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サマリー
旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。
前回は、比叡山への旅について述べた。今回は北海道の北東部の海辺に、謎の海洋漁労民族「オホーツク人」を尋ねる旅となる。今回の旅のスタートは2部に分かれる。最初の旅は、札幌の北海道開拓記念館から、まず網走に向い、網走観光ホテルに宿泊して、道立北方民族博物館、能取湖、サンゴ草の広がる卯原内、サロマ湖、モヨロ貝塚、網走市郷土博物館を尋ねる。第二部は札幌から特急列車で6時間の稚内へ、サロベツ原野を目にしつつ南稚内に到着。飲み屋を訪れ、水蛸のしゃぶしゃぶを堪能した後、抜海岬、納沙布岬、声岬と岬めぐりをして、宗谷丘陵を通って最北端の宗谷岬へ、間宮林蔵の碑を見て、北方40kmの樺太と韃靼大陸に想いを寄せる。猿払村、浜頓別、枝幸町とオホーツク海沿岸を南下し、目梨泊遺跡の発掘現場を訪ね、紋別市のオムサロ遺跡公園、オホーツク流氷科学センターをめぐってから網走へ、小清水、斜里町を経て旅の最終地である知床半島に向かう。札幌市は北海道の道庁所在地で、ビールやスキー場に加え、巨大な雪や氷の彫刻が呼び物の毎年恒例のさっぽろ雪まつりで有名な場所となる。ビール醸造の歴史をたどるサッポロビール博物館にはビアガーデンがあり、テイスティングもできる。札幌は1972 年冬季オリンピックのスキー場やジャンプ台が市のあちこちに点在しており、近くには有名なスキー場のニセコもあるスキーの名所でもある。
今回の旅は札幌の北海道開拓記念館からスタートする。
ちなみに、近畿日本ツーリストのHPにある魅力あふれる街・札幌のおすすめ観光スポットBEST15では、札幌市時計台、大通り公園、元祖さっぽろラーメン横丁、円山動物園、大倉山展望台、サッポロビール園、赤煉瓦庁舎、マジックスパイス、さっぽろテレビ塔、札幌二条市場、サッポロドーム、サッポロ羊ヶ丘展望台、モエレ沼公園、白い恋人バーク、幌見峠ラベンダー園が挙げられているが、北海道開拓記念館は挙げられていない。HPを見ても地味な展示館であるようだ。これらの中で本ブログで現れたものは”瀬戸内国際芸術祭“で述べているイサム・ノグチによるモエレ沼公園となる。
司馬遼太郎一行は札幌から電車で5時間30分かけて網走に向かう。
網走市は、北海道の北東沿岸に位置し、オホーツク海の流氷で知られた街となる。
網走では一行は天都山の中腹に位置し、国定公園網走湖を望むことができる網走観光ホテルに宿泊している。
そこから一行は道立北方民族博物館、能取湖、サンゴ草の広がる卯原内、サロマ湖、モヨロ貝塚、網走市郷土博物館を尋ねている。モヨロ遺跡に関しては”街道をゆく オホーツク街道 モヨロ遺跡の物語“を参照のこと。
また北海道の旅第二弾は、同じく札幌から電車で6時間の稚内へ向かっている。稚内市は、北海道北部にある市で、日本国内の最北端に位置しており、宗谷地方の行政・経済の中心地、ロシアサハリン州をはじめとする北方圏への玄関口になってい場所となる。
稚内ではサロベツ原野を目にしつつ南稚内に向かい。
飲み屋を訪れ、水蛸のしゃぶしゃぶを堪能する。
その後抜海岬、納沙布岬、声岬と岬めぐりをして、宗谷丘陵を通って最北端の宗谷岬へ向かい、間宮林蔵の碑を見て、北方40kmの樺太と韃靼大陸に想いを寄せる。
間宮 林蔵は、江戸時代後期の徳川将軍家御庭番(御庭番は密命を受けて秘かに情報収集などに従事する隠密・忍者のことを指し、”司馬遼太郎と池波正太郎と時代小説“等でも述べている時代小説によく現れる)であり、樺太(サハリン)が島である事を確認し間宮海峡を発見した事で知られている探検家でもある。間宮林蔵の生涯については吉村昭による小説「間宮林蔵」で詳しくみることができる。
猿払村、浜頓別、枝幸町とオホーツク海沿岸を南下し、目梨泊遺跡の発掘現場を訪ね、紋別市のオムサロ遺跡公園、オホーツク流氷科学センターをめぐってオホーツクの流氷に思いを寄せる。
さらに網走、小清水、斜里町を経て旅の最終地である世界遺産知床半島に向って旅は終わる。
次回は英国とアイルランドを訪ね歩く旅となる。
コメント
[…] 街道をゆく オホーツク街道(稚内と択捉と間宮林蔵と知床) […]
[…] 「街道をゆく」第30巻より。 前回は北海道の北東部の海辺に、謎の海洋漁労民族「オホーツク人」を尋ねる旅について述べた。今回はアイルランドを訪ね歩く旅となる。旅のスタートはロンドンから。それは、アイルランドとは切っても切れない関係である英国を感じてから、アイルランドに入りたいということからであったらしい。ロンドンでは国費でロンドンに留学していた夏目漱石のロンドンでの憂鬱を思い鵜がへたり、シャーロックホームズについて考えながらチャリング・クロス駅付近を散歩したりしている。その後、当時全市民の約4割がアイリッシュであるというリヴァプールに向かい、ビートルズにあるアイルランドについて考え、英国協会とカトリックの大聖堂を訪ね800年以上続く、イギリスとアイルランドの葛藤について述べている。 […]