道元禅師

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サマリー

「道元禅師 」は泉鏡花文学賞・親鸞賞受賞の立松和平による、生い立ちと禅の修行への道、そして宋国での修行と越前永平寺建立までを含めた道元禅師の生涯についてまとめ上げられたものとなる。

道元は、平安の末期に京都の摂政にもつながる公卿の家に生まれた。幼少期から建仁寺での修行の時代的背景としては平清盛の台頭と没落、その後の木曾義仲、源義経、源頼朝の出現と没落、そして三代将軍源実朝が甥の公暁に暗殺され頼朝の一族が絶えるまでと、日本が平安貴族の時代から武士の時代へと大きく変わる動乱の時代となる。(2021年から放送されるNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台でもある)

また、道元が渡り曹洞宗を学んだ宋国も、茶や陶器や水墨画などの文化的なものや、貨幣や紙幣、為替、証券などの経済的な仕組みなど当時の日本に多大な影響を及ぼした最後の漢民族中心の国であっると同時に、北方の異民族である金や元(モンゴル帝国)に滅ぼされる直前の状態で、日本と同様に、国が大きく変わろうとしていた時代でもあった。(華流のドラマとして「岳飛伝-last hero」や「花と将軍」「明蘭」などさまざまなものが作成されている)

さらに、道元が日本に帰り、既存の宗教勢力(京都の比叡山延暦寺)から迫害を受け越前(福井)の永平寺に拠点を定めるまでの時代も、鎌倉幕府設立の立役者となった比企氏(埼玉の比企郡と東松山市)や三浦氏(神奈川県の三浦半島から由来する名前)の滅亡や、京都の勢力の最後の反乱となった承久の乱などの北条氏が権力を掌握するまでの動乱の時代でもあった。

本作の特徴は上記のような興味深い歴史的流れだけではなく、道元の宗教的な観点を丁寧にのべているところにある。それらの中には本質を答えた言葉がある。

例えば、道元が宗に渡り、とある禅僧と会話しているシーシで

「文字を学ぼうとするものは、文字の真実の意味を知ろうとする者でしょう。修行に励むものは、修行の真実の意味を知ろうと求めている者です」

「文字とは一体どのようなものですか」

老子は一種にして答えた。

「一、ニ、三、四、五」

道元は一瞬にして理解した。

「文字はこの数字のようにおのおのが独自性を持ち、ほかに置き換えることができない絶対的な者だ。それでいて、一つ一つはこの数字のように意味はない。意味はそれを使う人が込めるのである。文字はならべれば物事を言い表すが、あらゆる物事も本質を極めてみれば、ひとつひとつはよりどころにならない。探し求めていた龍の顎の下の美しい真理の玉藻、実際に手にしてみればそこいらじゅうたまでないものはない」

の件は、以前「コンピューターでシンボルの意味を扱う」で述べた言葉(シンボル)とそれが持つ意味との関係をそのまま述べている表現となっている。絶対的な意味の世界は存在せず、それを使う人と人との関係の中で意味は生まれてくるのだと思う。

さらに、道元の曹洞宗の師匠である天童如浄からの言葉で、曹洞宗の始祖である洞山良价(とうざんりょうかい)の残した「宝鏡三昧」の話となり

「仏祖の中の仏祖といえるのは、すべからく仏向上の人であると知るべしとおっしゃった洞山良价こそ、仏祖の中の仏祖というべきでしょう。仏向上とは良い言葉ですね。修行の最終目的はさとりなのですが、悟りを得ようとその境地にとらわれたりせず、その境地にしがみつかないで、さらに向上に努めなければならないということです。仏向上ということを体験したときにおいてのみ、少しばかり悟りの境地について話せるのです。悟後の修行ということが、きわめて重要な意味を持つということです。

道というのはどこにでも、どんなときにでもあり、宇宙いっぱいに広がっているものであって、極め尽くすということなどあるはずがありません。すべての行いはどれも道以外のものではないのです。祖師たちが道を永きたのは、道の中にあって道を実現してきたのであって、道の外にあったのではありません。道はどこでもあると同時に、どこまでいってもあるのです」

