自由意志とAI技術と荘子の自由

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自由意志とソフトな決定論

意味とは何か(1)哲学入門“で論理学者である戸田山和久も、その著書の”哲学入門“の最終章で”自由”について述べている。

その中で「石やカエルには自由はないが、人間には自由がある。そしてその自由は価値あるものだ。このようにわれわれは信じて疑わない。そして、さらなる自由を手に入れるため、自由を奪うものと闘うために、夜の校舎で窓ガラスを壊して回ったり、見えない銃を撃ちまくったりするわけだ。しかし、そうやっているうちに、ふと、自分が求めているものが「見えない自由」だと気づいて、自由っていったい何だーいと叫んだりすることになる(どうも回顧モードで申しわけありません)。われわれはホントウに自由なのか、そしてなぜ自由は価値あるものなのか。」と述べている。

また、”キリスト教と聖書と関連する書物“でも述べているキリスト教の中では、「世界のすべての成り行きは、この世界を創造した神によりあらかじめ定められている。とりわけ、誰が天国に行き、誰が行けないかはもう決まっている。」という神学的決定論があり、

ニュートン法の概要とアルゴリズム及び実装について“でも述べている機械学習でもお馴染みのニュートン法を見つけたニュートンから始まる力学の世界でも、この世界のすべてはある法則で動く決定論的な世界であるとされている。

このような世界全体の成り行きがあらかじめ決定されているという全面的な決定論ではなく、ある特定の領域に限定して、コンピューターのように環境入力と内部メカニズムだけで出力が決まってしまう”メカニズム決定論”あるいは”機械論”のようなものもある。”認知科学への招待. 読書メモ“で述べている認知科学では、この”メカニズム決定論”的な考え方に基づき、「私は外界からの刺激と内部状態で動くメカニズムだ。「私がしたこと」に見えるものは、じつは「私に起こったこと」にすぎない。」と定義している。

この決定論に関しては以下の3つの考え方が存在している。

  • リバタリアニズム:「少なくとも人間の行為に関しては決定論が間違っている。われわれは単なる物理的システムや計算メカニズムではない。それを超えた存在であり、それゆえに自由をもつ」というもの。
  • ハードな決定論:「自由の存在の方が間違っている。われわれは決定論的システムであり、それゆえ自由はもたない。自由意志は幻だ。」というもの。
  • 両立論(あるいはソフトな決定論):「決定論と自由の存在は両立しうる。われわれは決定論的システムであると同時に自由の担い手でもある」というもの

これらの議論に対する論文をまとめた著書が”自由意志 スキナー/デネット/リベット (〈名著精選〉心の謎から心の科学へ)“となる。

この中では、行動主義心理学の立場から「自由」概念に対して挑戦的主張を行なったB・F・スキナーの古典的な著作と、哲学的問題としての考察の根本的構図を示したR・M・.チザムの論文、現代の傑出した両立論者D・C・デネットの代表作、B・リベットが自らの有名な実験をめぐってP・チャーチランド、J・サールと行った二つの論争の3つが述べられている。

これらの中のデネットの両立論では、「決定されている」ということは、その出来事が「不可避的」ではなく、「他のようにもすることができる」ことであり、それが持つに値する「自由」であると述べられている。そのような自由な決定をするプログラミング再設定することができることが、人間の持つ自由であると述べられている。

このような考え方を人工知能技術の活用という観点で考えた時、機械が人の考えうる選択肢を超えた「他のようにもすることができる」選択肢を導き出し、それらの中で、単純に機械でも実現できるアルゴリズムではなく、”因果推論と強いAIの実現に向けた考察“に述べているような深い想像力とそれに基づいたモデルによるアルゴリズムで問題を解くことができれば、機械にはできない役割を人間が担うことができると思われる。

人工知能時代の人間に求められる能力は、想像力とそれを元にしたロジカルな思考であり、それらは多くの経験を積むことで獲得できるのではないだろうか。

荘子の自由と両立論

荘子の思想 心はいかにして自由になれるのか“で述べている荘子(ちょうし)は、古代中国の哲学者であり、この自由について以下のような独自の視点と哲学を展開している。

  1. 相対主義と多元論:荘子の思想は相対主義と多元論の立場から展開され、万物は相互に関係しあい、相対的な存在であると考えた。彼は、現実や価値観は個人や文化によって異なり、それぞれの視点や立場から見た世界の多様性を認識している。
  2. 自然と人間の関係:荘子は、人間と自然の関係についても重要な洞察を提供している。彼は、自然は自己調整の能力を持っており、自然なままの状態に任せることが重要であると主張している。また、人間は自然の一部であり、自然の摂理に従って生きることが求められると考えた。
  3. 心の自由と悟り:荘子は、人間の心の自由を追求した。彼は、外的な制約や規範に縛られず、自由な思考や行動を通じて本来の自己を実現することが重要であると説いた。また、悟りや駆け込み思案(くけんじさん)を通じて、人間は智慧を開き、真理を見出すことができると考えた。
  4. 遊びと享楽の重視:荘子は遊びや享楽の重要性を強調した。彼は、人間は自然な状態で遊び、楽しみ、豊かな人生を追求するべきだと主張した。遊びとは束縛や労苦から解放されることであり、自己の本性に応じた自由な表現や創造を通じて心地よさや満足感を得ることを意味している。

荘子の思想は、一見するとリバタニアリズムのように思えるが、”人の創造性とAIとの共生 – 無意識と記憶“でも述べているように人間の思考の奥には、記憶に即した様々なメカニズムが存在しており、人間は全くの自由な選択はできない。

これを仮に、何らかのランダムな選択に任せるとしても、全くのランダム性を作ることは困難で、一般的には”確率的生成モデルに使われる各種確率分布について“で述べているような様々な確率分布モデルをベースに予測可能なランダム性を作るしかなく、自由選択というものからかけ離れてしまう。

荘子の自由も、外的な制約や規範に縛られず、自由な決定をするプログラミング再設定するソフトな決定論に基づくものだと考えることもできる。

このような思想は道家の伝統を受け継ぎつつ、”禅とメタ認知とAI”にも述べている禅の思想へと繋がっていく。

コメント

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