問題解決法のルーツ – 孫子の考え方

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サマリー

本ブログでは”問題解決手法と思考法および実験計画“において、様々な問題解決手法についてのべている。その中で、”KPI KGI OKRについて“で問題解決を行うための定量化の手法について述べていたり、”具象と抽象 – 自然言語のセマティクスと説明“で述べているような抽象化のステップを用いることでその課題の本質的な問題は何かを抽出している。

そのような問題解決のアプローチは実は今から約二千五百年前に、孫子と呼ばれる人物によってまとめられていた。前回は”NHK100分de名著老子x孫子“をベースに孫子とは何かについて述べた。今回は具体的な孫子の考え方について述べたいと思う。

孫子の考え方は、現代の問題解決の様々なアプローチの根源であると考えられる。題材を戦争においてはいるが、それを問題解決というものに置き換えると、「手段(戦争)ではなく、目的が大事である」や「問題解決(戦争)を行う前に、様々な観点軸で定量化して検討を行うこと」や「問題解決(戦争)のゴールを明確にしていつ止めるかをはっきりさせる」、「とりあえずやるのではなく、事前計画の段階で八割がたはいけるというくらいの状態にしなければならない、無計画だったり、勝算のない戦いはやってはならない」など、現在のコンサルタントが述べる考え方が随所にちりばめられているものとなる。以下にそれらの孫子の内容について具体的に述べる。

戦争とはなにか

「孫子」の冒頭で以下の言葉がかがげられている。

孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり

(孫子が言った。戦争は国家の大事(重要な事)である。人民の死と生が決められる場、国家の存亡の分かれ道であるから、深く熟考しなければならない。)

戦争が国家の一大事であると宣言したのは孫子が初めてで、この認織が生まれた背景には、戦争がきぞまによる美学を伴ったゲームではなく、勝ち負けがそのまま国家の存亡にかかわってしまうような、戦争の巨大化による。そのような戦争には膨大な戦費がかかる。また、いったん戦争を始めれば、国も人も、物心両面で日々消耗していく。ここで、孫子は、戦争というものは基本的に「割りに合わない仕事だ」ということを言っている。

「孫子」は兵書でありながら、戦うことを勧めたり、何がなんでも価値を目指そうということを言ったりしていない。むしろ。できれば戦争は起こさないほうが良いということを説いている。これは「孫子」全体を貫く戦争観となる。

そして、やむを得ず戦争を起こさなければならない場合も、できるだけ短期間で切り上げることを推奨している。

孫子曰く、凡そ(およそ)用兵の法は、馳車千駟(ちしゃせんし)、革車千乗(かくしゃせんじょう)、帯甲(たいこう)十万、千里にして糧を饋(おく)るときは、則(すなわち)内外の費、賓客(ひんかく)の用、膠漆(こうしつ)の材、車甲の奉、日に千金を費やして、然る(しかる)後に十万の師挙がる。

(孫子が言った。戦争の原則には、戦車千台、輜重車千台、武装した兵士十万で、千里も食糧を運搬するには、内外の経費や外交上の費用、膠や漆などの材料、戦車や甲冑の供給などが必要である。つまり、1日に千金も費やしてはじめて十万の軍隊を動かせるものである)

「千金」という莫大な額を費やして、ようやく十万の軍隊を動員することができる。つまり戦争とは、いったん始めてしまうと国家経済に深刻な打撃を与えるものとなる。

さらに孫子は

故に兵は拙速(せっそく)を聞くも、未(いま)だ巧久(こうきゅう)なるを賭ざるなり。夫れ兵久しくして国を利する者は、未だ有らざるなり。故に尽く用兵の害を知らざる者は、則ち尽く用兵の利をも知ること能わざるなり

(戦争は、多少手際が悪かったとしても、できるだけ早く勝負をつけるほうがよい。くずぐすしてうまい「巧久」ということはない。戦術がすぐれていても、それが長く続くという保証はない)

「拙速」という言葉は、現代では、速いけれど仕上がりが粗雑という、あまり良くない意味で使われるが、孫子の意図するところは異なる。少しくらいまずくても、戦争は早く切り上げるの風良いというものとなる。戦争が長引けば長引くほど、兵の士気は衰え、国への経済的打撃も増す。速やかな勝利こそが理想であり、長期戦は望ましくないとある。

このようにして孫子は「軍事的な衝突はできるだけ避けよう」「戦わずして勝つことが最上である」ということを主張している。

戦う前に戦力をポイント化

戦わずして勝つ。そのためには、安易に戦いを始めないことが重要となる。では、開戦に慎重を期すためにはどうすればよいのか

この点について、孫子は「廟算(びょうさん)」における分析の大切さを説いている。廟算とは午前会議のことで、歴代の王の御霊が祀ってある廟とよばれる建物に、国家の首脳が集まり会議をする。その際に「五事七計」と呼ばれるもっとも重要な五つの指標と、さらに具体的な七つの指標について分析し、敵と味方の戦力差をポイント化していく。

故にこれを経る(はかる)に五事(ごじ)を以てし、これを校ぶる(くらぶる)に計を以てして、其の情を索む(もとむ)。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。

