禅的生活

禅:Zen

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禅的生活

禅や仏教の本を読んでいると「何かに囚われるな」というメッセージは何回も出てくる。確かに幸せに生きるためには変な妄想に囚われずに今を楽しむことが重要なのだろう。しかしながら、事業を起こしたり、新しい技術を作り出したり、科学や学問そしてビジネスで成功するには、記憶の蓄積や仮説への執着が大事になる。

実は禅の世界でもこれらを肯定した教えがある。戒律を守ったり、志を立てて進んだり、方向性を持った生活習慣を続けたりと、何かをやり続ける事は自由な可能性を否定するものではなく人間の生活で必須なものであるとの解釈である。

例えば労働に関しても、仕事などやらずに自由気ままに生きよう!ではなく、白隠禅師による「動中の工夫、静中に勝ること百千億倍」でも言われているように、今している作業に没頭し、妄想の入り込む隙間がない状態(まじめ(間締め))でいることで「悟り」の状態に入ることができると述べられている。

これは、マインドフルネスや座禅のような特別なことを行わなくとも、一つのことに集中する時間を持ちそれを持続することで、妄想が取り払われ心の平静が得られる事を述べている。ジョキング中のランナーや、楽器を演奏中の音楽家、数学や物理に没頭している学者や、プログラミングに集中しているエンジニアもそのような状態にいると考えて良いだろう。

何かをやり続けるのに、それ自体に強く固執していては煩悩の世界に落ちて負のスパイラルに落ち込む。健康に良いからとジョギングをやっていても、続ける事に固執して体を壊してしまうようなイメージだ。このような負のスパイラルに落ちない為には、状態を客観的に定量化して適切なタイミングで修正していくことが必要だが、禅の世界ではこれに対抗して「方便として」という言葉を使う。

方便とはwikiによると「衆生を教え導く巧みな手段や、真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教え」とある。これは、本当ではないけれどとりあえず一旦そうしておくと言った意味になる。やり続ける事を方便とすることで、とりあえずやっているけれどいつやめても良いんだよね的な執着しない形を取ることができるし、本当に嫌になったらやめてしまえば良いというアプローチとなる。

ここまでの話は、どちらかというと長期的な戦略(どう生きていくか)の話であった。短期的な問題(急に無理な仕事が入ってきた、突然のトラブルに見舞われた等)に襲われた時には、このように楽しく生きるなんて呑気なことは言えず、別の戦略が必要になる。それらについては別の機会で書いてみたい。

コメント

  1. […] この世の中には、多くの分析メソッドが編み出されそれぞれの事例と共に公開されている。これらを学び利用することは「禅的生活」で述べた無限の抽斗を増やすことにもつながと思う。次回は課題の分析と目標値の設定に現れるKPI,KGI,OKRについて述べたい。 […]

  2. […] このようなバイアスに対して、ヒューリスティクスに囚われない「固定概念を捨てろ」のようなスローガンが唱えられることもあり、ヒューリスティクスは不要なものであるとのイメージを持たれることも多い。 […]

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  4. […] 前回の旅は「因幡の白兎」の神話で知られる白兎海岸や万葉歌人・大伴家持ゆかりの地など古代文化が息づく鳥取地方の旅であった。今回の旅は、”大乗仏教と涅槃経と禅の教え“や”禅的生活“等で述べている京都府京都市北区紫野にある大徳寺を中心とした話となる。 […]

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