特別講義「ソクラテスの弁明」より「哲学とは何を目指すものなのか」について

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サマリー

哲学とは、物事の本質や真理を追求し、疑問や問題について深く考えることで、知的好奇心や探究心を刺激し、人生の意味や目的を追求するための手段であると定義することができる。哲学的な問題を探求するには、他者との対話が必要不可欠となる。対話を通じることで、自分の考えを深め、自分の限界を認識することができ、また、他者の考えを理解することで、自分自身の考えを洗練し、より多角的な視点を持つことができるようになるからである。ここでは、この哲学と対話に関してNHK100分de名著 特別講義「ソクラテスの弁明」をベースに述べる。

別冊NHK100分de名著  読書の学校 西研 特別授業 『ソクラテスの弁明』
	はじめに──なぜいま、哲学なのか
	第1講 哲学って何?
		死を覚悟の弁明
		哲学とは対話である
		科学や宗教は哲学か
		哲学は交易から始まった
		哲学が始まる条件
		必要なのはお金、時間、文字
		世界は何からできているのか
		本当に価値あるものは何か
		豊かさの中のニヒリズム
	第2講 哲学の出発点
		ソフィストの巧みな話
		ソフィストとソクラテス
		真実を語る者
		プラトンが伝えたかったこと
		「知恵」とは何か
		「不知の自覚」こそ知恵である
		哲学者は常識を疑う
		常識を覆した哲学者たち
		「不知の自覚」の先にあるもの
	第3講 哲学の目的
		魂への配慮
		人の徳(アレテー)とは何か
		「魂のよさ」は本当に大切か
		大切なのは「憧れの力」
		対話で答えは出せるのか
		ソクラテスの「探求の方法」
		実例に共通するものを探る
		「勇気」とは何か
		大学一年生の答え
		哲学とは本質を問うこと
	第4講 対話することの意義
		対話で何が起こるのか
		常識で常識を疑う?
		まず理解すること
		多様性と共通性が見えてくる
		対話しつつ生きる
	ソクラテスの格言集

対話は、意見や考えを共有し、相手の立場や意見を尊重しながら交流することであり、哲学的な観点で対話をすることで、相手の意見に耳を傾け、自分の考えを深め、相手と共に共通認識を定義していく行為は、さまざまな共同作業の場でのコミュニケーションのあり方へのヒントを与えてくれるものと考えられる。今回は序論として哲学とは何を目指すものなのかについて述べる。

「ソクラテスの弁明」と哲学は何を目指すものなのかについて

「ソクラテスの弁明」は、「若者を堕落させ、神を信じなかった」として訴えられたソクラテスが、なぜ自分は哲学の対話をおこなってきたのか、なぜ哲学は大切なのかを、アテナイの人人に訴えかけた様子を書き記したものとなる。

この作品は、ヨーロッパの人たちにとって「哲学することのイメージの原型」となってきた。まさに、「哲学とは何か」を説いたものであり、哲学への誘いの本となる。

「ソクラテスの弁明」には大事なキーワードが二つある。

第一のキーワードは「不知の自覚」となる。以前は「無知の知」と訳されていたが、最近は「不知の自覚」と訳されることが多くなった。「勇気」「正義」などのよいこと(価値あること)について、それがどういうことなのかと問われると、我々は困ってしまう。わかっているつもりの知識神たちはもっとわかっていない、とソクラテスは述べている。何に価値があるのかわかっていないと気づくことが「不知の自覚」となる。この気づきこそが哲学の出発点であり、そこから探究を進めるべきだとソクラテスは考えている。

第二のキーワードは「魂への配慮」となる。「魂の世話」と訳されることもある。哲学の対話とは、「勇気とは何か」「正義とは」「美とは」といったテーマについて、それぞれが互いの考えを持ち寄り、検討し合うことにある。なぜそうするかといえば、自分の魂(心)を「よいもの」にしたいと願うからで、各人が自分の魂を「よいもの」にしようと配慮し世話することが哲学の目的であると、ソクラテスは考えている。

ソクラテスとは異なる哲学の見方もある。「世界はなぜ存在しているのか」という「存在の問い」こそが哲学の根本問題である、というもとか、「世界や魂の究極の真理」を求めるのが哲学である、というものになる。しかしソクラテスは、「存在」や「客観的な真理」には目もくれなかった。それらは観点の取り方によって様々な答えが出てくるだけだ。むしろ、人が生きる上で肝心な大切な問いは「よき」(価値)の根拠を問うことであり、それについては共通な答えを出すことができる、と彼は考えた。

