばれた国、スペインとポルトガルを訪れる旅となる。

      街道をゆく22巻23巻より。前回は、戦国時代に日本を訪れ大きな影響を及ぼした南蛮人であるフランシスコ・ザビエルの足跡を辿り、フランスのパリからスペインのバスク地方まで訪ね、次に戦国時代の日本人から南蛮と呼ばれた国、スペインとポルトガルを訪れた旅となる。今回は引き続き南蛮のみちとして、スペイン/ポルトガルを巡る旅となる。

      今回はアイルランドを訪ね歩く旅となる。旅のスタートはロンドンから。それは、アイルランドとは切っても切れない関係である英国を感じてから、アイルランドに入りたいということからであったらしい。ロンドンでは国費でロンドンに留学していた夏目漱石のロンドンでの憂鬱を思い鵜がへたり、シャーロックホームズについて考えながらチャリング・クロス駅付近を散歩したりしている。その後、当時全市民の約4割がアイリッシュであるというリヴァプールに向かい、ビートルズにあるアイルランドについて考え、英国協会とカトリックの大聖堂を訪ね800年以上続く、イギリスとアイルランドの葛藤について述べている。

      今回は引き続きアイルランドを訪ね歩く旅となる。ロンドン、リヴァプールをへて空路ダブリンに入った司馬遼太郎は、まずダブリン市内及び近郊を見て回る。次に、ゴールウェイ、アラン島、ケリー島などを巡りダブリンに戻る。アイルランド島の西端に近いコングの村では、そこで撮影されたジョン・フォード監督の「静かなる男」をもとに、アイルランド人とアイルランド系移民の民族性について考察。アラン諸島では、記録映画「アラン」などを手掛かりに、岩盤だけで土がない過酷な自然の中で生きることについて考える。さらに、ケリー半島、キラーニイ、ケンメアと回りながら、イェイつや小泉八雲を素材に、妖精大国としてのアイルランドに想いをはせる。

      今回の旅は、日本を離れてモンゴルへ。旅の始まりは新潟から、新潟空港からロシアのハバロフスクへと飛び、さらにイルクーツクのモンゴル領事館でビザを受け取り、二度の乗り換えでモンゴルにたどり着く。現在はモンゴルの首都ウランバートルへの直行便もあり、5時間程度で着くことができるが、1973年当時はこれがモンゴルへの最短ルートであった。ハバロフスクでの司馬遼太郎は、アムール川の対岸に遥か広がる中国領を望み、かつて国境をはさみソ連軍と対峙した戦車連隊士官時代の記憶に、運命と歴史の皮肉を感じていた。イルクーツクでは、江戸時代に日本から漂着した大黒屋光太夫の軌跡を偲ぶ。ようやく入国したモンゴルの首都ウランバートルで司馬遼太郎は、ノモンハン事件の悪夢に日本人とモンゴル人の不幸な出会いを嘆く一方、足を伸ばした南ゴビでは、満天の星空や一望何億という花の咲きそよぐ草原、さらに純粋な遊牧民たちとの交流に、帰りがたいほどの想いにかられる。

      今回は米国のニューヨークの旅について述べる。今回の旅ははマンハッタン島を中心に行われた。司馬遼太郎一行はタクシーでマンハッタン島北端にあるインウッド・ヒルズを訪ね、その後セントラルパークを訪ねた後、ブルックリン地区で、”街道をゆく 阿波と淡路島の旅と歴史“でも述べたブルックリン橋を作ったローブリング親子の事業を思いを寄せる。

      今回は「まことに世界は神が作り給うたが、オランダだけはオランダ人が作ったということがよくわかる」と司馬遼太郎が述べているヨーロッパの中でも、いちはやく自律主義や合理主義、近代的な市民精神を確立したオランダの旅となる。

      本ブログでは、司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに日本国内、あるいは海外の彼が関心を持って訪れた国について述べている。「街道をゆく」耽羅紀行の中で彼は、行きたい海外の国々として、モンゴル高原と、ピレネー山脈、アイルランド島とハンガリー高原に行きたいと述べている。それらの中で、モンゴル高原、ピレネー山脈、そしてアイルランドに関してはそれぞれ訪れ、思いを遂げている。今回は、彼が訪れることができなかったハンガリーについて述べてみたいと思う。

      今回の旅は、台北から、作家の陳舜臣とともに官邸に招かれ李登輝総裁と会う。台北のまちを歩きながら、この地と関わりのあった日本人のことを考えつつ、新竹のシリコンバレー、山中の景勝地・日月澤などを訪れ、嘉南平原にある「鳥山頭水庫」で、ダム工事を指導した八田興一の銅像と夫妻の墓碑を見る。高雄から台南へ。大航海時代のオランダ人が建てた赤崁楼とゼーランジャ城をみて、担仔麺(たんつうめん)を食べながら彼らの活躍ぶりに思いを描き、その後に歌舞伎「国姓爺合戦」で有名な鄭 成功(ていせいこう)の生涯について考える。

