水のように生きる-老子思想の根本にある道

life tips & 雑記 旅と歴史 禅とライフティップ 古典を読み返す 哲学 本ブログのナビ

老子とはどのような人物か

古代中国の思想書「老子」は、老子という人物によって書かれた書物となるが、この人物が実在したかどうかを疑う説があるほど、その経歴は謎のベールに包まれている。

老子の人物像を知るてかがりとして信用のおける最古の書物は、前漢時代の歴史家・司馬遷によって書かれた「史記」の「老子伝」となる。「老子伝」には、老子と呼ばれる人物の候補として、老耼(ろうたん)、老萊子(ろうらいし)、太史儋(たいしたん)の3人が挙げられている。これを見ても、老子がすでによくわからない人物とされていたことがわかる。

三人の老子古方のうち、最も詳述されているのが老耼となる。老耼は楚(そ)の出身で、姓は李、名は耳(じ)、字(あざな)は耼(または伯陽(はくよう))。老耼とは通称となる。「耼」とは耳が長いという意味になり、名の耳とあわせると、耳の長い人であったことが想像できる。周王朝の守蔵室の史(し)、今で言う国立公文書館の書記官のような仕事をしていた。

老耼が生きた時代は、春秋時代末から戦国時代の初めの紀元前五世紀となる。この時代は周王朝の権威がほとんどなくなり、封建制の秩序が崩壊し、群雄が割拠する戦乱の世が始まった頃となる。

周王朝の力が衰えてきたのを感じ取った老耼は、役人の仕事を捨て、都の洛陽から牛の背に乗り西方へと旅に出る。旅の途中のある関所まで来ると、長官の尹喜(いんき)という人から「道」について語って欲しいと頼まれ、老子はそこで上下二篇、五千字あまりの書物を書き上げる。これが今に伝わる「老子」の原型となる。

現在この「老子=老耼説」が最も有力とされているが、それは上下五千字余りという書物の構成が、現在我々が目にしている「老子」とぴったりするからとなる。その後、老耼はさらに西方に旅を続け、最後はどこで亡くなったのかわからない、と「老子伝」には書かれている。

地の二人の候補、老萊子と太史儋も、老耼と共通する点があるが、三人の老子候補のうち、誰が本当の労使なのかはわかっていない。

ただ司馬遷は「老子とは隠君子(いんくんし)」であると述べている。隠君子とは、政治の場に身をお書かず、世を避けた祐徳の人という意味となる。そうした立場から、世の中のさまざまなことを観察し批判した人物が一人あるいは数人存在し、それがいつしか「老子」という一人の人物像に行出されたと考えられる。「老子」の中には一人の著述とするには矛盾した思想も見られるが、人数はともかく、「老子」という書物を描いた人物が存在したの事実となる。

今回は「NHK100分de名著老子x孫子」より。今回は老子の思想の概要について述べる。

老子x孫子 「水のように生きる」 別冊NHK100分de名著
	はじめに
		「老孫」思想への招待
	第1章 基本理念
		老子 「道」に従って生きよ
			老子は実在の人物か
			二十世紀に入ってからの新発見
			老子思想の根本にある「道」とはなにか?
			「有」と「無」、どちらも「道」の活動である
			無から有が生まれ、さらに万物が生まれる
			「無限大」という概念
			儒家への批判から誕生した老子思想
		孫子 戦わずして勝つ
			戦争の変化がもたらした哲学
			一家に一冊のベストセラー
			竹簡出土による新たな発見
			戦争とは何か
			戦う前に戦力をポイント化
			自軍も敵軍も保全して勝つ
			事前準備こそが勝利を約束する
			戦わずに勝つ思想はどう活かされたのか
		架空対談 老子x孫子① 老子の「道」、孫子の「道」
			▼三人の同時代人
			▼「道」とは何か
			▼老子の兵法
	第2章 生きるための哲学
		老子 上善は水の如し
			「無為自然」という概念
			作為で天下は治まらない
			「水」に柔弱なあり方を学ぶ
			逆説の真理
			強い者は争わない
			老子の「戦わずして勝つ」
		孫子 水の姿こそが理想である
			人間の本質を洞察する
			人はいかにあるべきか
			実力に応じた対処と柔軟な判断
			気と勢──根本物質と集団のエネルギー
			軍隊の形、水の姿
		架空対談 老子x孫子 ② 「水」は人を哲学者にする
			▼「水」を理想とする思想
			▼柔弱な水の強さ
			▼水は思想家の想像をかきたてる
	第3章 人との関わり方
		老子 へり下るのがよろしい
			成功を望むより失敗を避けよ
			自己主張せず、人々から敬愛を得る
			全面対決ではなく、へりくだって温和な外交を
			相手をあざむく戦術
			君主はなにもせず民の自主性を尊重せよ
			老子が思い描いた理想の社会
		「柔」と「剛」のバランス
			徹底して組織論を説く兵書
			国家総動員体制下の上司と部下
			極限状況下の上司と部下
			人間関係の極意
		架空対談 老子x孫子 ③ 「戦争に向き合った二つの思想
			▼『老子』は「世捨て人」の思想か
			▼組織のなかの人間
	第4章 人生の歩き方
		老子 ありのままであれ
			余計なものを捨てよ
			満足することを知る
			倹約のすすめ
			相対的な価値観を捨てよ
			『老子』の面白さ
		孫子 臨機応変に対応せよ
			兵書ならではの知略をヒントに
			機先を制し、臨機応変に行動する
			勝ちを目指すのでなく、「負けない」を目指す
			新しい人、新しい古典
		架空対談 老子x孫子 ④ 「老孫」思想を人生の薬に
			▼本当の幸せ
			▼老子と荘子
			▼「老孫」思想へ
	おわりに
		不安な時代を生きる指針として
老子(書物)について

