街道をゆく 北のまほろば(青森)

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サマリー

旅は人間が新しい場所を訪れ、異なる文化や歴史を体験するための行為であり、旅を通じて、歴史的な場所や文化遺産を訪れることで、歴史的な出来事や人々の生活を実際に感じることができ、歴史をより深く理解し、自分自身の視野を広げることができる。ここでは、この旅と歴史について司馬遼太郎の「街道をゆく」をベースに旅と訪れた場所の歴史的な背景について述べる。

街道を行く41巻 北のまほろば

前回は、新潟県佐渡の道について述べた。今回の旅は青森県。縄文の昔に「まほろば」として栄えた本州最北端地・青森を歩き、風土に即した生活は何かを問う。太宰治が悲しき国と嘆いた津軽・南部・下北などに歴史を尋ねる。

青森県は、本州の東北地方にあり、太平洋に面した人口約126万人の県となる。青森の西側は秋田県と、南側は岩手県と接しており、県内には、津軽半島と下北半島という2つの半島があって、津軽海峡を挟んで北海道とも近接している。

「青森」という地名は、江戸時代前期に弘前藩が現在の青森市へ港町の建設を始めたときに名付けたられたもので、当時、現在の青森市本町付近に青い森があり、港に入る船の目印になっていたと言われている。

青森では、平成10年(1998)、外ヶ浜町大平山元遺跡から出土した縄文時代草創期の土器に付着していた炭化物を、高精度の放射性炭素年代測定法で計り補正した結果、約1万6千年前の年代となり、日本で最も古い土器として話題になっている。

ナイフ形石器などを用いた生活が始まる旧石器時代は約3万年前であり、無文土器と呼ばれる草創期の土器が現れたのは、約1万3千年前という年代が一般的だったからで、青森の土器はそれより3千年古いものとなる。

青森ではその他にも、三内丸山遺跡等の縄文時代の遺跡が多数見つかっている。三内丸山遺跡は世界文化遺産にも指定され、そこを訪れると、当時の建物や生活を復元した縄文文化に触れることができる。

「まほろば」とは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という日本の古語となる。日本の文化や政治機構は、稲作とともに広がっていったと司馬遼太郎は推測している。青森はそのような稲作のない時代が中世まで続き、稲作中心の日本文化とは異なる狩猟中心の文化が栄えた「まほろば」であったと述べられている。

街道をゆく 白河・会津の道“で述べられているように、古代の日本の統治範囲は、稲作の届く福島までであり、それが中世になって”街道をゆく – 陸奥のみち“に述べているように岩手まで伸び、岩手では藤原氏が繁栄し金色堂等が建立されるが

その後鎌倉幕府によって滅ぼされ、鎌倉幕府によって派遣された安東氏によって津軽半島北西部の十三湖の西岸十三湊(とさみなと)が作られ、明確な中央の統治が始まる。この十三湊は”街道をゆく オホーツク街道 モヨロ遺跡の物語“で述べられている北方の民族や、”街道をゆく 秋田散歩と松尾芭蕉と菅江真澄と人形道祖神“で述べられている日本海航路の拠点として、室町時代期では栄えていた。

戦国時代に入ると、”街道をゆく – 陸奥のみち“にも述べている南部氏が侵略し、安東氏は敗れて北海道に撤退、さらに南部氏の一族であった津軽 為信(つがる ためのぶ)が独立することによって、津軽地方が形成されていく。

桜の名所としても有名な弘前城はこの津軽により作られたもので、司馬遼太郎は弘前城を「日本七名城の一つ」と紹介している。

このようないきさつから、津軽地方と南部地方ではわだかまりが生じ、明治維新の廃藩置県で津軽と南部の一部が統合されて青森県となっても両者の対立感情は残っていると述べられている。ちなみに、廃藩置県の当初は、中心が弘前であったものが、当時、政府から派遣された初代知事の「県の中心に位置し、海に面した場所が良い」ということで県庁を青森町(現青森市)に移している。

青森市は、本州の最北端に位置し、津軽半島の東部に広がった街となる。市の南東には津軽山地がそびえ、西側は青森湾に面しており、市内には前述の三内丸山遺跡、青森県立美術館、ねぶたの家ワ・ラッセなど様々な観光施設もあり自然豊かな街となる。

ここで、司馬遼太郎の一行はねぶたの家を訪れている。ねぶたの家は、東北三大祭りの一つであるねぶた祭の歴史や魅力を紹介し、ねぶたを体感することができる施設となる。ねぶた祭りは青森市や弘前市で8月の上旬に開かれ、毎年、延べ200万人以上の観光客が訪れる盛大な祭りとなる。

起源としてよく知られているものは、のちに征夷大将軍となる坂上田村麻呂陸奥国蝦夷征討(三十八年戦争・第3期)の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠太鼓ではやし立てたことを由来とされていたが、現在では、日本全国にある土着の七夕祭りや眠り流しの行事(禊祓い)が変化したものと考えるのが主流となっている。

この祭りは大型の灯籠を担いで町中を練り歩き、その前後でハネトと呼ばれる踊り子が「ラッセラー、ラッセラー」と掛け声を挙げながら踊るもので街中が特別な空間に包まれるものとなる。

市内にある青森美術館では、様々な特徴的な展示物がある。近年有名なものは奈良美智による巨大なあおもり犬

また、少年時代に”ゴッホはいかにしてゴッホとなったのか“で述べているゴッホの絵に出会い「ゴッホになる」と芸術家を目指した棟方 志功(むなかた しこう)によるこちらもまた巨大な版画が展示されている。

巨大な展示物といえば、同じ青森県の十和田市現代美術館にある「スタンディング・ウーマン」も迫力があるものとなっている。

青森での食といえば、大間のマグロや、ニンニク、りんごが有名だ。

街道をゆくでは、りんごの歴史が語られて終わりとなっている。りんごはアジア西部が原産と言われており、そこからヨーロッパあるいは中国に伝わり、日本には平安時代にはすでに食されていたらしい。その頃は京都の嵯峨野で作られており、古代ではりんごと言えば嵯峨野で、長野や青森でりんごが作られ始めたのは、戦国時代以降だったらしい。

次回は、京都西部の自然豊かな名所である嵯峨野への旅となる。

コメント

  1. […] 街道をゆく 北のまほろば(青森) […]

  2. […] 次回は今回の旅は青森県の旅について述べる。 […]

  3. […] 街道をゆく第26巻より。 前回の旅は青森の旅であった。今回の旅は、京都西部の自然豊かな名所である嵯峨野への旅となる。嵯峨野の旅は、古くは「絶壑ノ間ニ孤立ス」と表現された山 […]

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