俳句の歴史とコミュニケーションの観点からの俳句の読み

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俳句の歴史とコミュニケーションの観点からの俳句の読み

前回はAIが作る俳句について述べた。今回は俳句とコミュニケーションの関係ついて述べてみたいと思う。

AI研究者と俳句

俳句の歴史

俳句のルーツは連歌にある。連歌とは和歌31文字の上の句(五七五)、下の句(七七)を複数の連衆(連歌・連句の会席に出て詠み合う人々)が交互に読み継ぎ百句つくるものとなる。

例えば、天正10年(1582年)に、”街道をゆく – 丹波篠山街道“でも述べた丹波篠山城を築いた戦国武将明智光秀愛宕山威徳院において開いた連歌では「発句」(一番最初の五七五)として「ときは今あめが下たる五月かな」と詠んでいる。この連歌興行は本能寺の変の直前に行われたので、上記の句は謀反の決意を示したものではないかと憶測を読んだ曰く付きの句となる。

連歌は、平安時代に和歌を詠む貴族たちが、私的な場の座興として始めたといわれている。それが室町時代になると公の正式な詩歌と見なされ、政治とも密接な関わりを持つようになる。明智光秀や”街道をゆく – 芸備の道“で述べた毛利元就、”街道をゆく-甲州街道“で述べた武田信玄など多くの武将が戦勝祈願として戦の前に連歌を詠み、神社奉納している。また連歌は複数人で長時間かけて行うものなので、中央(京都)の様子を探るなど貴重な政治の情報ツールでもあった。

公の場での高尚な連歌が確立されると、歌を詠むための約束事や作法も増える。それに対し「もっと自由で面白い詠み方があってもいいのではないか」と庶民の間で流行ったのが「俳諧(はいかい)連歌」 となる。俳諧とは滑稽やユーモアを表す言葉で、笑いを軸として遊戯性、庶民性を高めた歌が俳諧連歌となる。これは、江戸時代を通じて身分の高い人だけなく、町民や農民の間でも人気となり、元の連歌とは違う俗性で普及し、それらを「俳諧」と呼ぶようになった。

そのような江戸時代前期(1680年頃)に、”街道をゆく 秋田散歩と松尾芭蕉と菅江真澄と人形道祖神“等でも述べている俳諧師松尾芭蕉が現れ、これまでの諧謔(かいぎゃく:面白い気の利いた冗談)を旨とする俳諧を、質の高い文芸に昇華された。芭蕉は「さび」(寂しさ)、「しおり」(繊細な余情)などの独特の理念をもって、静寂の中にある自然の美や人生の悲哀を詠んだ「閑かさや岩にしみいる蝉の声」、その幽玄閑寂を尊ぶ作風は「蕉風」と呼ばれ、今でも俳句の理念の一つとされている。江戸時代には、その後与謝蕪村「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」や小林一茶「我と来て遊べや親のない雀」など芭蕉を慕い俳諧の道を目指す俳人が輩出している。

特に江戸後期に、それまで都会を中心に広まっていた俳諧が農村まで浸透、それを象徴するかのように現れたのが小林一茶となる。一茶は当時少なかった農民出身の俳人で、ユーモアの裏側に人生の悲哀を詠み人気を博した。

明治期になると、さらに詩歌の一大変革が生じる。当時、新聞社の社員であった正岡子規が、俳諧の興行や句会で作られるありふれた作風を「月並調」と記して批判、五七五七七の俳諧から発句の五七五だけを独立させた。正岡子規は、それまで日本の詩歌で美しいと思われになかった日常の小さな実感にこそ俳句の真髄があり、自分が見て触れて感動したことを詠めば、そのまま文学になると宣言した。

この子規の論評後に「俳句」という言葉が一般に用いられるようになり、近現代の「俳句」が誕生した。子規は、写実的な句を「写生」と呼び、美術用語を俳句に持ち込み、俳句を新しい文学として捉えた。「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」

子規の俳論は西洋思想を織り交ぜた斬新なものであり、特に若い俳人を魅了し、その中から高浜虚子「流れゆく大根の葉の早さかな」や、河東碧梧桐「赤い椿白い椿と落ちにけり」、中村草田男「夕桜城の石崖裾濃なる」、石田波郷「女来と帯まきいずる百日紅」等の作家が輩出した。

さらにその後尾崎放哉「咳をしても一人」や種田山頭火「分入っても分入っても青い山」等の、俳句の五七五の定型や季題にとらわれない自由な表現法を提唱する「自由律俳句」の一派が現れる。

俳句の読み方とコミュニケーション

俳句は元々連歌から始まったことから一人で世界観を作り上げる小説とは異なり、共同作業で成り立つ要素が多く、また現在のツイッターに代表されるSNSのように日常の一コマを短文で伝える手段でもある。