こうした書かれた書物に「老子」というタイトルがつけられたのは後世のことで、もともとは、ただの名無しの書物であった。「老子」は「老子道徳経」「道徳経」、あるいは「道徳真経」と呼ばれる場合もあるが、これは老子が「道」と「徳」について述べた経典という意味となる。

現在我々が見ることができる「老子」は八十一章あるが、章に分けられたのは後世になってからで、おそらく前漢の末頃までに章立てがされるようになり、今の順序に落ち着いたのは、それからさらに後のこととなる。

このような古代の「老子」の本来の姿が見えてきたのは、二十世紀に入ってきてからの二つの大きな発見による。それまでは八世紀初頭の石刻(道徳経石刻)が現存する最古のテキストとされていたのが、それより九百年遡る「老子」が馬王堆(ばおうたい)の古墳から絹に書かれた「帛書(はくしょ)『老子』」と呼ばれる二種類の「老子」(それぞれが甲本、乙本と名付けられ、甲本が紀元前二百年前後、乙本がそれより二、三十年後に筆写されたものとなる)が見つかったことによる。

さらに戦国時代の楚国の遺跡から、数種類の竹簡(ちっかん:竹を細かく切った短冊状のものに文字を書いて、すだれのように紐で結んだもの)に前述の馬王堆の「老子」よりさらに一世紀ほど前に筆者された「(郭店楚簡(かくてんそかん)『老子』」が見つかった。

帛書、楚簡ともに章立てはされていないが、帛書が「徳」「道」の順で現在の老子とは逆順であるものの、文書の配列はほぼ現在の老子と同じであるのに対して、楚簡は現行本の配列順と全く異なっており「老子」の研究は絶えず進み続けている。

古代中国から読み継がれている思想書「老子」の原典は、五千字余りのコンパクトな書物だが、書かれている内容は非常に地味で難解であり、語句の意味を解釈した注釈がこれまでに多く書かれてきた。現存する最古の注釈は、三世紀半ばに書かれた魏(ぎ)の王弼(おうひつ)による注で、前漢の河上公(かじょうこう)による注釈も有名だが、これは河上公の名を借りたもので、成立は王弼注より後だと考えられている。日本においても「老子」の研究者が解釈し、わかりやすくした訳本が多く出版されているが、それらの多くは訳者の主観が加味されており、忠実に「老子」の思想を表しているかは疑問となる。

「老子」は、順を追ってストーリー仕立てになっているわけでもなく、起承転結があるわけでもなく、同じ趣旨の文章が別の章で繰り返されていたりもする。章の配列には意味はないので、どこから読んでも良いものとなる。

老子思想の根本にある「道」とは何か

老子思想は「道家思想」と呼ばれるように、「道」について書かれた書物となる。ここでの「道」は、我々が普段使っている道路のことではない。

道家思想」と並んで中国古代の二大思想として知られる「儒家思想」も、同様に「道」を重視視している。儒家の「道」は実践道徳のことで、好意の準則やものごとの規律、つまり人間が生きる上で手本となる最高の理想を示す。「道」を具現化したものを「礼」とし、目上の人や親に対する礼節を、人間にとって尊重すべき重要なものとしている。

老子における「道」とは、儒家の「道」とことなる。儒家と同様に、人としての在り方は示しているが、さらに大事なんものとして、天地や万物が生み出される際の根本的な原理、あるいは根拠という意味が含まれている。儒家の「道」を一歩進めて、人間社会のことだけでなく、はるか宇宙に至るまで、ありとあらゆる物の生存や存在は「道」に依っているとしている。儒家が「道」を「人間学」として捉えたのに対して、道家はそれを無限に広げて「自然科学」的に捉えたものということもできる。

「老子」の根本思想の根幹である「道」を知ることは、この世界を形成している万物(人間を含む)がどうやって生まれて、どう終わっていくのかを知ることにつながり、それが分かってこそ、理想とする生き方がはじめて明らかとなる。

まず「老子」で語られる、すべてのものの根源、天地万物の始まりについて見てみる。万物の始まりと「道」の関係を表現したのが第二十五章となる。

有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立不改、周行而不殆、可以爲天下母。

物有り混成し、天地に先だちて生ず。寂たり寥たり、独立して改まらず、周行して殆まず。以て天下の母と為す可し。(何かが混沌として運動しながら、天地よりも先に誕生した。それは、ひっそりとして形もなく、ひとり立ちしていて何物にも依存せず、あまねくめぐりわたって休むことなく、この世界の母ともいうべきもの。

