公と私 – 公の定義の難しさ

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公と私について

司馬遼太郎の”街道をゆく 台湾紀行“では、台北市の歩道のでこぼこに対して、歩道という公共のものであるのに対して、その歩道の奥にある商店ごとの”私”が優り、自店の都合で店頭の歩道を盛り上げたり、そのままにしているため、道がでこぼこになっていると述べている。

街道をゆく 台湾紀行

街道をゆく-台湾紀行では、歩道のでこぼこの話から、「中国革命の父」であり、中華民国では中国最初の共和制の創始者として長らく国父と呼ばれ、近年は中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」の「国父」として、再評価が進んでいる”孫文”について述べられている。

孫文は、中国の広東省の貧村の生まれで、兄がハワイで成功して頼って渡米し、17歳までホノルルで勉強し、故郷に帰り医者になるべく広州や香港の医学校で西洋医学を習得した。日清戦争の終結後に広州での武装蜂起(広州蜂起)を企てたが、密告で頓挫し、日本には明治28年(1895年)に来ている。

1897年宮崎滔天の紹介によって政治団体玄洋社頭山満と出会い、頭山を通じて平岡浩太郎から東京での活動費と生活費の援助を受けた。また、住居である早稲田鶴巻町の2千平方メートルの屋敷は犬養毅が斡旋し、日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていた。

生まれ故郷である広東省の中山市(孫文にちなんで香山県から改称)、中華人民共和国を代表する大学のひとつである中山大学南極大陸中山基地、そして現在台湾中国にある「中山公園」、「中山路」など「中山」がつく路名や地名は孫文の号・孫中山からの命名となる。

孫文は、日本滞在中に様々な講演を行なっており、その中で孫文は

中国人は握ってもかたまらない”一片の散砂”(ばらばらの砂)であり、中国人には、他国のように国家を意識した民族主義がなく、中国人にあるのは家族主義と宗族主義だけだ

と言い切っている。ここでの宗族は、祖先、あるいは姓を同じくする血族集団のことで、”私”と同心円の中にある概念となる。

この”私”と言う文字の、ノギ偏と呼ばれる禾(か)の字は、穀物の実って垂れるさまきていると言われている。右側のつくりのムは古くは口で、囲むの意味となるため、”私”とは、穀物を自分の取り分だけかこむ意味となる。

つまり、私とは、古代の小作農民が収穫の何割かを地主にさしだしたあと、残った自分の取り分を囲っておくという様を表している。「このぶんは、ワタクシのものでございます」というのが私で、これはこんにちの法律上の私や取引での私と同じような概念となる。

これに対して、公と言う文字は意味が曖昧であり、”法家と儒家 – 秩序と自由“でも述べている紀元前の韓非子では、公とは私の反対語であると大雑把に定義されている。反対語とは、XXXでないという否定の論理定義であり、この否定の論理は、”解集合プログラミング(Answer Set Programming) 論理プログラミングの歴史とASP概要“でも述べているように論理学的にみても、厳密な定義が困難なロジックとなる。これは論理と表裏一体の集合論から考えても、ある集合Aの定義はイメージしやすいが、Aでない集合はそもそもの全体集合の定義ができていないと明示的に定めることはできないことからも分かる。

このように定義が曖昧な公は、最初は”私”から租税を取る側のことを漠然と読んでものが、「礼記」では「公は共なり」として、現在の解釈にやや近い、仲間、社会、共存者の意味になっていく。

さらに時代が進むにつれ、”公”の意味は複雑になっていき”義勇公ニ奉ズ”では公は国家に、公園の公は公共そのもので、公害となると、その公は人類から生物一般への害という内容を含むものとなる。

このように公は、私の上にあるもの、私のむれのとりきめ、私がこぞって奉仕すべきもの、ときに万人の幸福のために私を殺すべきものとなり、公への傾斜の角度が深すぎると、ファシズムや共産主義に近ずいていってしまう。

法家と儒家 – 秩序と自由“や”孔子の論語 総合的”人間学”の書“で述べている儒教の根幹は”孝”であり、孝はもっとも輝かしい”私”であり、”公”ではない。”孝”という観念を含めて、伝統的漢民族は、皇帝も私、官僚も私、これらと潜在的敵対関係にある人民も私となる。

また、”街道をゆく オランダ紀行“でも述べている西洋のプロテスタンティズムの勃興と大きく関係する近代資本主義も、”私”から出発している。資本主義の力は巨大で、しかも利潤追求という戦いを目的としているため、ゲームと同様にルールができ、それに合わせて”公”の思想が成立していったという側面もある。

この私と公の関係について、福沢諭吉は「立国は私なり、公にあらざるなり」と「痩せ我慢の説」の冒頭に書いている。これは「国歌とは、民間が私を追求することで興るもので、お上が国を作るものでは無い」と言う意味で、確固が企業をおこす、その総和が国歌となるということでもある。

ただし、諭吉は「立国の要素は痩せ我慢の士風」とも述べており、国を作るは私だとしても、無制限な私だけでは国は成り立たず、立国の大本は道徳品行、私が高雅でなければ国が成り立たないとも言っている。

さらに、公(自分が所属している集団)への過度の愛は、ショーヴィニズム (chauvinism) とも呼ばれる狂気にもつながる。これは、自身の属している集団が強大で徳が高いとみなし、他の弱く無価値で劣った集団より優っていると信じる、反理性的な思想であり、現在でも世界各地で不幸を生成している愛国主義やナショナリズムにもつながる概念となる。

このように、公を定義することは非常に難しい問題となるのである。

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