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サマリー
旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。
前回は島根県・出雲を訪ねる砂鉄の道について述べた。今回は、奈良県・大和・壺坂の道について述べる。旅の始まりは大和八木駅から、壺坂に向かう途中、高松塚古墳に立ち寄り、城下町の土佐から高取城への急斜面を登り、頂上からの眺めを楽しみ、壺阪寺に向かって降りていく。今回の旅は奈良県。中世の商業都市で、今は町そのものが遺物の古色を帯びている今井の町からスタートする。今井町は江戸時代から残されてきた建物が多く、映画やドラマのロケ地としても使われている町となる。
環濠に囲まれた町家が碁盤の目のように建ち並ぶ今井町は、称念寺を中心に発展した寺内町。町全体が重要伝統的建造物群保存地区となっている。
今井町は寺内町として発展、独自の通貨が流通し強大な財力を持っていた。また、町の周囲にめぐらせた濠は、町を要塞とし織田信長にも抵抗、その後、信長から自治権を認められ、大阪や堺とも交流が盛んになり、商業都市として江戸時代まで栄えていた。また、この今井町は”街道をゆく 堺・紀州街道“でも述べた堺の豪商・今井宗久の出身地でもある。
今井町から壺坂に向かう途中に飛鳥寺や古墳群がある明日香村がある。
明日香村は日本における中央集権律令国家の誕生の地でもあり、宮殿や史跡が多く発掘されていることで知られ、「日本人の心の故郷」とも紹介されている。
ここにある飛鳥寺は、開基(創立者)が蘇我馬子で、蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身という位置付けとなる。また造営されたのは6世紀から7世紀で、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院でもある。
また古墳として有名なものとして「石舞台古墳」がある。
石舞台古墳は、日本最大級の横穴式石室を持ち、広さは8坪で、墳丘は、方墳、もしくは上円下方墳だが、早くから封土が失われたため、現在のように巨石が露出した形となっている。石舞台古墳はこのあたりに、蘇我馬子が住んでいたことと、墓が巨大であることから馬子の墓と言われているが、確証はされていない。
石舞台という名前は諸説あり、一般的には、巨石が露出しているさまから呼ばれているといわれているが、旅芸人がこのあたりに舞台がなく、この石の上で演じたという話や、狐が女に化けて踊ったという話など様々な説がある。
明日香村でもう一つ有名なものとしては高松塚古墳がある。これは7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳となる。
この古墳で有名なものは、内部の石室にあった壁画で、東壁には手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の太陽、女子群像が描かれ、西壁にはこれと対称的に、手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像が描かれている。
男子・女子の群像はいずれも4人一組で、計16人の人物が描かれているが、中でも西壁の女子群像は色彩鮮やかで、歴史の教科書をはじめさまざまな場所でカラー写真で紹介され、「飛鳥美人」のニックネームで知られているものとなっている。
その他にも、この周辺には文武天皇の古墳やアジア最古の天文図が描かれているキトラ古墳など多数の古墳を見ることができる。
次に一行は高取城跡に向かう。この城は、曲輪の連なった連郭式の山城で、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と歌われていた。なお、土佐とは高取の旧名となる。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられている。
ここは元々元弘2(1332)年、南朝方に属した高取の豪族・越智氏が築いたものだが、天正12(1584)年、筒井順慶によって郡山城の詰城として再建されたのち、豊臣秀長の家臣であった本多利久が城主となり、山城式に平城式手法を取り入れた珍しい城が築かれた。城内には大小の天守に27の櫓、33の門を持ち、それらが積み重なる白亜の立体的な美しさは芙蓉の花に喩えられていた。
今は一部の石垣が残るのみで、その全貌は絵図面でしか残されていない。
旅の終着点は壺阪寺となる。
壺坂寺は創建は文武天皇大宝3年(703)で、非常に古くからある寺となる。
次回は、最澄が開き、道元、法然、親鸞らの諸派を生んだ中世最大の学林である天台宗・比叡山について述べる。
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[…] 第16巻より。 前回は奈良県・大和・壺坂の道について述べた。今回は、最澄が開き、道元、法然、親鸞らの諸派を生んだ中世最大の学林である天台宗・比叡山について述べる。比叡山の […]