(だから、戦争について考えるには『五つの事項』を元に考え、戦争に臨むには『七つの計略(事項)』について比べ、自国と敵国の実情を求めるべきだ。五つの事項とは、第一は道、第二は天、第三は地、第四は将軍、第五は法である。)

「道」とは民の気持ちを為政者にどうかさせることができるような、政治の在り方を示し、これが実現できていれば、民と為政者は戦争においても気持ちを一つにして戦うことができる。「点」とは、明るさや暗さ、暑さ寒さなどの自然条件、「地」とは、戦場に関する地理を指す。「将」は群を統括する将軍の能力、「法」は軍の指揮系統や賞罰など、軍を運営するための各種規則を指す。

続いて「七計」に関しては

曰く、主、孰れか(いずれか)有道なる、将、孰れか有能なる、天地、孰れか得たる、法令、孰れか行わる、兵衆、孰れか強き、士卒(しそつ)、孰れか練いたる(ならいたる)、賞罰、孰れか明らかなると。吾(われ)、此れを以て勝負を知る。

(孫子は言った。どちらの君主が道を得ているのか、どちらの将軍のほうが有能であるのか、どちらの国のほうが天の時と地の利を得ているのか、どちらの法のほうが公正・厳格に執行されているのか、どちらの軍隊のほうが強いのか、どちらの兵士のほうがより訓練されているのか、どちらの賞罰のほうが公正に行われているのかと(この七つの計算で自国と敵国を比較することが必要である)。私はこの戦争の本質を理解することで、勝負(戦争)の何たるかを知ったのだ。)

孫子は、これらの項目の一つ一つについて、敵軍と自軍の状況を比較せよと言っている。そして獲得ポイントが多いほうが勝ちになるというのである。

このとき決してやってはいけないことは、主観を交えること、また予断を差し込むこととなる。客観的に評価しているさなかに「いや神風が吹くだろう」「あとは気力でカバーしよう」などといってはいけないのである。

自軍も敵軍も保全して勝つ

戦わずして勝つことがベストとは言え、やむをえず戦闘に入ってしまうこともある。そうした場合、どのように勝つことが最も望ましいのか。孫子では以下のように述べている。

孫子曰く、凡そ(およそ)用兵の法は、国を全う(まっとう)するを上(じょう)と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ。

(孫子は言った。およそ戦争の法(原則)は、自国の損失を出さないことが上策であり、外国を打ち破ることはその次の策である。軍(1万2500人の軍団単位)の損失を出さないことが上策であり、敵の軍を破ることはその次の策である。)

せっかく戦いに勝ち、敵国を自国の領土にしても、敵国が徹底的に破壊されていれば、使い物にはならない、人もいない、町もないでは勝った意味がないと孫子は言っている。敵国の経済、政治、文化、人民をそっくりそのまま手にいれるのがベストな勝ち方で、これが「戦わずして勝つ」ことを最上として、孫子の合理主義の考え方となる。また、以下のようにも述べられている。

故に上兵は謀(ぼう)を伐ち(うち)、其の次は交(こう)を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む

(だから最高の戦争は、敵の謀略を打ち破ること、その次は敵の同盟を阻んで破ること、その次は実際に戦争をすることで、最もダメな下策は城攻めなのである)

最上の勝ち方とは、スパイの画策や謀略によって勝敗を決めることであり、次に目で見える外交交渉で決着をつけることであり、三番目が兵力を持って交戦することであり、一番下手な戦い方は、相手が籠っている城を攻めることであると述べられている。

事前準備こそが勝利を約束する

孫子の兵法の真髄は「戦わない」ことであり、これを宣言する文言が三章の謀攻篇にある。

是の故に(このゆえに)百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

(これらのことから、百戦百勝(戦って必ず勝つ)というのは最高の将軍のやり方とは言えない。戦わずに敵兵を屈服させることこそ(自国・自軍を一切傷つけずに策略を駆使して勝つこと)が最高の将軍が持つ戦略なのである)

一見すると、100回戦って100回勝つことはよいことのように思われる。ところが孫子はそれはベストではないと言っている。例えば必ずお金や戦力を消耗するからである。勝利を求めたが故に国が困窮してしまっては本末転倒であり、最善の勝ち方は、戦って勝つのではなく、戦わないで相手の兵を屈することだと言っている。

また、凡庸な将軍は、とりあえず戦いを始めてからなんとか勝とうとするが、孫子はそれではいけないと言っている。

是の故に勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に価値を求む

(勝利の軍隊というのは、まず開戦前の廟算の段階で勝ち、その上で実際の戦争に勝つ。逆に敗北の軍隊とは、入念な事前計画もなく、とりあえず戦ってみて勝ちを求めようとする)

これは、何をするにしても「とりあえずやってみよう」という見切り発車はよくないということを言っている。事前計画の段階で八割がたはいけるというくらいの状態にしなければならない。それでも、実際に始めてみればいろいろとトラブルも生じる。ましてや、無計画であったり、計画の段階で賞賛が無かったりという場合は、そもそも戦ってはならないと言っている。

この「とりあえずやってみる」は新しいことを始めるためのスタンスとしては大事なものだが、それだけではダメで、何かを始めるためにはきちんと事前に考えを巡らさなければならない。行き当たりばったりではダメだということでもある。

 

コメント

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