法家と儒家 – 秩序と自由

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法家と儒家

司馬遼太郎の”街道をゆく 台湾紀行“では中国の古典的思想である法家と儒家の比較が述べられている。

街道を行く第40巻台湾紀行

そこでは、台湾の道の凸凹さから始まり、歩道が凸凹しているのはその道に面した商店の私が優っており、自店の都合で店頭の歩道を盛り上げたり、そのままであったりと、中国大陸人による”万人身勝手”とという考え方から来ている、と述べられている。

そこで彼は、近代台湾の成り立ちに重要な役割を果たした孫文の”外国人の観察者は、中国はばらばらの砂である、と申します”と言う言葉を引用しているこの”ばらばの砂”の原語は”一片の散砂”と言う言葉で、握っても固まらない砂という表現となる。

そこで孫文は、中国人には、他国のように国家を意識した民族主義がなく、あるのは家族主義と宗族主義だけだと言い切っていると司馬遼太郎は述べている。

この国家主義(孫文の言葉では”国族主義”)は、愛国という言葉とはニュアンスが異なり、公に対して私を滅する立場であり、”天下為公”という四文字で表される意味となる。

中国にも、この公をやかましく言ったのは、韓非子に代表される「法家」であり、孔子に代表される儒家にも公の思想はあるにはあるが、主とする考え方は、仁や義など私人に必要とされる徳目であり、それが最も大事であると述べられている。中国では法家の思想は廃れ、儒家の思想がドグマとして続いたため、人治主義であり、歴代の皇帝も基本的には私であり、公であっことはなく、その手脚となっている官僚もまた私で、例えば地方官僚の場合、ふんだんに賄賂を取ることは自然の営みであったと述べられている。

今回は、この韓非子と孔子の違いについて述べてみたいと思う。

韓非子と法家

韓非子は”荘子の思想 心はいかにして自由になれるのか“で述べている荘子や、”問題解決のルーツ- 孫子について“で述べている孫子、”水のように生きる-老子思想の根本にある道“で述べている老子と同様に春秋戦国時代(紀元前5世紀-2世紀:秦が中国を統一する前の混乱した群雄割拠の時代)、百家争鳴と呼ばれる中国思想史の全盛期に生まれた政治家となる。

彼は性悪説を説く儒家荀子に学んだといわれ、非違の行いをによる徳化で矯正するとした荀子の考えに対し、法によって抑えるべきだと主張した思想家でもある。

韓非子は、紀元前三世紀のはじめ頃、韓の公子として生まれ荀子のもとに遊学、のちの秦の宰相李斯とは同門であった。

当時、韓の国力は衰退し、韓非子はしばしば韓王に上書して、富国強兵と法制の強化を説いたが、採用されない為、引退して著作に打ち込み、十余万言を書き上げた。彼の著作は秦に伝わり、秦王政(のちの始皇帝)の目に留まった。

秦王は「孤憤(こふん)」と「五蠹(びと)」二篇を読むと「ああ、これを書いた者と会えたら、わたしは死んでもかまわない」と感嘆の声をあげ、韓を急遽攻めて、講和の使者として送られてきた韓非と会った。

そこで、韓非が登用されたら、自分たちの地位が脅かされるのではないかと恐れた李斯は、秦王に「あの男は韓の公子であり、彼が秦に尽くすとは思えません。といって、このまま国に返したら、こちらの内情を教えねようなもの。今のうちに処置すべきです。」と中傷し、韓非は獄に繋がれ、李斯が獄中に毒を送り、自殺を迫った。韓非は、秦王に会って直接弁明しようとしたが、それも許されず、ついに自ら毒薬を仰いだ。

彼は、儒家の復古主義に反対し、君主に権力を集中させよと説き、「法術」と功利をたっとんだ。彼によれば「法」こそが唯一絶対の基準であり、「明君の治める国に、書物は不要である。法そのものが教えなのだ。」君主は国家機構の頂点にあって、「法」の運営に勤めるだけで良い、その運用の仕方が「術」であると述べている。

荀子の性悪説によれば、人間は天性、利益を追い、快楽を求めようとする。臣下も例外ではなく、いつわり、へつらい、とりいることで君主を騙そうとしがちである。「術」とは、そのトリックを見破るための臣下操縦法に他ならないとも韓非子は述べている。

秦はこの韓非子の考えに基づいて富国強兵を成し遂げ、天下統一に成功した。その意味で、韓非子は春秋戦国時代に生まれた諸子百家の殿(しんがり)役をつとめたとも言える。

韓非子に対する書物としては”韓非子 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典“、”マンガ 孫子・韓非子の思想“等がある。

儒教

儒教における儒(じゅ)の起源は、胡適が「の遺民でを教えるとして以来、様々な説がなされている。それらの中で、近年は冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきている。

東洋学者の白川静は、紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズムおよび死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン)を儒の母体と考え、そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが”孔子の論語 総合的”人間学”の書“でも述べている孔子としている。

孔子は、韓非子と同じく実力主義が横行し身分制度が解体されつつあった春秋戦国時代に、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げ「論語」を作った。

儒教の経典は、前述の「論語」の他に、「易」(五経の筆頭に挙げられる経典で、太古よりの占いの知恵を体系・組織化し、深遠な宇宙観にまで昇華させているもの)・「書」(中国古代の歴史書で、伝説の聖人であるから王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されているもの)・「詩」(全305篇からなる中国最古の詩篇)・「礼」(さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などについて述べたもの)・「楽」(楽経は秦の始皇帝による焚書によって早くに失われた)・「春秋」(古代中国東周時代の前半(=春秋時代)の歴史を記した、編年体の歴史書)の六芸(六経)であり、一般には楽経を除いた五経と呼ばれているものから成っている。

