街道をゆく- 湖西の道と歴史とアイアンマンレース

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サマリー

旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。

街道をゆく」は「週刊朝日」の連載として1971年に始まり、司馬遼太郎が亡くなる1996年まで、25年にわたり続いた書籍にして全43巻を数える大紀行となる。その第一巻より湖西の道について述べる。

湖西の道と歴史とアイアンマンレース

湖西の道のスタートはまずは、京都の東側(禅と寺と鎌倉の歴史(臨済禅と鎌倉五山)“で述べた鎌倉五山に対して京都に作られた京都五山の(詳しくは司馬遼太郎の街道をゆく 京都の名寺と大徳寺散歩 ダダと禅と一休“を参照のこと)別格である南禅寺(星左下)のある辺り)から大津方面に向かうところから始まる。

まずは、三井寺新羅善神堂(星中央)から、古代日本と朝鮮半島・新羅との関係の話となる。三井寺(園城寺)は桜の名所としても有名な所となる。

続いて、最澄が開き、”道元禅師“でも述べた道元も修行した延暦寺がある比叡山(星中上)の麓を通り

さらに琵琶湖沿いを北上して琵琶湖沿いに佇む白髭神社へ向い、近江穴太黒鍬と呼ばれた土木集団の話になる。

そこから少し北上して安曇川町に行き、安曇人と呼ばれる古代の種族(信州安曇野等にもいた南方系の人々?)の話に進む。この安曇人に関しては、機動戦士ガンダムの作者として有名な安彦良和講談社月刊アフタヌーンに連載している「乾と巽 -ザバイカル戦記-」の主人公が安曇の末裔という設定で登場しており、興味のある方はそちらを読むこと新たな視点が得られる。

次に安曇川町から安曇川沿いに国道367(鯖街道)との交差点にあたる朽木村に向かう

朽木街道(鯖街道)では、信長越前朝倉攻めの際の近江朝倉の裏切りによる大退却の話に進む。この鯖街道は、今や国民的番組となった「ローカル路線乗り継ぎの旅」でもしばしば登場する日本海側の福井県から京都/大阪へと向かう(唯一の)バスルートでもある。

この後、興聖寺に進み、2代将軍足利義晴が作った 旧秀隣寺庭園にて室町幕府の将軍悲哀について述べたところで街道の旅は終わる。

琵琶湖は、”トライアスロンとハワイ島とアイアンマン“で述べたトライアスロンの日本で最古のアイアンマンレースが1985年に始まった場所でもある(琵琶湖でのアイアンマンレースは1997年に終了している)。

このコースは、彦根市と長浜市を中心とした琵琶湖の東岸並びに北岸を一帯とした地域で行われ、スイムの会場は彦根城を望む松原水泳場(下星)を利用し湖水を泳ぐ3.9Km、バイクは賎ヶ岳(しずがたけ)の麓に抱かれた余呉湖(上星)のほか横山岳伊吹山の山麓を巡るアップダウンを盛り込んだ180.2Km、ランが奥びわスポーツの森(中星)や長浜市街を通る湖岸道路を利用する42.195Kmというものであった。

湖東の米原は、新幹線名古屋岐阜羽島米原京都とつながる京都と名古屋の中間に位置し、福井/金沢等の北陸方面の乗り換え駅でもあるが、前述のバス旅でもローカルバスが通っておらず、しばしばDNFさせられるという鄙びた所で、トライアスロンを行うには最適なロケーションであった。

次回は、竹内街道について述べる。

コメント

  1. […] 「街道をゆく」第一巻より、前回は湖西の道について述べた。今回は、竹内街道について述べる。 […]

  2. […] 「街道をゆく」第一巻より、前回は竹内街道について述べた。今回は、甲州街道と江戸幕府について述べる。 […]

  3. […] 街道をゆく- 湖西の道と歴史とアイアンマンレース […]

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