という言葉も、フロイトの心理学でもあった「人は安息を求めるが、絶対的な安息など存在しない。安息を求め続けても答えば得られず、不安が増すのみで、もし絶対的なものがあとしたらそれは人が生きるのを止めたときだ」に近い言葉に聞こえる。単なる禅の修行だけではなく、ネガティブな感情に悩まされずに生きていくには、ゴール(悟りや安息)をおい続けるのではなく、道の上にい続けて先に進むこと(修行)が重要なのではないだろうか。道はずっと続いており「仏向上」「悟後の修行」が大切だということなのだと思う。

「万物もまたこのようであるのだ。一塵の中にも、形をなさないものにもね、多くの様相があるのであり、学びに学んで眼力の及ぶかぎりを看取り、知らねばならないのだ。森羅万象の本当の姿とは、見える形などほんの一部のことで、残りの様相は無限にあり、この世界はそのように成り立っている。自分の周りだけ成り立っているのではなく、見えない世界も、宇宙全体も、一塵も、そして何より自分自身の存在もそのようであるのだ。」

そして、晩年永平寺で「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」をまとめるシーンが続く。「正法眼蔵」は100巻近くある道元の言葉を集めた書物で、曹洞宗の修行に必要な、座禅の仕方から、日常の生活を正しく修行するための「歯の磨き方」や「顔の洗い方」、あるいはさまざまな禅の思想について述べられたもの(勿論これが大半を占める)まで幅広い範囲に渡って述べられている。

その中でも仏教思想にについて述べられているものとして、釈迦の最後の垂誡である遺教経に基づいて書かれた「八大人覚」の中で

「諸仏は大人、すなわち大いなる悟りを得た御方である。この大人の悟りの内容が八つの性格を早苗ておられるから、八大人覚と名づける。

八大人覚とは、小欲(しょうよく)、知足(ちそく)、楽寂静(ぎょうじゃくじょう)、勤精進(ごんしょうじん)、不忘念(ふもうねん)、修禅定(しゅうぜんじょう)、修智慧(しゅうちえ)、不戯論(ふけろん)となる。

小欲は求めず取らずの状態で、知足はその最小限をもって満足し、与えられたどのようなもの理についても満足することを指し、楽寂静は人と人との交渉の煩わしさや雑踏から離れ、静かなところを選び、一人修行することであり、勤精進は諸々の善法を行なって休まないこと(精はまじりもののないことで、進は一歩も引かないこと)で、不忘念は、守正念とも呼ばれ、一才の心理を得て保つことを正念となづけることとなる。修禅定とは真理に往して乱れないことで、修智慧とは問思修(もんししゅ)、すなわち、教えを聞いて修行とし、智慧となすこと、そして最後の不戯論は邪な議論を行わないこととなる。

これらの言葉も仏向上と合わせて、生きていく上での智慧が込められている。

本書の中ではこれらの歴史や禅の言葉のほかに、平安末期の美しい詩歌も紹介されている。

「夕映の桜とともに舞い敷かん 都路遠き君にしあれば」

「きそ人はうみのいかりをしづめかね しでの山にもいりにけるかな」西行

上下巻トータルで1000ページ超の長作となるが何度も繰り返し読める図書となる。

 

コメント

  1. […] 続いて、最澄が開き、”道元禅師“でも述べた道元も修行した延暦寺がある比叡山の麓を通り […]

  2. […] 今回は越前の諸道、福井県の旅となる。今回の旅は宝慶寺から始まる。宝慶寺は”道元禅師“でも述べたように、道元を慕って中国から来た僧、寂円が開いた寺となる。ひたすら […]

  3. […] 実際にその後現れた”道元禅師“で述べた道元や、”空也、法然、親鸞、一遍 浄土思想の系譜“で述べている法然や親鸞などの僧侶はまず比叡山で修行(学習)を行い、その […]

  4. […] 宝慶寺は山の中に佇む落ち着いた寺院であり、”道元禅師“でも述べたように、道元を慕って中国から来た僧、寂円が開いた寺となる。 […]

  5. […] “道元禅師“に述べているように禅では、型を大事にしており、曹洞宗では箸の持ち方から歩き方など生活の作法を型としている。また型は、”明治のアート フェノロサと岡倉 […]

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