つまり俳句は「読まれる」ことが前提のコンテンツとなる。不特定多数の「読み手」たちによる俳句の読み方は、読者の存在を前提にした俳句の「詠み方(作り方)」に影響を及ぼす。一方で、「詠み方」の変化やバリエーションによって読み手側の「読み方」も拡張・変質する。この俳句観に基づけば、再帰的に、つまり自らに翻ってくる形で「読み方」のモードが揺れ動きながら、パラダイムシフトが生じてきたと解釈することもできる。

このような見方も人それぞれであり、絶対的な真理があるわけではない。むしろ、そのような差異があるからこそ、そこにコミュニケーションが生じ、俳句を読むことの広がりを感じることができるようになる。

俳句においては、音とリズム、つまり韻律がもっともその根幹をなすと考えられている。あえて挑発的に表現すると、俳句は「十七音(くらい)の音数に合わせて言葉を整えるゲーム」ということができる。そして大切なのが、その十七音がのっぺりとした棒の状態ではなく、五/七/五の三つの部位になんとなく切り分けることができるところにある。

実際に用語として、冒頭の五音を「上五(かみご)」、中央の七音を「中七(なかしち)」、末尾の五音を「下五(しもご)」と称する。これは音数によって名称を変化させることができ、例えば中央が八音の場合は「中八」、末尾が六音の場合は「下六」と慣例的に呼ぶ場合がある。

このようなタームが用いられているように、俳句が五七五の三つの部分に分かれていることが、韻律にとってとても重要な働きをする。なぜなら、十七音の連なりにおいて、上五と中七、中七と下五のあいだにある微妙な間、この糊代あるいは折り目のような空白部分が、俳句のリズムを規定しているからに他ならない。

古池や蛙飛び込む水のおと 松尾芭蕉

現在、日本語話者の人口にもっとも膾炙していると想定される芭蕉の句を、声に出して読むと、普段俳句に触れていない人でも、上五<古池や>と中七<蛙飛び込む>の間に休符を置き、中七と下五<水のおと>のあいだでも軽い間を置く。しかも前者の間の方が後者の間よりも微妙に長い間をおくこととなる。

このような無意識のリズムや抑揚が、ただの棒状の十七音を、起伏にあふれた韻律にせしめている。初学者の多くが俳句を清記する際に上七・中七・下五のそれぞれの間に空白を挿入する「分かち書き」をしてしまうのも、この無意識のリズムをある意味で「忠実に」書記してしまっているからであると思われる。意識的でない限りは分かち書きを行わないのがデファクトスタンダードとなる。

間があくということは、そこで意識の上でも何らかの変化が生じることにつながる。そのもっとも従順で、俳句の構造として意識されているメカニズムが「切れ」となる。原始的な「切れ」の多くは、リズムの切れ(「句切れ」ともいう)を契機に、意味上の断絶を呼び込むことができる。

また「切れ」に付随して「切れ字」というものもある。代表的なものは「や」「かな」「けり」で、切れ字は明確に、書き手が構成する醜態の意識のあり方を示唆する記号となる。

桐一葉(きりひとは)日当たりながら落ちにけり 高浜虚子

虚子の句は「落つ(落ちる)」という動詞に対する詠嘆となる。主体の意識は、桐の大きな一葉が落ちる光景に引き寄せられている。だからこそ<日当たりながら>という描写とゆったりした韻律が活き、落葉の一瞬がスローモーションのように引き伸ばされた錯覚すら覚える。

十七音程度の俳句を、立体的で起伏に富んだものにするために寄与するものとして「季語」がある。季語は詠み手と読み手が少なくとも季節感や地理、場面設定、心情などの様々な側面から重曹的なイメージを共有可能にするキーワードとなる。

俳句において季語が重要視されているのは、論理的になんら必然性のない歴史の成り行きだが、今なお季語は短い音数の中で句中の主体を取り巻く状況や心情、興味の対象等を効率的に示唆する。一般に、句中に季語が一つだけ含まれている作品がほとんどであること、季語のない「無季俳句」や季語が重複されている「季重なり」を忌避する詠み手や読者が多いことは、情報量の過不足を避けたいというインセンティブから、表裏一体を成す。

俳句とは、その異常な短さという形式と闘い、形式を往なし、形式を見方につけようとした人間の「わざ」の蓄積となる。

コミュニケーションについて“で述べているように、コミュニケーションとは人と人とが様々な方法を用いて、情報や意見、感情を交換し合い、理解し合うプロセスや方法を指すものであり、コミュニケーションは人間関係を形成し、深化させる重要な要素でもある。また、”特別講義「ソクラテスの弁明」より「哲学とは何を目指すものなのか」について“では、このコミュニケーションを通じて人と人が共通で認織できる概念を作り上げることが哲学であり、この共通認識を作り上げるには抽象的な概念からスタートするのではなく、コミュニケーションを行う個々の人間が現実に体験している現象をすり合わせながら行うべきであると述べられている。

俳句に込められた思いや感情は、そのままでは抽象的な言葉の連なりとなるが、これに対して季語などのしばりをかけることで、多くの人が共有できる形にし、さらに音やリズムなどを限定した形式とすることで、感情的な共有も行えるようにしたものが俳句だと言えるのではないだろうか。

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