プラグマティズムとナレッジグラフ

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プラグマティズム

プラグマティズムとは、ギリシア語で「行動」や「実践」を意味する「プラグマ」に由来して生まれた言葉で、物事の真理を「理論や信念からはなく、行動の結果によって判断しよう」という思想となる

プラグマティズムは日本語では、「実用主義」「実際主義」「行為主義」などと訳されており、必ずしも哲学の一つの立場、哲学的思想の流派指すわけではなく、現在ではもっと広い意味での実用的なものの見方とか実際的な生き方、「なんでも結果さえよければOK」という発想やスタイルを指すような場合にも使われている。

また、プラグマティズムは何かという問いに対しては、プラグマティストの数だけの答えがあり、はっきりとした定義はないとも言われている。

プラグマティストとして代表的な人物には、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズ、ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインジョン・デューイ、ドナルド・デイヴィドソン、ヒラリー・パトナム、リチャード・ローティなどがいる。

チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)はプラグマティズムという言葉を作った哲学者・科学者・論理学者で1870年、日本では明治になって間も無い頃、ハーバード大学で「形而上学クラブ」という討論会を主催し、その中でこの思想の名前を初めて使って、その重要性を訴えていた。

パースが最初にこの思想を形成し、提起したとき、彼の周囲にはオリヴァー・ウェンデル・ホームズ・やチョンシー・ライトなど、法律、哲学、医学、神学、心理学など、さまざまな分野で若手の専門家や研究者として活躍し始めていた人々がいた。1870年は、アメリカの最大の内戦、南北戦争の終結からまだ五年しかたっていなかった時期でもあり、彼らはこの非常に悲惨な経験の後に残された若い人たちの鋭い意識を、哲学の議論というスタイルの下で表現しようとしたとも言える。

ウィリアム・ジェームズ(William James)は、プラグマティズムの意義を世界に向けて広く発信した人物で、ハーブァード大学の心理学者・哲学者となる。彼は「哲学の緒概念と実際的効果」という表題の講演を行い、そのなかでこの哲学思想が一個の独立した体系的世界観、人間論、人間の知的能力や本性に関する独創的な思想であることを強く訴えている。

ジェイムズによると、プラグマティズムとは元来、「方法」であり、さらに今では「真理」の理論であり、「方法」と「真理」という二つの顔を持つ思想だとしている。ここでの方法とは、知的探究の「方法」に関する基本理論ということであり、真理の理論とは、この方法の基本理論を汎用化し定式化することで、哲学上のさらに広い領域で活用できるようにするという意味になる。

ジェイムズの講演の後に、フランスのアンリ・ベルクソンやエドゥアール・ル・ロワ、ガストン・ミローなどの思想家が賞賛の意を表明しただけでなく、イギリスのF・C・S・シラーやアメリカのジョン・デューイなど、多くの賛同者が現れ、この思想は一九世紀末から二〇世紀の初頭における、西洋の有力な思潮の一つであるという評価をえた。

西田幾太郎の”善の研究”“でも述べている西田幾多郎は、”瞑想と悟り(気づき)と問題解決“でも述べている友人である鈴木大拙よりジェイムズの思想の紹介を受け、大正年間の京都大学での「哲学概論」で、この思想を「実用主義」と訳したうえで、「真理とは人生にとって有用usefulなものの謂である。その外に別に永遠不変なそれ自体に於ける真理という如きものがあるのではない」と紹介している。

ネオ・プラグマティズム

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン(Willard van Orman Quine)は、プラグマテイズムの思想的な再生を促した、哲学者・論理学者で、イギリスのバートランド・ラッセルに代表される英語圏の分析哲学の、アメリカにおける代表的な継承者であり、「経験主義の二つのドグマ」という重要な論文を発表し、そこで当時有力であった論理実証主義という別の思想の根本的問題点を洗い出すとともに、これに代わるべき思想の原理として、プラグマティズムという発想の意義を説いていた。

彼のこの主張によって、プラグマティズムは論理実証主義の洗礼を潜り抜けた、より洗練された哲学思想として再生していき、彼の活動は「ネオ・プラグマティズム」とも呼ばれるものとなっていった。

二十世紀前半のアメリカでは、ヨーロッパから移入されたルドルフ・カルナップらによる論理実証主義、外的な世界に関する端的な科学的真理としての事実的真理以外に、道徳や美的な価値に関する真理といった、別のタイプの真理などありえない。それらは主観的な感情や信念にすぎないという考え方が強くなっていたが、クワインらの思想はこのような「事実と価値の峻別」という大原則を認めないというスタンスを持ち、真理に関する分析主義を批判していた。

言い換えると、クワインは、哲学を科学に対するア・プリオリな呼び学ないし基礎学として捉えるのではなく、科学と連続的なものとみなし、知識における分析的/総合的な区別を廃止して、知識・信念体系の全体論を提案しているとも言える。

つまりプラグマティズムは、言葉の「定義」というものの意義を高く評価するものではなく、我々の知性が生み出した思想のレッテル、「何々イズム」や「何々主義」という立場が、思想それ自体としては確固たる定義を持たず、境界や輪郭がぼやけたものであり、様々な思想の「内容」「意味」「定義」というものは、その思想の名称にあるよりも、それが応用され、活用される場面での、具体的な利用の文脈の下でのみ、はっきりと理解される、ということを、この理論が主張するテーゼの重要な柱としている。

プラグマティズムとナレッジグラフ

このようにプラグマティズムは、思考や行動を実践的な結果や意味に焦点を当てるものであり、アイディアや理論の価値は、それが現実の結果や実践的な効果を生むかどうかで評価され、ある考えや信念が実際の行動や結果にどのように影響するかが重要視される。

さらに、真理は静的なものではなく、ある特定の文脈や状況において役立つものであるとされ、真理は実践的な意味での有用性に基づいて評価される。そのため、プラグマティズムにおける理論やアイディアは、変化する状況やコンテキストに応じて柔軟に対応する柔軟性が問われる。

プラグマティズムは、個々の経験や視点が重要であり、異なる視点が異なる真理を持つことを受け入れる傾向があり、主観的な要素が理解や判断に影響を与えることが強調される。そのため、経験を重視し、経験を通じて得られる知識や理解が重要だと考え、経験に基づく具体的な事例や現象が、抽象的な概念よりも価値があるとされている。

本ブログでも”ナレッジグラフの様々な活用と実装例“などでしばしば述べているナレッジグラフは、情報や知識などの情報をグラフ理論の枠組みで表現したもので、さまざまな要素(ノード)とそれらの要素間の関係(エッジ)を示すことで、知識や情報の構造を視覚化し、理解を促進することができる。また”グラフニューラルネットワーク“で述べているような機械学習や”自然言語処理技術“で述べている自然言語処理の分野で、大規模なデータセットから意味のある情報を抽出し、関連性を理解するといった使い方がなされている。

ナレッジグラフは経験の蓄積と活用という点で有用な技術であり、様々な実践の場において価値を持つものとなる。プラグマティズムにおける実用主義的なアプローチは、ナレッジグラフを用いた知識や理解の構造を解明し、実践的な利用や意味の理解を促進に役立てられるものと考えられる。

コメント

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