街道をゆく – 葛城みち

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街道をゆく – 葛城みち

旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。

街道を行く第一巻 葛城の道

前回甲州街道について述べた。今回は、葛城みちについて述べる。

葛城みち

葛城地方は奈良盆地の南東に位置し、古代日本の氏族である笛吹部の祖先・笛吹蓮を祀る笛吹神社から、葛城氏の先祖・一言主神を祀る一言神社へと進みながら、一言主神と雄略天皇賀茂氏の一族とされる役行者(役小角)と葛城の古代氏族と倭王権の関係について述べられている。さらに賀茂氏の祖先を祀る高鴨神社に至り旅は終わる。

笛吹神社は正式名は葛木坐火雷神社となる。大和朝廷奈良に入る前から葛城にいた古代王朝の一族が祀っている森の社に佇む神社となる。(上記地図上星)

祭神は火雷神笛吹連の祖神で卜占(動物の骨や木の皮を焼いてそれに現れるヒビによって吉凶を見るもの)を司っていた。笛吹では森の中にあるハハカ(ウワミズザクラ)を焼いていたとのこと。

また火に関係した神様ということで、日露戦争時代の大砲が奉納されていたり、アニメ「鬼滅の刃」に登場する火雷神」と同じ文字が社号標に書かれていることで注目を浴びている。

そして、南の方角には万葉集にもよく歌われる天香久山が見える。

次に話は5世紀の後半に大和の初瀬(桜井市)に住んでいた雄略天皇(第21代天皇)と葛城の古代氏族の先祖である一言主神の話へと移る。一言主神は雄略天皇と喧嘩をして一旦徳島に流され、300年後(764年)に葛城山麓に住んでいた鴨とよばれるグループの働きで再び奈良に帰って来て一言主神社となったとのこと。

一言主神社(地図中星)は、全国に約100社ある一言主神社の総本社であり、古事記によれば、雄略天皇が葛城山で猟をしていたところ、同じ様相、所作をする者がやってきた。誰かと問うと「吾は、悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離の神、葛城の一言主の大神なり」と答えた。これを拝したのが葛城一言主神社のはじまりらしい。また一言主神社は、悪い事も良い事も一言の願い事なら何でも叶えてくれるという「いちごんさん」とも呼ばれている関西屈指のパワースポットでもある。

前述の鴨(賀茂)一族は、陰陽師として有名な安倍晴明や”街道をゆく 甲賀と伊賀の信楽のみち“でも述べた忍者の始祖とも呼ばれる役行者などがいることでも有名な一族となる。

そして旅は、鴨一族の祖神を祀る高鴨神社(地図下星)で終わる。

次回長州路について述べる。

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