哲学とは、人間の抱く価値についての共通理解を打ち立てることによって、自分(たち)を方向づけでいく技術であるという考え方は、一つの哲学観となる。ここでの、人間の抱く価値(よさ)とは何になるか。先に挙げた「勇気」「正義」「美しさ」なども人間の抱く価値となるが、「好きなもの」「楽しいこと」「かっこいいこと」なども価値と言って良い。

これは、簡単に言えば、人の求めるものは「よいもの=価値のあるもの」で、嫌がるものは「よくないもの」となる。人は空腹を満たそうとするが、動物もみなそうする。大抵の動物はお腹がいっぱいになれば寝てしまって動かない。しかし人間はそこからが本番となり、みなが喜んでくれることを実現するために仕事に精を出す人もいれば、好きな人と一緒におしゃべりしたり、スポーツを楽しんだり、さらに、自分自身を「価値あるもの」にしたいと思う。勇気ある人でありたい、心正しい人でありたい、親切な人でありたい、と願ったりする。

このように、価値とは人の求めるものであるので、これがはっきりしなくなると元気がなくなる。逆にこれこそが価値があることだと分かれば、元気が出てきてそれに向かおうとする。だからこそ、価値の根拠(なぜそれに価値があるのか・どういう点でかがあるのか)を問うことが必要となる。

ここでは、人間の抱く価値の一つである「勇気」についての共通理解を打ち立てることを試みる。「哲学とは、答えが出ない問いを続けるものだ」「価値観は一つ一つ違って当然」という考え方もあり、確かに答えの出ない問いといものもある。宇宙の究極の真理とか、死後の世界があるかないかなど「存在への問い」はその種の問いとなる。しかしこれらについても、「人はなぜ世界や事故の存在を不思議に思うのか」「死後の世界が気になって仕方ないのはなぜか」と問うならば、それらについては答え(共通理解)が得られそうである。

話を変えて、価値について考えた時、正義については、何を正義とみなすのか、人によっても時代によっても多様となる。正義の基準は一人一人違って当然であるが、「人が正義・不正という概念をもつこと」には一般性がありそうで、どんな社会に生きる人であっても、正しいことやってはならないこと、という概念を持って生きているように思える。そうだとすれば「人が正義・不正という概念をもっていきめのはなぜか」という問いならば、妥当な答えを導くことができるかもしれない。

このように哲学は「どうやったら共通認識に達するような問いになるか」について考えてきたとも言える。今回はソクラテスの弁明を読み進めながら、そうした「哲学の問いと考えの出し方」について述べてみたいと思う。

このようなやり方は、とても大切なものであり「正義を大事にしなければいけない理由はなにか」などの問いによって導き出せる共通理解があれば、自分の生き方や、自分たちの社会のありようを方向づけることができるからである。

十九世紀のフリードリッヒ・ニーチェの言葉に「君が探している真理なんて、どこにもないんだよ。真理を欲しがっている君がいるだけさ。君は真理を探すんじゃなくて、何が君に心からの悦びを与えてくれるのか、と問わなくちゃいけない。答えは君自身が見つけなければいけない。自分に向かって問うこと、それしかないんだ」とある。

この言葉の中には「哲学の問いと考えの出し方」が隠されている。人間にはさまざまな生き方があり、それらによりさまざまな悩みや悦びをもっている。しかしながら、それらは完全に異なるものではなく、何らかの共通性があり、それを考え答えを出すのが哲学の一つの目的であるということができる。

このような共通性を考えるためには、一人の世界に閉じこもり、自分だけの思考を深めるだけではダメで、多くの人と触れ合い、自分がやることを喜んでくれる人がいて、そこに意味や必要性があると思える時、おのずから頑張ろうという気持ちが出てある意味「価値」につながり、それがさらに強まったものが使命感となる、と特別講義「ソクラテスの弁明」を書いた西周は述べている。

次回は哲学とは何か?について述べる。

コメント

  1. […] 「ソクラテスの弁明」と哲学とは何を目指すものなのかについて […]

  2. […] […]

  3. […] 西洋音楽では、”「ソクラテスの弁明」と哲学とは何を目指すものなのかについて“にも述べている古代ギリシャにおいて、音楽理論の発展があり、音階や和声の基本概念が形成され、哲学者のピタゴラスは、音楽と数学の関係を研究するなど、音楽は教育や宗教儀式の一部として重要視され、幾何学を作り出した哲学者のピタゴラスなどによる音楽と数学の関係も研究されるようになった。 […]

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