荒(あら)と和(にぎ)と日本文化

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天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)

宮崎県の高千穂は、『古事記』や『日本書紀』により、天照大神が岩戸に隠れた「天岩戸開き」や、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天界から地上に降り立った「天孫降臨」の神話に登場する地として記されている場所にあたる。

有名な物語である「天岩戸開き」は、天照大神が弟・須佐之男命の乱暴を避けて岩戸に隠れることで世界が暗闇に包まれ、元に戻すため神々が岩戸の前で踊りや笑いを通じて天照大神の関心を引き、天手力男神が岩戸を開いて再び光を取り戻したという神話になる。

そこに登場する天照大神は、太陽そのものであり、光・秩序・農耕・文明の象徴で、国土を照らし、人々の生活を守る存在とされ、日本の皇室の祖神でもあり、”街道をゆく 熊野・古座街道“で述べた熊野古道伊勢路の始点にある伊勢神宮の祀られている神になる。

また、須佐之男命は、”街道をゆく 因幡・伯耆のみち“でも述べているキングギドラの原型でもある八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことでも有名で、

破壊と再生、混沌と秩序を象徴する神として、日本神話において非常にダイナミックで重要な役割を果たす存在となっている。またその子孫である大国主命(おおくにぬしのみこと)は、日本国を創った神とされ因幡の白兎の逸話でも有名である。

荒(あら)と和(にぎ)

日本の神話の中では、天照大神が象徴する秩序・光・統治という概念は「和(にぎ)」という言葉で表され、須佐之男命(スサノオノミコト)が司る海や嵐、死、破壊という役割は「荒(あら)」という言葉で表される。

ここでの「荒」は破壊的なエネルギーになり、「和」はそれを統御し、調和へと導く働きと言い換えることもできる。この二つの概念は、日本人の自然観・神観・美意識の中では、対立しつつも不可分な両面であり、共にあることで世界が成り立つという思想が深く根付いている。

神道における荒(あら)と和(にぎ)

神道における「荒」と「和」では、神は一つの存在でありながら、荒魂と和魂という二面性を持つとされており、この考え方は神道の核心的概念で、「祭祀」や「鎮魂」などの実践の基盤となっている。例えば、伊勢神宮では、内宮(皇大神宮)で天照大神の和魂(にぎたま)を、荒祭宮(あらまつりのみや)で同じ天照大神の荒魂(あらたま)を祀っており、日々の平和と繁栄を祈るとともに、変革や災難の打破、国家の大事への祈りも行うようになっている。

街道をゆく- 竹内街道と古代日本“でも述べている奈良県の石上神宮では、荒魂の神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を祀っているが、これは剣に宿る怒りの神であり、国家の危機・災厄に立ち向かうための荒魂的武神として信仰されている。

伊勢神宮の外宮である豊受大神宮は、和魂である衣食住の神であり、穏やかで育成的な豊受大神が祀られており、五穀豊穣、家庭円満、国家安泰などの育成・繁栄・調和の力として信仰されている。この和魂が地上にもたらす恵みは、祭りや儀式において讃えられ、人々の生活に幸福と秩序を与えるものと言われている。

荒(あら)と和(にぎ)と仏教思想

「荒(あら)」と「和(にぎ)」という神道的な概念は、日本に仏教が伝来した後、仏教思想と深く交差し、日本固有の宗教観・死生観・自然観の形成に大きく影響を与えている。この両者の接点は「排除」ではなく「融合」や「変換」プロセスとなっている。

仏教の根本には「和」があり、慈悲や中道、そして涅槃といった教えを通じて、心の内面における静寂や解脱を追求し、煩悩を超えた超越的な安寧を目指すものとなる。これは内面的な平安と精神的な超越を志すものと言うことができる。

これに対して、神道の「和」は共同体の中での調和や秩序、五穀豊穣や家内安全といった現世的な繁栄を重視する概念であり、現実社会における調和と繁栄を志向するものとなる。

空也、法然、親鸞、一遍 – 浄土思想の系譜“でも述べているように、日本では、個人の悟りを目指す小乗仏教より、全ての人々が浄土に行ける大乗仏教が栄えている。これは本来の仏教の教えの中で、「和(にぎ)」に親和性のある部分が、融合して発展したものとも考えられる。