それらの書物の中で、儒教は、五常(仁・義・礼・智・信)という徳性を拡充することにより五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)関係を維持することを教えている。

五常は、儒教が最も重要とする「徳目」であり、徳とは人が従うべきルールを守ることができる状態をいい、徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができるとされている。また、徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができるともされている。そのような徳の中で、特に重要とされる五常は、以下のものとなる。

  • 仁 : 仁は「人間性」「仁愛」「人道主義」を指し、他者への思いやりや愛情、倫理的な行動を重視するもの。孔子は仁を最高の徳目としている。
  • 義 : 義は「正義」「義務」「道徳的な行動」を指し、公平さや正義を強調するもので、利欲に囚われず、すべきことをすることを表す。
  • 礼 : 仁を具体的な行動として、表したもので、もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに、人間の上下関係で守るべきことを意味するようになり、社会的な規範や儀礼を通じて個々の行動を規制し、社会秩序を維持するものとなる。
  • 智 : 智は「知恵」「理性」を指し、知識や学問の重要性を強調するものとなる。ただ学問に励むだけでなく道徳的認識判断力であることともされており、智は『論語』では知と表記され意味としては聡明、明智などの意味もある
  • 信 : 信は「信頼」「誠実」を指し、人々の信頼を得るために真実実直な態度を取ることが重要視されるものであり、言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であることを表す。

五倫は、秩序ある社会を作る為の関係性について述べたもので、以下のようになる。

  • 父子: 親子の関係で、子は親に敬意を払い、親は子に愛情をもって接するべきとされている。
  • 兄弟: 兄弟姉妹の関係で、互いに協力し合い、仲良くするべきとされている。
  • 夫婦: 夫婦関係では、夫は妻を尊重し、妻は夫に従順であるべきとされている。
  • 長幼: 年長者と年少者の関係で、年長者は年少者を導き、年少者は年長者に従うべきとされている。
  • 君臣: 君主と臣下の関係で、臣下は忠誠を尽くし、君主は民のために尽くすべきとされている。

このような考え方は、混乱した世界や自分自身の状態に対して、徳という視点での、一つの秩序を与えてくれるものとなる。

論語の持つ秩序の再編の力は、日本での江戸幕府の奉献体制の支えになったり、近年では中国の共産主義を支える思想的根拠にもなり、過去には政治的な利用が行われてきたため、あまり良いイメージが持たれてない場合も多い。

しかしながら、”孔子の論語 総合的”人間学”の書“でも述べている渋沢栄一による「論語と算盤」のように、そのような儒教の非政治的な利用の側面だけではない、生きる為の指標を論語から見出すという視点も儒教の中にはある。

これは徳による秩序により、自分のあり方を正しく整え、自分より他人を優先し道義を伴って生きていくことで、人と交わる際のあり方をも整えるという考え方で、京セラ創業者の稲盛和夫氏など、影響力のある経済人が『論語と算盤』の影響を受け、その思想の伝道者となっていたり、最近ではWBCで優勝した侍ジャパンの監督でもある栗山英樹氏も、その考え方を野球の指導に組み入れたりもしている。

社会構造の複雑化や価値観の多様化等、様々な要素からなる現代社会で、自分自身を保つのが難しかったり、更に、その日の体調であったり気分が「今日はちょっとしんどいなぁ…」とか、「体調が悪くて気分がすぐれないよ。」、「どうしてこんな風になるんだろう…」とネガティブな気持ちになり迷いを感じた時、儒教の持つ秩序の持たせ方を参考にすることで、物事の捉え方や考え方を少しだけ変えてくれることがあったり、自分の行動や考え方の指針になったりすることもできるのではにいだろうか。

秩序と自由

混沌とした世界に秩序を持ち込むことは有用であり、その秩序の根拠が過去にこんな良いことがあったからでありそれを一人一人の人間が守れば良いよねという儒家の考え方にも一理あるし、公を考え全ての人が従うべき法を作って秩序を保つという考え方にも一理ある。

しかしながら、過去にうまくいった事例があっても、その事例の前提条件がその後の全ての事例にあてはまる訳ではなく、決まった型ですべて考えるべきだという考え方には無理があるし、法を作る人間が好き勝手に作り始めれば秩序も何もあったものでない世界となってしまう。

道元禅師“に述べているように禅では、型を大事にしており、曹洞宗では箸の持ち方から歩き方など生活の作法を型としている。また型は、”明治のアート フェノロサと岡倉天心と茶の本“でも述べているように茶道にも現れる。

禅の思では、「形から精神に入ることも、もちろん可能であるし、またある程度まではそうなくてはならぬが、形からするものはどうも形にとらえられやすい、そしてその形たらしめるゆえんのものに触れえぬおそれがある」とも述べており、型を学ぶことの大切さと、型にとらわれることによる悪弊について述べている。また形を十分に了解して、しかもそれにとらわれず、その精神の動くままに動くことができると、形は形だけでなく、生きたものとなって、見る者に迫ってくる」として、型と精神が一つになることの大切さについて述べている。

世界は変化しており、その世界に適用される型や秩序も、何も考えずに運用するものではなく、世界の変化に合わせて変えていく必要がある。そのためには、秩序や型のそもそもの意味を考える必要があり、さらに意味を考える上では”情報としての生命 – 目的と意味“でも述べているように目的を考えることが重要となる。混沌とした世界を整理する為の秩序とそれを変えていく自由共に重要な要素となるものと思われる。

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