青い空とプール
入社してまだ日が浅く、社会人というものに慣れるには、しばらく時間がかかりそうだった時期。会社の近くに、大きな工場があり、その敷地の隅に、社員用の屋外プールがあった。
夏になると、よくそこへ泳ぎに行き、昼休みや仕事を終えた夕方、ひと泳ぎして気持ちを切り替えるのが日課のようになっていた。
頭上には雲ひとつない青空が広がり、水は少し冷たく、そこで泳いでいると、頭の中にあった余計な音や熱が、すべて流れていったように感じ、体と心をリセットしてくれるようだった。
そのプールで過ごす時間は、自分を別の場所に連れていってくれた。世界から切り離された、短い休暇のようなものだったかもしれない。
今でもあの青空と水の冷たさを夏の一場面として思い出している。
デイビットホックニーのプール
プールといえば、デイビット・ホックニーの絵がある。
デービット・ホックニーは、イギリス出身で、カリフォルニアに移り住み、光あふれるプールの絵画シリーズで一躍有名となったアーティストである。彼と同時代のポップアーティストとしては、アンディ・ウォーホール、
ロイ・リキテンシュタイン
ジャスパー・ジョーンズなどがいる。
いずれも鮮やかな色彩で描かれ、日常の風景をアートとして昇華したものとなっている。
その中でも、ホックニーのプール絵画には、水面のきらめきや飛び込みの一瞬の波紋、静かに佇む建築や椅子、南カリフォルニアの強烈な光が描かれており、これらは単なる風景ではなく、彼がロンドンから移り住んだアメリカ西海岸で感じた「解放感」「豊かさ」「自由なライフスタイル」を象徴するモチーフとなっていると言われている。
また、水の表現は重要で、ホックニーは透明なプールの揺らめきを平面的な筆致や幾何学的な線で捉え、時間が止まったような静けさと、一瞬の出来事(飛び込みのしぶき)の共存を描き出しており、ここには人物はほとんど登場せず、残された痕跡だけが観る者に物語を想像させるものとなっている。
ホックニーの絵画に閉じ込められている夏の記憶を抽象化したかのような光と水は、記憶の中にある解放感や静けさを思い起こさせ、心地よい感覚をもたらしてくれる。
記憶は、個人のためのキャンバスであり、そこには、自分だけが見ることのできる絵が静かに描かれ、他者が触れることはできない。けれども、その絵は確かに存在し続け、心の奥にとどまっている。
一方で、絵画は共有される記憶であり、作者の視点が色彩となり形となって外にあらわれ、他者の眼に届く。誰もが同じ作品を見ながら、それぞれの中で異なる記憶を呼び覚ます。
この呼び覚まされた記憶が、言葉とすることで融合し、その言葉を受け取った誰かの中で、また新たな記憶へと変わっていくのかもしれない。
参考文献
1. David Hockney とプール絵画
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Marco Livingstone, David Hockney (Thames & Hudson, 2008).
→ ホックニー研究の定番書。プールシリーズの背景と、彼の色彩表現を詳細に解説。 -
Christopher Simon Sykes, David Hockney: A Pilgrim’s Progress (Doubleday, 2012).
→ 自伝的な要素も多く、ロンドンからカリフォルニアへ移住した経緯と「光とプール」の象徴性を描く。
2. 記憶と芸術(記憶の個人的性質と共有性)
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Maurice Halbwachs, On Collective Memory (University of Chicago Press, 1992).
→ 「個人の記憶は社会的な文脈の中で共有される」という「集合的記憶」概念の古典。 -
Jan Assmann, Cultural Memory and Early Civilization: Writing, Remembrance, and Political Imagination(Cambridge University Press, 2011).
→ 記憶がどのように言葉や像を通じて文化的に共有されるかを考察。
3. 記憶・体験と視覚芸術
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Susan Sontag, On Photography (Picador, 1977).
→ 写真を「記憶の外部化」として論じ、個人の体験が他者に共有される過程を扱う。 -
E. H. Gombrich, Art and Illusion (Princeton University Press, 1960).
→ 視覚芸術が「見る者の経験や記憶」と結びついて解釈されることを論じた古典。
4. 個人の記憶と文学的表現
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Marcel Proust, In Search of Lost Time (Penguin Classics, 2003 translation by C. K. Scott Moncrieff and Terence Kilmartin).
→ 個人の記憶が外部の刺激(味覚、風景、言葉)によって呼び覚まされ、芸術的に昇華される文学の代表例。
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