ロックと念仏“でも述べている一遍や日蓮の念仏踊りは、正に「和」の祀りであると言うことができる。

更に密教の流れの中で現れ、多くの寺で本尊として祀られている明王は、大日如来(神道との融合で天照大神と同一であるともされている)の化身として、忿怒の形相を持ち、悪を打ち砕き仏法を守る力を持つ仏で、その中でも「お不動さん」と呼ばれ親しまれている不動明王が有名だが

これはまさしく、神道での「荒(あら)」に相当するもので、「和」である仏の道を妨げるものを破壊する概念が導入されたものであると言うこともできる。

禅の思想と歴史、大乗仏教、道の思想、キリスト教“で述べている禅は、静けさや調和といった「和」のイメージで語られることが多いが、その修行の本質には、人間の内側に潜む「荒(あら)」の側面──煩悩、衝動、理性の限界──と向き合い、それを通して悟りに至るという激しい実践の側面があり、これは神道における「荒魂(あらみたま)」の概念と深く通じ合うものと考えられる。

荒(あら)と和(にぎ)と日本の美術

「荒(あら)」と「和(にぎ)」という概念は、日本の美術にも深く影響を与えており、特に、秩序(和)と混沌(荒)、静と動、光と影といった相反する要素の共存を美ととらえる傾向からさまざまな「日本的」美が作り出されている。

1. 書道 : 「筆の荒れ」が霊性と繋がり、「整い」が鎮魂となる。

荒の美 : 空海の書、良寛の草書などに代表される草書・破体・飛白体など、筆跡が乱れ飛び、墨がにじみ、紙を破りそうな勢いがある書体。

和の美: 藤原行成、三蹟(小野道風など)に代表される楷書・行書・和様書道に見られる整った構成、優雅な筆致。

2. 絵画 ― 荒の力を表現しながらも、画面全体は和へと収束していく。

荒の表現: 雪舟『破墨山水図』の山水の中に強烈な筆勢と墨の流れや、自然の「荒魂」的側面や、長谷川等伯『松林図屏風』の荒れ狂う霧と風、墨の暴発と余白が緊張を生む作品。

和の表現: 狩野派の屏風絵の金箔・対称構図・絢爛豪華の中の調和や、琳派(尾形光琳など)の自然の中の装飾性と安定した構成美を持つ作品。

3. 茶道・花道・工芸 ― 「破調の美」に宿る荒

茶道:千利休と「荒」

  • 「わび・さび」の美学において、「ひび割れた茶碗」や「崩れた形」が尊ばれる。

  • 荒=自然のまま、偶然の美 → 和=受容し調和させる。

花道:池坊・草月流

  • 枝がねじれ、花が片側に偏っていても、それを「荒ぶる生命の力」と見て美とする。

  • → 和としての構成美に取り込まれる

4. 建築と庭園 ― 静の中に潜む「荒」

枯山水(龍安寺など)

  • 和:配置・余白・静けさ

  • 荒:石の配置に「意図的な崩れ」や「暴風の流れ」を思わせる構成

5. 現代美術における荒と和の再解釈

日本美術では、「荒」は激しさ・歪み・爆発、「和」は調和・整い・静けさを象徴しており、両者は対立するのではなく、動と静、破と整が共存する美を生み出す。

岡本太郎『太陽の塔』: 生命の爆発を象徴するダイナミックな造形、激しい造形のうねりと表情。「和」を破ることで、新たな統一(=普遍性)や融合を目指す構造的意図。秩序を拒否しつつ、結果として全体が一つの宇宙観として調和する

杉本博司『海景』シリーズ: 水平線の静寂、無限の連なり、モノクロによる沈静美。静けさの中に潜む荒ぶる自然の兆しが、見る者に時間の厚みと対峙させる。

これらの日本美術の中には、「荒と和」のゆらぎやバランスを繊細に調整し、それを通じて自然や人間の本質を表現しようとする姿勢がある。激しさの中に静けさを、静けさの中に潜むエネルギーを感じさせるその美意識は、書・絵画・建築・工芸に至るまで、日本文化全体に深く浸透している。

また、”揺らぎとその応用“でも述べている「揺らぎ」という日本独特のあいまいさ・非対称性・中間性を肯定する概念は、これらの「荒」と「和」のバランスにより生み出されており、能楽の急・緩・間(あいだ)という緊張と弛緩の構造や、雅楽や尺八の微妙な音程の「ズレ」、拍の「ゆれ」等にも現れている。

参考図書

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