この一節は、天地万物が生まれる前の混沌とした状態を表現したものとなる。人間は天地の創造主を「神」として考えてきた。キリスト教では「主」がこの世を作り、日本の神話でも「神々」が天地を作ったとされている。けれど、「老子」には創造主としての「神」は登場しない。「改まらず」(依存せず)というように、創造主としての神を想定していないのが老子思想の特徴となる。そこが「老子」が哲学的だと言われる所以でもある。第二十五章はこう続く。

吾不知其名、字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。

吾れ、其の名を知らず、之に字して道と曰い、強いて之が名を為して大と曰う。大なれば曰に逝き、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反る。(わたしは、その名を知らない。かりの字をつけて道と呼び、むりに名をこしらえて大と言おう。大であるとどこまでも動いてゆき、どこまでも動いてゆくと遠くなり、遠くなるとまた元に返ってくる。)

老子は混沌の運動から天地が生まれたと言っている。その「混沌の運動」を「道」と読んでいるが、それは神のような形象化された存在ではなく、何かが生まれる根源的な筋道、秩序ことを指している。「吾れ、其の名を知らず」とあるのは、すべてに先立つその形のないものには名前などないということを述べているが、名前がないと人々は共闘認識が持てず、説明することも不可能となるので、あえてそれを「道」と呼ぶ。

続いて「強いて之が名を為して大と曰う」とあるように、「道」も「大」も同じもので、「道」には、この世の隅々に行き渡る無限の大きさがあり、「大」はそうした「道」のもつ無限のさん出力、無限の広がりを表現した言葉となる。

「大なれば曰に逝き、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反る」は「道」の働きを述べている。「道」の中を生きる人間で考えてみると、我々は「道」によって生まれ、それぞれに活動しながらこの世を生きて、最後はまた「道」の中に死ぬ(戻っていく)という自然の摂理の働きを言っている。

また第二十五章では「大」はこの世に四つ存在すると言っている。

故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一焉

道は大なり、天は大なり、地は大なり、王も亦た大なり。域中に四大有り、而して王は其の一に居る。(道は大なるもの、天は大なるもの、地は大なるもの、王もまた大なるものである。この世界には四つの大なるものがあり、王はその一つを占めている。)

道や天地が「大」であるのに加えて、古代中国において、単なる当事者以上の絶対的な存在と考えられてきた王も「大」であると述べられている。

そして第二十五章は以下の言葉で締めくくられている。

人法地、地法天、天法道、道法自然。

人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。(人は地のあり方を手本とし、地は天のあり方を手本とし、天は道のあり方を手本とし、道は自ずから然るあり方を手本とする。)

「人は地に法り」とは、人間は大地の状況に応じてくられている、という意味で、例えば、我々は湿地を避けて乾燥した堅い乳番を選んで家を建て、農業を行うにしても、土地の形状や土壌に合わせた作物を作っている。

「地は天に法り」とは、大地が太陽や月の巡りや四季の変化などの点の活動によって恵を得て、植物や動物を生育させていることを意味し、「天は道に法り」は、点に太陽や月が存在し、晴れや曇り、風雨などの現象があるのは、天地を生み出した「道」に従っているからだ、という意味となる。

最後の「道は自然に法る」の「自然」は花鳥風月や山草草木といった我々が考える自然ではなく、「自然」とは「自(おの)ずから然(しか)り」という意味で、「自ずら然り」とは、他のからの影響をなんら受けることなく、大昔からそれ自体そのようであるさま(=あるがまま)の状態を指す。「道」は、なにか他のものから「道」にされたわけでなく、天地が想像される前から「道」なのであり、その働きにはいっさいの変化も無理も無い、といっている。

コメント

  1. […] 水のように生きる-老子思想の根本にある道 […]

  2. […] また「自然」というものを考えた時、人間は、自然というものは、自分たちが全貌を理解して制御することが可能なものだと思い込んでいるが、自然とは恐ろしいものであり、人間がその全てを把握することなどけっしてできないという認織を、人知を超えたあらゆるもののありようを「道」ととらえ(いわばそれが「自然」でもある)、自然とは何か、それをもう一度考え直す時に、「荘子」は最良のテキストとなる(中国の三代宗教の一つである道教の根本的概念である「道」に関しては”水のように生きる-老子思想の根本にある道“でも述べている)。 […]

  3. […] 水のように生きる-老子思想の根本にある道 […]

  4. […] 韓非子は”荘子の思想 心はいかにして自由になれるのか“で述べている荘子や、”問題解決のルーツ- 孫子について“で述べている孫子、”水のように生きる-老子思想の根本にある道“で述べている老子と同様に春秋戦国時代(紀元前5世紀-2世紀:秦が中国を統一する前の混乱した群雄割拠の時代)、百家争鳴と呼ばれる中国思想史の全盛期に生まれた政治家となる。 […]

タイトルとURLをコピーしました