      今回の旅は韓国・済州島の旅となる。済州島では聖地、三姓穴を訪問し、島を西回りに南下して、元の支配に最後まで抵抗した三別抄軍の終焉の地や翰林公園に立ち寄る。島南部の西帰浦市では地元の長老たちと会い、漢拏山麓を車で横断して、13世紀、草原を求めて南下してきたモンゴル人と蒙古馬のことを考える。古い港の朝天では、500年続いた儒教国家である李朝時代に島に流されてきた官僚たちについて考え、念願のシャーマンや海女らと会って旅を締めくくる。

      シルクロードの舞台となるユーラシア大陸の中央部には、広大な平原が広がりユーラシアステップ(Eurasian Steppe)と呼ばれる。この地域では、気候が厳しく、夏は暑く乾燥し、冬は寒く厳しい条件が広がっており、農耕には適さず、遊牧民族の生活様式に適している場所となる。今回は、このシルクロードでの遊牧民族について述べてみたいと思う。

      • 街道をゆく 中国・閩(びん)の道

      今回の旅は、中国福建省(の古代名である閩(びん))の旅について述べる。前回の”シルクロードと平原の歴史“でも述べた様に、東洋と西洋を結ぶ通商の道としては、ユーラシア大陸を横断する絹の道と、大航海時代に開拓された海の道の2つがある。今回の福建省(閩)は、このうち後者の海の道の交流の舞台となったもので、マルコポーロの東方見聞録にも登場する場所となる。また、古くは稲作の民にして漂流民でもあった越人のいた場所でもある。

      • 街道をゆく 韓のくに紀行

      今回は韓国の旅となる。司馬遼太郎は、古代の朝鮮を体験しようと、韓国の農村を巡る旅にでる。釜山の龍頭山では、李舜臣の像を見て、祖国を救った海将に敬意を表し、釜山の近郊の金海では、金氏の祖廟・首露王陵を訪ね、礼拝する人を見て、李朝という儒教国家が続いているような思いにとらわれる。慶州郊外の仏国寺では、万葉集に出てくる「歌垣」を思わせる野遊びに出会い、その近くの掛陵では、古代を思わせる老人たちの酒盛りに合流する。大邸近郊の友鹿洞(友鹿里)という村では、秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮に投降して武将の実在を実感し、百済の旧都扶余では、古代日本と百済の関係や白村江で散った兵士たちの心情に思いを馳せる。

      • 街道をゆく 中国・江南のみち

      今回は歴史を通じて日本と関係の深い中国・江南(長江下流の南側に広がる広大な肥沃な地域)を通じて大いなる古代文明を築いた蘇州、杭州、紹興、寧波を巡る旅となる。今回の旅は蘇州から、蘇州では現存する城門に沿って宋と日本との関わりについて述べられ、また龍井(竜井)の茶畑を見て中国茶の日本への影響について述べられている。紹興では魯迅故居を訪ね、中国の知識人階級の暮らしについて考察し、最後に訪れた寧波では、遣唐使や鎌倉時代の留学層が上陸した港や天童山を訪れ、文化の吸収に努めたかつての日本人たちに思いをはせている。

      • 街道をゆく 中国・蜀のみち

      今回の旅は、上海から蜀の都成都に向かうことから始まる。蜀はかつては到達が困難な峻険な地であり、その地形の影響で年中曇り空の天候だと言われている。成都では、地元の人と、少数民族や唐辛子、豆腐などについての会話を楽しんだ後、2000年以上成都盆地を潤し続けるダム・都江堰へ向かい、ダムをつくった李冰やその技術に感嘆する。その後成都への帰路で、幸福人民公社という村の農家に立ち寄り、日本の民家との共通点を考える。成都では、諸葛孔明を祀った武侯祠を訪れ、『三国志』や蜀の英雄たちに思いをはせる。杜甫草堂で儒教国家の知識人について考えた後、望江楼公園で日本とは違う竹を見、隣接する四川大学を訪れる。

      • 街道をゆく 中国・雲南のみち

      今回の旅である成都から昆明へ向かう機上で、古代の雲南省で漢民族とは別の文明圏を形成していた民族「西南夷」を思い、彼らの稲作のこと、また、彼らが日本人の祖先なのではないかと考えを発展させる。そして滇池近くの石寨山遺跡から出土した金印に関して日本とのつながりを思考する。睡美人(西山)にある道観(龍門石窟)を訪れて滇池を上から眺め、昆陽に生まれた大航海家・鄭和を思い、雲南省博物館では、石寨山遺跡から出土した見事な青銅器を見る。また、昆明郊外の少数民族イ族の支族、サメ族の村を訪ねる。滇池を望む大観公園を訪れ、市内で抗日戦線に参戦した老人と市内の茶館で語り合うなどして旅を終える。

                                                  歴史
                                                  • 興亡の世界史 人類はどこへ行くのか
                                                  • 仁義なきキリスト教史
                                                  • 千利休の「わび」とはなにか
                                                  • スキタイと匈奴
                                                  • ケルトの水脈
                                                  • 近代ヨーロッパの覇権

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